何にでもなれる世界で、何をして遊ぼうか?
「じゃあ、順番に考えてね! 良かったら、花マルあげるからね」
むじゃきに笑いながら、大人三人に向けてお題を出してくる小学三年生の彼女。
うーん、どうしよう……。
困ったなぁ……。
私と、あきちゃんは顔を見合わせる。
「ふたりとも、付き合わせちゃってごめんね……。なんか、あの子テンション上がっちゃって」
そう言って、なっちゃんは困りながら私達に謝る。
「いや、いいんですけどね。これ難しいね……。なんて言うか、大喜利みたいな……」
アイちゃんは、本を見ながら、少しだけ、眉をしかめている。本当に悩んでいるようだった。
ちょっと前の日曜日のこと。
前職の同期と久しぶりにランチでも、ということでイソイソと出かけていった。
同期、といっても職場は別々。新入社員の研修所で偶然一緒に学んだ仲だ。その新入研修は約1カ月間、寮での生活が必須条件だった。どういった理由で決められたのかはわからないけれど事前に振り分けられた部屋で、共に生活した。そのため、「友達」というよりは「戦友」という呼び方が近いかもしれない。
その中三人のなかでも大学を卒業したのち、1年間フリーターをしていた私は一番歳上だった。そのせいか、部屋割りの段階で「室長」に勝手に任命されていた。
あきちゃんは、高校を卒業したばかりの初々しい18歳。就職試験に合格して、上京してきたのだという。とてもかわいらしい、妹みたいな存在だった。
なっちゃんは大学を卒業し、就職した私のひとつ下の学年の子だった。薄い茶色の瞳と、もともと色素の薄い髪の色で日本人っぽくなくて、フランスかロシアのハーフかな? と思わせるような美人だった。妖精みたいに儚い雰囲気もあって、みんなからの憧れの的だった。
私たちは、勤務地は違うため仕事で直接関わり合うことはなかった。けれど、大きな組織としての会社で巻き起こる問題、例えばセクハラまがいの上司がいるだとか、パワハラまがいの上司がいるだとかの悩みは同じだった。
私もなっちゃんも、その大きな企業の体質が合わなくて、数年勤めたけれど転職した。
あきちゃんは今でもその職場に勤めていて、コツコツと頑張っていた。
結婚や出産なんかもあって、頻繁に会う仲じゃない。けれど、やっぱり久しぶりに会うと一瞬で懐かしさが戻ってくる。あの、狭い二階建てベッドで横たわりながら、これからおきるかも知れない不安を口々に言いあっていた日々。
あの日から、もう十年以上過ぎてしまった。なっちゃんは子供が二人いるママになっているし、あきちゃんは昨年末に結婚したばかりの新婚さんだ。
十年前とは違う想いや悩みをカバンの中にぎっしりとしまい込んで、それぞれの道を歩いている。
しかし、申告な話をしようにも、出来なかった。なっちゃんの子供が「ママのお友達といろいろ遊びたい! お話したい!」とはしゃいで大人の会話にぐんぐんと参加してくるのだった。
「いつもこんな感じじゃないんだけど……」と困っているなっちゃんは、相変わらずかわいらしく儚げだ。だけど、こんなにもパワフルな子供を育てている。ちらりとのぞかせる「肝っ玉母ちゃん」的オーラ。十年前には、想像出来なかった。あきちゃんも、末っ子的な可愛さを今でも持っていた。けれど、時々ピシッと言い放つ厳しい言葉には、ひとつの会社で十年以上勤めてきた覚悟が感じられた。
「本を読んで、静かにしてくれる?」
そう言って、なっちゃんはカバンの中から一冊の本を取り出した。
ヨシタケシンスケさんの「りんごかもしれない」という絵本だった。
身の回りにあるものや、人すらも「りんごかもしれない」という発想で作られた、大人が読んでも想像力をくすぐられる内容だ。
なっちゃんの子供は、この本が大好きで読んでいるときは静かに黙って読んでいるのだという。なっちゃんは切り札的にその絵本を持ってきていた。
......しかし。
興奮状態の子供には、逆効果だったらしい。
「このね、絵本だとね。全部りんごかもしれないけれどね。りんごじゃなければ、なんだと思う? 例えばこの絵!」
絵本の中に描かれているイラストを指差しながら私とあきちゃんにどんどん質問を重ねていく。
わたしたち三人は、ゆっくり話もできないし、こうなれば、もうトコトン付き合ってやろう! と気持ちを切り替えた。
この世界は、もしかしたらすべてがりんごのようなものかもしれない。
朝目が覚めて、鏡を見てみたら。
私がりんごになっているかもしれない。
私以外のすべてがりんごになっているかもしれない。
そんな極端なことは、あり得ないと言われるかもしれない。
けれど、自分自身の決断ひとつで、がらりと世界は変わってしまうのだ。
こども向けの絵本ですら、私にとってはハッと目から鱗が落ちるほど、
意味のあるものに変わったのだった。
十年前にはまるで想像もしなかったこと。
だけど、どんなものにでも、自分はなれるし、どんなものでも生み出すことができのだ。
決めるのは自分自身。
大喜利のように、どんどんとお題を出してくる子供の無邪気な笑顔と、
「わたしの質問に、ママたちは絶対に答えてくれる」という自信に満ちた態度を見ながら、私はそんなことを感じていた。
夏の終わりの夜をみる。
「あっという間に夏も終わりだなぁ……」
誰に、というわけでももなくポツリとつぶやく。
2017年の夏は、本当にいつの間にか終わりを迎えることになった。
ありがたいというか、なんというか、仕事が忙しく立て込んでいてお盆休みも返上で毎日仕事に行った。
あまりにも疲れが溜まり、顔面から足の裏まで、じんましんが隈なく身体中に出て「さすがに今日1日は仕事休みなさい」と薬だけもらいに行った病院でドクターストップをかけられた。その1日だけ休んで、あとはずっと仕事だったと思う。だけどあまりにもあっと言う間過ぎて、むしろもう遠い昔のことのようにも感じる。
「7月って、何してたっけ……?」
とこのブログを書くために思い出そうとするけれど、全然思い出せない。記憶障害かな? と思うほどに何も覚えていない。
ちょっと怖くなって、慌てて手帳を見てみる。7月のはじめにはライブに行っているし、お友達とランチしたり。それなりに充実しているようにも思うし、手帳を見てようやく「ああ、そうだった! ライブ、メッチャ良い席だったなあ」と思い出したりした。
楽しくて、宝石のようにキラキラ輝いている思い出たち。それは、いつの間にか箱にしまわれて深い海底に沈められてしまっている。宝探しに出かけなければ、思い出せないほどに。
ただ、その宝石のような輝きは、決して曇ることはない。着倒して、洗濯しすぎで色あせたTシャツは色あせてしまう。けれどそのTシャツには毎日の何気ない記憶、例えば寝転んでアイスを食べたこととか、汗だくになりながら駅まで歩いたことなんかが染み込んでいて、輝いている。色あせたTシャツは、共にこの夏を戦い抜いた仲間なのだから。
それにしても、毎日仕事を頑張っていたはずなのに状況は変わらない。
ちょっとウンザリしながら、満員電車に揺られて帰る。
帰宅時に自宅の最寄りのバス停で降りて、とぼとぼ家までの道を歩く。
そんな時、いつもふと空を見上げていた。曇っていることも多かった、今年の夏。
けれど、空にぽかりと月が浮かんでいるのを見たとき、ちょっとホッとした。
満ちたり、欠けたりしているけれど。
ふと見ると、いつもそこにあって、「ああ今日も一日がんばったな」となぜか月に向かって、ため込んでいた息を、ふうっと吐き出して歩いていた。
今年の夏は、月に助けられていたんだなあ、と思う。
この三日月の写真は、ピンボケだし、全然さえなくてキレイでも何でもないけれど、
私の今年の夏、そのものだと思う。
なんだか、海に行きたくなる。
「夏」そのものがテーマという映画じゃない。
けれど、この映画には夏の空気がたっぷりと含まれている。
痛いぐらいに照りつける日差しや、汗をかいてべたべたする肌。
そして、風の中に感じるまとわりつくような潮の香り。
映画「海街diary」はどのシーンを切り取っても夏の気配を感じさせてくれる。
映画の舞台は鎌倉。田舎の漁村とはひと味もふた味も違う。やっぱりそこは小洒落た雰囲気を隠すことはできない。
けれど、それでもどこか懐かしい景色を感じるのは、姉妹が住んでいる家のせいかも知れない。
綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆の三姉妹が住んでいる小さな一軒家。そこは夏休みに帰省するお婆ちゃんの家のようだ。狭い間取りに細々と置かれたタンス。畳にちゃぶ台、扇風機。
縁側なんて、今どきの家にはなくて、むしろ羨ましい。
もともとお婆ちゃんが住んでいた、という設定だからちょっとした小物にも歴史があるんだろうなあと思わせてくれる。
狭い間取りの中に、似通った年齢の女が三人も暮らしていると、どこかしら退廃的なムードが漂ってしまう。それは、別に悪い意味じゃなくて仕方のないことだと思う。毎日同じことの繰り返し。姉妹だからか少し詮索したり、必要以上に悪意に満ちた言葉をかけてしまったり。家族という信頼がベースになっているからか、それは愛情もたっぷりと含まれている。けれど、鬱陶しくて遠ざけてしまいたい。そんな袋小路のような場所に、三姉妹は暮らしていた。
そこに、父が遺した腹違いの妹が加わることになる。
広瀬すず。
この子の存在が、やっぱりこの映画をキリッと引き立てるエッセンスなのだと思う。コーラに隠し味としてキュッと絞ったレモンみたいな存在感。
もちろん、主人公的存在なのだけれど、浴衣姿とかちょっとした恋心だとか。
年の離れているし、はじめのうちは心も近しいとはいえない。
けれど、一緒に食事をしたり、街をプラプラあるいたり。何かの作業をみんなで囲んでワイワイと行なうたびに、距離が近づいていく様子が優しく描かれている。
四人の姉妹が暮らす家はたぶん潮をたっぷりと孕んだ風を受けていて、洗濯物なんかも、べたべたしているだろう。風の強い日には波の音が響いて、騒めいているにちがいない。
だけど、そんなこともみんなで共有しながら、暮らしていく厳しさも含めて、優しい家族の物語。
観終わったときには、潮風をたっぷりカラダに浴びたい。波の音を聞きに、海に向かいたくなる映画です。
ダンベルのようなカバンの中身について
今週のお題「カバンの中身」
「うっわ、重い。何入ってるの?」
私のカバンを持ってくれた人たちが、必ず口にするセリフだ。
持ってくれた人たち、と言っても彼氏とか、そんな甘い関係の人はひとりもいない。飲み会だったり、仕事関係で、カバンを空いているスペースに置いとくから、こちらに渡して的な形で何気なく受け取った人たちだ。
「すみません、なんか色々入ってて」と、なぜか申し訳ない気持ちになり、謝ってしまう。
謝る必要なんて、全然ないし、自分でも何故謝っているのかはわからない。けれど「重いものを持たせてしまってすみません」ということなのだろう。
なんでこんなに、重いのだろう?
私が持ち歩いている、重いカバンはありきたりなやつだ。PORTERの3WAYタイプになるものだ。それを肩に斜め掛けにして使用していることが多い。
肩は、カバンの重みでめり込みそうだ。
だけど、もう四年近く使っていて、相棒、と言っても過言ではない。
荷物が多いのかも知れない。
長財布、スマホ、ほぼ日手帳、ポケットティッシュ、ハンドタオル、自宅と会社の鍵、ウォークマン。
まず、これが基本セットとして絶対に入っている。
重いかな? と考えられる要因は、まず「ほぼ日手帳」だろうか。文庫本くらいのサイズがあるので多少ずっしりはしているかも知れない。次に自宅と会社の鍵。これには説明が必要だ。まず、鍵にはキーホルダーが付いていて、お守りと、シルバー製の猫。この猫がわりとずっしりしている。そして鍵。自宅と会社なら二本かと思われそうだけれど、実は五本もついている。
いろいろと、鍵がかかっていて、それらを開ける係なので仕方ない。だけど、この鍵はちょっと重い要因のひとつだと思う。
そして、財布。職場で100円玉と10円玉がたくさん必要になることがあるため、割とお釣りで小銭をもらいたい。財布はいつもパンパンだ。そして、重い。
もう、この時点でわりと重い要因がたくさんあるなと、自分でも驚いている。
しかし。まだまだこれからなのだ。
絶対ではないけれど、カバンに入っているものたち。
ペットボトルのお茶か水(500ml)、仕事で使うためのMacbook air、移動中に読みたい文庫本。
もう、絶対に重い。
三つすべてが入っていないこともあるけれど、ペットボトルは、だいたい入っている。
これには理由がある。
単純に、不安なのだ。
「なにかしらのトラブルに巻き込まれた時に、水さえあれば、多少は生きのびることができる」
この気持ちがずっと心にあるのだろう。どこかに出かけるときには、だいたいいつも、飲み物を持っていないと落ち着かない。
「今日は荷物が多いしなぁ……」と躊躇しても、結局どこかで購入してしまうのだ。
なんで、普段の生活の中でいつもサバイバル気分なのかは分からない。自分でも、全然理解できない。けれど、もしも、と一度でも考えてしまうと、もうどうしようもない。
あまりにも重いカバンを毎日持ち歩いている。けれど「これは、ダンベルだ! 筋トレの一種だ!」と無理やり思うようにして、片手で上下に動かしたりしている。
まあ、あまり、オススメはしないけれど。
野球部のない高校に通っていました
タイトルから、すでにガッカリ感が否めないのだけれど、私の通っていた高校は野球部がなかった。女子校だったわけじゃなくて、普通の公立の高校だった。
私は、高校には絶対に野球部があるものだとなんとなく思い込んでいた。そのため、入学したとき結構ビックリした。
野球部が、ないなんて!
私自身は、運動神経もズタボロに切り裂かれているほどに悪いし、スポーツに興味はなかった。けれど、三つ歳上の姉が高校生だったとき。高校野球への出場権を獲得するための地方大会が始まって、姉は姉自身が通っていた高校の予選を応援しに行ったりして楽しそうだった。お友達同士で、キャアキャア言いながら「これぞ、青春!」みたいな感じだった。もしかしたら、彼氏か、好きな人がいたのかもしれない。
姉の楽しそうな姿を見ていたので、「あー、私も高校生になったら野球部の応援に行くのかな?」なんて、刷り込まれていた。
しかし、姉とは違う高校に進学した私はがく然とした。
野球部がない。
ラグビー部、ある。
サッカー部、ある。
バスケ部、ある。
陸上部、ある。
しかし、野球部が、ない。
なぜか、結構レアだと思うハンドボール部なんてあるのに、だ。
寂しかった。
私の思い描いていた高校生活は、速攻で打ち砕かれた。
近隣の、友人が通っている高校を応援するしかなかった。けれど、やっぱりそれでは全然面白くなくて、実際に球場まで観戦に行くことはなかった。
高校生活から、すでに20年近く経っているけれど、地方大会がはじまると、胸がちょっとキュンと痛い。
父も姉も母校の応援をしていて、「今年は一回戦負けやったー!」とか、新聞の結果を見てそれぞれ盛り上がっている。母は女子校卒なので、もともと関心を寄せていない。
私も、母校という絶対的に応援したくなるチームがあれば良かったなぁと思いながら毎年過ごしている。
そんな子、いたっけ?
今週のお題「ちょっとコワい話」
「じゃあ、12時に集合ねー!」
「迷わず行けるかなあ……^^;」
「楽しみーー!」
当時、私はSNSにある、とある写真サークルのグループに入っていた。本格的なものではなくて、結構ユルい感じのものだ。写真を通じて仲良くなろー! みたいなノリの。
ある時、希望者だけで京都へ一泊二日の撮影旅行に行こう! という企画がたてられて、私はその旅行に参加することにした。
SNSでの知り合いだと住んでいる場所がバラバラだ。とりあえずホテルだけ参加人数分おさえて、現地集合、現地解散ということになっていた。
私はその旅行に参加する、近くに住んでいる仲の良い友人A子にメッセージを送って、「一緒に行こうか?」と誘ってみた。けれど、その友人も前日に出張で関西方面に泊まっているのだという。全然別のルートだし、帰りだけ一緒に帰ろうということになった。
そうして、私は一人で新幹線に乗って、京都に向かって行った。
12時にホテルに待ち合わせだった。
朝イチで到着した人や、大阪に住んでいる人なんかは、「ホテルには泊まらへんけど、撮影は行こうかなー、思うて」なんて、朗らかに笑いながら参加していた。
「すみません、遅れますーー泣」
なんていう連絡も、もちろんあったけれど、とりあえず荷物をホテルに先に預けて、撮影に行こうかという流れになった。
SNSでの知り合いだと、顔と名前がまったく一致しない。顔写真をアップしていない人も多いし、ニックネームで登録しているためだ。
何人かは、オフ会だったり、他の撮影会で会ったこともあるけれど、半数くらいは初対面だった。みんな「京都なら、旅行がてら行きたいね」となって参加してみた、と言っていた。
友人A子もホテルに到着していて、「晴れて良かったねー」なんて言いながらみんなワクワクしていた。
はっきりとした自己紹介はしないまま、嵐山ルートと、貴船ルートに分かれての撮影しに行こうとなっていた。私はA子と一緒に貴船ルートに向かうことにした。他にも、大阪からきた男の人とかSNSでは何度かやりとりをしたことのある人、初めて見る小柄で、ショートヘアの女の子の5人で貴船に向かった。
さすがに大阪からきた男の子は地理感覚が強くて、私たちは彼に誘導してもらいながら叡山電車に乗って、緑のトンネルをキャアキャア言いながら通り抜けた。
ショートヘアの女の子は、おとなしいけれどシャッターチャンスを狙っては確実に写真を撮っていた。その女の子はレモンキャンディを持ってきていて、みんなに、ひとつずつ配ってくれたりもした。私はすぐには食べないで、ポケットにしまった。
貴船神社で写真を撮りたい! という人と、鞍馬山の山道ルートに行きたいという人がいたので、ふた手に分かれて撮影に行こうという話になった。みんな夕飯にはまた集まるし、そこで写真を見せ合おうよ! となった。
「とりあえず、せっかくだから記念写真を撮ってもらおうか?」とA子が提案した。
みんな三脚なんかは持ってきていなかったので、近くにいた観光客の人にシャッターを押してもらった。
私はA子と貴船神社を満喫したあとは、叡山電車に乗って、恵文社という本屋さんに行ったり、撮影というよりは普通の京都旅行を満喫していた。
「そういえば、あのショートヘアのかわいい人、鞍馬ルートに行ってたねー。山道散策だなんて見かけによらずタフだよね」
私はA子に何気なく言った。するとA子は「あの子、名前なんだっけ? 初めて会うから挨拶しなきゃ、と思ってたんだけど、なんかズルズル出発しちゃったでしょ? タイミングがそびれちゃった」と申し訳なさそうな顔で話した。
「あ! それ、私もそう! なんかさ、いまさら感があったから言えなくなっちゃった」
「だよねー。あの子、東京のオフ会で見たことないし、名古屋とか関西方面からの参加かもね」
ひとりで参加してる人もいるんだし、あんまし深く考えなくてもいいよね、と私達は話題を変えた。
ホテルに戻ると、鞍馬山ルートに行った男の人が先に戻っていた。ロビーの横に併設されているカフェでお茶を飲んでいたので、私たちはなんとなく声をかけた。
「先に戻ってたんですねー!」
「もうさ、みんな汗だくになっちゃって。いやー、普段どんだけ運動してないか思い知らされるよ」
明日は筋肉痛になりそうだよなぁ、なんて言いながら、ばしばしとふくらはぎを叩いている。
「大変だったんですねー。一緒に行ってた女の子は、平気だったんですか?」
私は何気なく聞いてみた。
特に気になって、というわけじゃないけれど、女の子は、か細くて大丈夫だったのかな? とちらりと浮かんだからだった。
しかし、予想外の言葉が返ってきた。
「あれ? あの子『女子だけで回りますー』って言って、鞍馬には来てないよ? 一緒じゃなかったの?」
私とA子は顔を見合わせた。
「あの……。私たちも一緒に行かない? って誘ったら、『せっかくだし、山にチャレンジしてみる!』って言ってたので、皆さんと一緒だと思ってたんですけど……」
私たち三人は皆首を傾げて、腑に落ちないままだった。
「あ! そういえば、写真撮ったよね」
そう言って、A子はごそごそとカメラを操作し始めた。
「えーと、結構撮ってるなあ……」と、ぶつぶつ言いながらカメラのデータを確認している。私も気になって、ちらちら覗き込む。
「あった! けど……」
A子の声は、明らかに戸惑っていた。私も見てみると、ディスプレイに表示されている写真には、ショートカットの女の子は、一緒に写ってはいなかった。
「私のさ、左隣にいた、よね? あの子」
私は少し震えた声でふたりに確認する。
「うん。たしか、そう……だよね?」
A子は私に同意して、彼も小さく頷いていた。
光の加減とかで消えてしまったのかもね、と三人とも納得はしていない、けれど何か理由をつけてでも、確かにいたと思いたかった。レモンキャンディだってもらったよね、とみんなで確認し合った。
「後でさ、主催者の人に聞いてみようよ。先に帰っちゃってたら、連絡してるかもだし」
とにかく、その場ではみんな、もうあまり考えたくなかった。
気味が悪かった。
夕飯の前に、A子とふたりで、撮影会を取り仕切っているリーダー的存在の鎌田くんに話を聞きに行ってみた。
私たちの説明を最後まで聞いてくれてはいたけれど、開口一番に、こう言った。
「そんな女の子、もともと参加してないよ?」
私たちは顔を見合わせた。
ポケットの中に入れた、レモンキャンディの袋がカサリと布地に擦れた音がした。
*このお話はフィクションです。
一本道だったのに。
今週のお題「ちょっとコワい話」
15年ほど前のこと。
私は大学一年生のときに体験した、ちょっと不思議な話だ。
はじめてのテストも無事に終わって、さあこれから夏休みだーー! と否が応でも盛り上がっていた。
サークルに入っていた私は、夏の合宿にもちろん参加した。場所は、なぜか、はっきりとは覚えていない。竹芝桟橋から夜に出発する船に乗った記憶があるので、東京の離島のどこか、だった。
三泊四日のサークルの合宿は、楽しかった。海水浴をしたり、女友達と一緒にお風呂に入ったり。馬鹿みたいに騒ぐ男子たちをゲラゲラ笑ったり、「Sくんのこと、好きなんだよね」とか、女子だけでひっそりと眠る前に行った告白大会なんかもあった。
二日目の夜には、肝だめしが開催された。
けれど、それはちゃんと下調べをされていたものだった。
普通に暮らしている人がいる町だったし、ギャーギャー騒いで迷惑をかけてはいけない。
ただ、まったく知らない町で、灯りはほとんどない暗い夜道。懐中電灯をひとつ持って歩くだけでも怖いものは、怖い。
先輩たちによって、入念に下調べされたルートを歩くだけれど、肝だめしが始まった。
簡単な手書きの地図が渡された。ルートを見ると、少し遠くの神社でお参りして、帰ってくるというものだった。
風の吹かない夜で、じめじめと蒸し暑かった。
潮の香りが、妙に生臭く感じて、すこし気持ち悪い。
肝だめしは、くじ引きで男女ペアを決めて進んでいった。男子部員の数が多いサークルだったので、男女のペア、もしくは男二人、女一人の三人になるところもあった。
私は三人トリオのチームになって、暗闇を歩いていった。一緒に歩いているのは、ひとつ年上の先輩と、同じ学年の男子。二人とも、肝だめしなんて全然怖がっていなくて、むしろ「怖いはなし」をして私を怖がらせようとしていた。
道に迷うといけない、という配慮もあった。
「おばけ役」の友人が曲がり角からでてきて、驚ろかすついでに道を教えてくれたりもした。私たちは、順調に歩いていった。
手書きの地図は、コピーが少し不鮮明になっていて、見えづらい。
でも、この先に道が分かれている様子もないし、まっすぐ行けば、もう神社に着くだろうと三人とも肝だめしというよりは、夜の散歩気分だった。
だけど。
「もうそろそろ、神社に着いても良さそうだよね?」
「うん。神社って、昼間に前を通った、あそこでしょ? そんなに距離ないよね」
「道が暗いと、距離感って狂うのかもな」
そんなことを言いながらも、ずっとまっすぐに歩いていった。
道はだんだん細くなって、しまいにはアスファルトの舗装もなくなってしまった。
「......これ、本当に、道、あってますかね?」
私はだんだんと、不安になってきた。
泥がサンダルの中に入ってきて、ぐじゅぐじゅと気持ち悪かった。
「……うーん、でも、道、他になかったしなあ」
「もうちょっと進んでみようぜ」
三人とも、なんとなく違和感を抱えながらも、そろりそろり歩いて行った。
少し行くと、階段状になっている道が見えてきた。
その階段も、山道を切り開いてつくられていて、舗装されていなかった。
なんとなく、のぼるのが怖かったので、三人ともためらっていた。
けれど、先輩が「おれ、見てくるから下で待ってて」と、登っていった。
もう一人の男子も、「おれも行きますー」なんて、ちょっとだけ空元気な声をだしてついていこうとする。
けれど、懐中電灯は一つしかなくて、暗闇の中にポツンと取り残された私は、やっぱり怖くなって、「ひとりになるのも、嫌だ―!」と言いながら一番最後について行った。
先輩が階段を上り終えたとき、「あ、ここだめだ。すぐ降りよう」といった。
私も、もう少しでつくところだったし、歩みを止めるわけにもいかず一番上まで登っていった。
そこには、お墓があった。
見渡す限り、お墓が広がっていた。
懐中電灯で照らすには、限度があったけれど、墓石と少し倒れかけた卒塔婆が所狭しと並んでいた。
遠くの方に、お墓をお参りしているのか、それとも、べつの何かは分からないけれど、
空気がうごめく気配もあった。
一瞬にして全身に波打つように、寒気が走った。
私たちはとっさに「この場所に長くいちゃいけない」と判断して
慌てて階段をおりた。
土がボロボロと崩れてしまいそうだったので、駆け下りたかったけれど、それも危なくて、できるかぎり急いでおりた。
階段をおりたところからは、小走りだった。
三人とも、何も言わず、ただ、来た道をひたすら戻っていった。
舗装された道までたどり着いた時には、「ここまでくれば、大丈夫だろう」と、ホッとしたけれど、恐怖感が押し寄せる波のように、やってきて泣きそうだった。
お化け役の先輩たちが、探しに来てくれて、私たちはかなり長い時間、迷っていたようだった。
けれど、どの、お化け役の人たちも「すれ違ったし、道もちゃんと間違わずに進んでいた」と言っていた。
道に迷ったのも、私たち三人だけだったし、「お墓なんて、あったっけ?」と、下見に行っていた先輩達も不思議がっていた。
なぜ、あの場所にたどり着いたのかは分からない。
あのまま、墓場に進んでいたら、どうなっていたのかも分からない。
けれど、一つだけ言えることがある。
戻ってこられて、良かった。