チューペット以上、アイスキャンデー未満。
今週のお題「好きなアイス」
子供のころ、夏の定番おやつ、といえばやっぱりアイスだった。
オトナになった今では、アイスは「飲み会の帰りに食べるもの」になってしまったけれど。
私が小さいころ、実家で使用していたのは上に冷凍庫、下に冷蔵スペースという2つの扉を開けるタイプの古臭いもの。その冷凍庫の扉をムダに開けては、涼しい風を顔面に受けては至福の一瞬を過ごした。ムダに扉を開けたあとは、「冷たい空気が逃げるやろ!」と ちょっと怒られたりもした。氷を1個だけ口に含んで、口の中のほっぺがビリビリ冷たくなりすぎる。ほんの一瞬だけ後悔するけれど、氷はあっという間に消えてしまって「あー、暑い!」とまた同じことを繰り返していた。
細長い、ウインナーみたいな形のビニル容器に、果物ジュースが入っている。容器の真ん中には、くびれがあって、ふたつに分けることができた。
私は姉と半分こして、よくチューペットを食べた。キンキンに凍っているから、素手で持つと手が痛い。タオルを巻いて食べるのだけど、タオルを巻くと早く溶けちゃうんじゃないか? とヤキモキしていた。
チューペットから、かなり格上げされたおやつとして「551のアイスキャンデー」があった。
これは、関西方面の人にしか理解してもらえないかも知れないけれど、やっぱり551があるときー! はみんな笑顔になるのだ。豚まんしか売ってない訳じゃあない。
父か母とどこかへ出かけた帰り道に、家族のお土産としてよく買っていた。
我が家では、宇治金時が一番人気だったけれど、チョコレート味は結構濃厚な味わいだったし、ミカンやパイナップルの果肉が入っている、フルーツ味も好きだった。
551でアイスキャンデーを買うのは、とても楽しみだった。それは、おいしいことはもちろんだけど、もう一つ理由があった。
それは、「ドライアイス」だった。
アイスキャンデーが溶けないように、保冷剤としてドライアイスが入れられていたのだ。
「何時間くらい、持ち歩きますか?」と聞かれて、その時間に合わせてドライアイスのブロックを入れてくれた。
ちょっとだけ、長めの時間を伝えて、お家に帰っても、ドライアイスの固体が残っているように。
今に帰ると、早速アイスキャンデーを食べながら、水を張ったお皿に浸す。
すると、ポコポコと音を立てながら、白い冷気がフワァっと流れ出すのだ。
私はそれが大好きだった。
アイスキャンデーを手に持っていることすら忘れてしまって、魅入ってしまうほどだった。
あまりにも釘付けになっていて、アイスキャンデーが溶けて落としてしまったこともある。
魅惑的なショータイムはすぐに終わってしまうので、ちょっとの瞬間も見逃せないのだ。まるで、あっという間に終わってしまう、夏の恋のように。
フワァッと白い靄を漂わせて、少しヒンヤリとした空気を纏っていたあの空気を思い出すと、心の中がキュンとする。
夏の思い出は、なんだか切ないセピア色な気がしてならない。
年齢を重ねるうえで、ひとつだけ決めたこと。
私自身は「若いころに戻りたい」なんて、まったく考えたことはない。
いま、36歳だから、もう少し歳を重ねていけば「30代に戻りたいわー!」とか、思うのかも知れない。けれど、今のところ、一年前にすら、戻りたいとは思わない。
それは、今が充実してるからでしょ? と思われるかも知れない。一年前はブログも書いていなかったし、とりまく環境がガラリと変わったのは確かである。今が充実してるか、と言われればしているかな? と思う。けれど「じゃあ、一年前は充実してなかったか?」と聞かれるてみても、多分楽しく暮らしていた。けれど、別に戻りたいか? と言われても「はい、戻りたいです」と即答できない。ひとつ未練があるとすれば、実家で暮らしていた犬が死んでしまったから、今戻れば会えるなあ……ということだけだ。
年と取る、というのは私にとっては「死」に近づく、という感覚が強い。マイナス思考とか、そういうことではなくて、こう考えるようになったのは、あるお話がきっかけだった。
そのお話は、村上春樹さんが書かれた短編で「プールサイド」というものだ。
詳しくあらすじは書かないけれど、この短編の中で私にとっては、かなり胸にせまるフレーズがあった。
それは「人生の折り返し」という言葉だ。
お話に出てくる主人公の男は、35歳を折り返し地点と定めていた。
70歳で、人生を終える計算だ。
70歳。
私は、どうだろう?
いつを人生の折り返しに定めようか?
このお話を20代のころに読んで、結構真剣に悩んでしまった。
もちろん、命を脅かすような病気に罹ってしまったら、折り返しだのなんだのとは言っていられない。けれど、治療を重ねて、まあまあ何とか元気、というのが親や親戚をみていても、そんなふうに過ごしている。
長生きしたい、とか、ポックリいきたい、とかいろいろ言っているけれど、明確に「何歳まで生きれば良い」と言っている人は少ないように思う。それが良いとか、悪いとかではない。
ただ、私自身は、人生の最終地点をいつにするか、自分でやんわりと覚悟を決めて生きていくのがいいのかなと感じたのだ。
実際の最終地点がいつになるかは、分からない。
明日かも知れない。
あと2時間後かも知れない。
それは、分からないことだ。
けれど、ただ怠惰に過ごしていくのは辞めて、いつか訪れる最後の日を意識して、毎日を大切に過ごしていこうと決めた。
私はもう、自分で決めた折り返し地点は過ぎている。
ラストスパートにはまだ早い。
けれど「後半の追い上げがすごい」と思えるように、日々暮らしていきたい。
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年齢には縛られたくない。けれど、割り切ってしまえば怖くない。
年齢なんて、単なる数字なだけ。
年齢に振り回されるなんてバカげてるでしょ。
誰が言ったのか、まったく覚えていないのだけど、やたらと記憶に残っているフレーズだ。
だけど、こんなセリフを事もなげに吐いてしまえるのはオトコの人なのかな? とぼんやりと考える。
オトコだから。とか、オンナだから。という議論をしたい訳じゃないけれど、やっぱり女の人は自分の年齢に縛られてしまうことがあるんじゃないかなと思う。それは、とても、生物としての雌、という意味において。
私自身はというと、年齢なんて関係ないでしょう? と思う反面、やっぱり縛られているところもある。
36歳、既婚。
子供は、いない。
子供を持たない、と夫と決めて、私自身は満足なのだ。夫婦そろって体調を大きく崩したこともある。子供を持つことがリスクになる、と思ってしまう以上、子供を育てずに暮らしていこうと決めたのだ。
私自身に、その気持ちには揺らぎはない。
だけど夫はどうなのだろう?
本当に、子供は要らなかったのか?
「子供が欲しいなら、私と別れて他の女の人と再婚してくださいね」と、何度か言ったこともある。
生物としての雄にも、年齢制限はあるだろうから。
年齢のことを考えると、ときどき頭をよぎる文章がある。
それは「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されたもので、ほぼ日手帳にも、「日々の言葉」という毎日のちょっとした言葉として何度も掲載されていた。
それは、こんな言葉だった。
『自分の年齢を3で割って、時間に置き換えてみてください』
というもの。
この言葉自体は、学校を卒業する学生に向けて、先生が「贈る言葉」として発したものということだった。
18歳なら3で割ると6。
午前6時、まだ起きていない人もいる時間。
あなた達は、これから可能性に満ち溢れているのだと、先生は仰ったという。
私はいま、36歳。3で割ると、ちょうどお昼の12時だ。
午後から、まだたっぷり時間は使える。
お昼寝したくなるかもしれないけれど。
しがらみや生物としての制限は、あるだろう。
けれど、わたしはまだまだ、やりたいことがたくさんある。
1日が終わるにはまだ12時間もあるし、なんなら夜ふかししてやろうじゃないか。
年齢になんて、縛られたくはない。
だって、年齢は、たんなる数字としての指標なだけでしょ?
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長い下り坂の向こうには、何があったのかな?
今週のお題「私の『夏うた』」
高校三年生の夏。
みんな、受験、受験、受験と受験の話題で持ちきりだった。
けれど、受験一色、というわけでもなく、私たちは夏休み明けにある文化祭の準備を思う存分楽しんでいた。勉強以外にやらなきゃいけないことの口実、として、みんな塾に行く前の時間などに集まったりしていた。
私たちの高校は、三年生は「演劇」に決まっていた。立て看板と、垂れ幕もつくり来場者にそれぞれ、良かったものを投票してもらうことになっていた。
理系と準理系として、センター試験を受ける子達や、看護系、薬学系を目指している合同クラスに私はいた。高校自体は共学だけど、そのクラスは三分の二が男子でむさ苦しく、暑苦しかった。そしてなぜか、彼らのあいだで「太陽に吠えろ」が流行っていて、演劇の題材も「太陽に吠えろ」の、ある回をモチーフとしてやろう! という意見に飲み込まれ、みなしぶしぶオーケーした。女子は「劇に出なくていいし、ラクだよね」なんて言いながら看板係や、垂れ幕係に分かれて他にも大道具や小道具、衣装などの準備の係を担当した。
垂れ幕や看板は、できる限り夏休みのあいだに進めよう! ということになり、日にちをみんなで決めて集まった。
みんなな心の中には「受験」への不安な気持ちが漬物石のように、ズッシリとした質量を持って確実に存在していた。けれど、なるべくその不安な気持ちを見つめないようにして、ばか騒ぎしていた。
私は垂れ幕係だったけれど、なぜか看板の制作を手伝っていた。私たちがつくる看板は石原裕次郎さんが演じていた「ボス」の似顔絵をちぎり絵で描くものだった。二メートル近くの高さがある看板には、折り紙では追いつかず、模造紙に絵の具でムラなく色を塗って、乾かしてからちぎって、コツコツ板に貼っていった。
私はコツコツやる作業を全く苦に感じなかったけれど、やはり何か音楽があるとはかどりそうだね! と話し合っていた。
そうして、小さなラジオを持って来てくれた子がいた。今ならiPodでも、iPhoneでも音楽は簡単に聞けるけど、当時はMDウォークマンか、CDウォークマンだった。ウォークマンだとスピーカーにつなげなきゃ、みんなで聴けない。スピーカーなんて洒落たものはないから、ラジオを持ってきてくれたのだった。
FM802をかけると、ゆずの「夏色」が繰り返し流れていた。ちょうど6月にリリースしたばかりで、パワーチューンとして何度も何度も流されていた。
私は、ゆずのことは知らなかったけれど、好きな男の子が「ゆずって良いよなー」って言っているのを聞いて、ラジオから流れる曲を必死になって覚えようとしていた。
何度もかかるため、私は自然と覚えてしまったし、一緒に作業をしていたみんなも曲を覚えてしまった。「夏色」が流れ出すとみんなで歌いだすほどだった。
好きな男の子と一緒に歌っていたときに「君を自転車の後ろに乗せて」のところで、彼の自転車の後ろに乗れたらいいなぁ、なんてぼんやり考えたりもした。
けれど、彼は、こっそりと付き合っている子がいたらしい。みんなには内緒で。誰かが偶然、街で見かけたのだ。
ふたりで一台の自転車に乗っているところを。
噂は大っぴらに広まって、私の耳にも入ってきた。あのかわいい子と付き合ってるんだ。そう、お似合いだよね。自分に言い聞かせるように、みんなでコソコソ話していた。
あっというまに夏は終わって、バタバタと文化祭も始まった。私たちのクラスが演じた「太陽に吠えろ」は先生や、来賓の親たちには受けていたけれど、一位にはならなかった。
みんなで歌いながら作った、ちぎり絵の看板は評価されて、アンケートで看板部門では第1位になった。
文化祭が終わってしまうと、みな受験に向き合わなきゃいけなくなる。お祭り気分はもう終わらなきゃいけない。みんなまだお祭りの中にいたい気持ちから、文化祭の後夜祭で「夏色」を歌っていた。
少し離れたところで、彼が彼女と手をつないでいるのが、ちらりと、見えた。
テストのヤマを当てるには、ロバート秋山になればいい
今週のお題「テスト」
私が大学生だったのが、もう15年以上も前のことかと思うと愕然とする。
ちょうど7月には前期終了のテストがあって、結構大変だったなあと思い返してみる。私はあんまり、というか全然要領が良くない。出席をとらない授業なんて、受けなくていいってことでしょ? という周りの友達が羨ましかった。授業に出なくても、理解できるなんてすごいなあと思っていた。
朝一番の授業には、何度か遅刻してしまったけれど、だいたいの授業にキチンと出席していた。
大学教授っていう人たちは、みんな結構「クセ」がすごい。千鳥のノブのネタか? と思うほどに。話し方のクセがすごい。髪型のクセがすごい。怒りだすポイントのクセがすごい人もいた。
私は授業中、講義内容はノートを取っていたけれど、教授を観察する、というのも欠かさなかった。クセがありすぎて苦手な教授もいたけれど、講義を聞いているぶんには何も問題なかった。
「ここが大事だからね!」と言ってくれる教授もいたけれど、大事といわれても丸暗記すればいいのか、何かアレンジして出題してくるのかは、わからない。
過去問が出回ったりもしたけれど、教授達はだいたい揃って気まぐれで、それもあまりあてにはできなかった。
テスト期間が近づくにつれ、私のノートを借りたいという友人もいた。授業を受けずにノートだけを見て理解できるなんてすごいなあと、ボンヤリしている私は思っていたけれど、友人達も「どこが出そう?」なんて聞いてきくる。そんなことなら、ちゃんと授業に出てればいいのにと、チクリと嫌みを言いながらノートを貸してあげた。
しかし、ノートをきちんと取っていても「何が出題されるか」は分からない。もちろん、何から何まで理解していれば問題ないのだけれど。
ある時、私はノートを見返しながら、「クセのすごい教授達」に成りきってみた。時には口グセとかつぶやきながら、講義内容を思い返す。
私が、この教授なら……。
そう思いながらノートを見返し続けていくと「私ならここを、こんなふうに出題する!」というポイントがキラリとひらめくのだ。
……何それ? と思われるかもしれないけれど、事実なのである。
教授に、なりきって考えてみるのだ。
この授業を通して、1番言いたかったポイントは何? 何を理解しているか、教授は何を気にしてる? 私が教授ならば、今回の授業でどこのポイントをテストに出したい?
ちょっとイジワルな教授なら、多分こんな感じかな? あの教授は多分ここを出題するだろう。
なりきってみると、案外答えが見えてくるのだ。
私がこの方法でテストに挑み続け、一度も出席していなかった友人達に「多分、ここと、ここを、こんな風に出題すると思う」とアドバイスした。結果的に、私も友人達も、かなりの好成績だった。
なりきり勉強法は、受験には全く通用しない。
けれど、「この場面では、何を求められているか? 相手が求めている回答はどれか?」を考える習慣は、これまでの人生でかなり役に立っている。相手の顔色を伺っているのではなくて、相手の思考を先回りして考える、ということだ。
この立場の人なら、この職業の人なら、どんなことを言うだろうか? それを考えてみると良いと思う。
ある人になりきる、というのはロバート秋山さんのクリエイターズファイルがまさにそれだ。
なりきることで「この人、こんなこと言いそう!」だと思わせ、実在しているかのような人物像を作り上げている。
いろいろな人を観察しているからこそできる芸だと思う。
その点、教授になりきるのは簡単だ。目の前にいるのだから、観察すれば良い。授業を通して観察すれば、自ずと答えは見えてくるのだ。
大学前期の試験には間に合わないかもしれないけれど、ぜひ一度、お試しあれ。
魔法が使えても、やりたくないこと。
今週のお題「もしも魔法が使えたら」
魔法が使えたら、というお題ですが、魔法にもいろいろあるな、とふと思います。
全知全能的な魔法使いっていうのも、もちろんいますが。
例えば変身できるだけの魔法。呪文を唱えて「〇〇になぁれ〜」みたいなやつですね。サリーちゃんとか、秘密のアッコちゃんとか、ミンキーモモとか、クリーミーマミとか。......年代を物語ってますが。
単純に、誰かに変身したいかなあ? と考えてみてもあんまり思い浮かびません。魔法が使えたとしても、わたしはあんまり変身はしたくないのかもしれません。多分、男の人の方がイロイロ妄想するかもしれないですよね。
アンジャッシュの渡部さんに変身して、佐々木希さんとモニョモニョしたいとか、DAIGOさんに変身して、北川景子さんとムニュムニュしたいとか。まあ、イロイロあるでしょうね。
次に、空を飛べるやつ。
ホウキに乗ったり乗らなかったり。
ハリーポッターとか、サリーちゃんとか。
わたし、これは絶対にやりたくないんです。
なぜか? 簡単ですよ。
高所恐怖症だから、です。
何を好んで高いところに行くんですか? 絶対嫌です。しかも! ホウキのスピードが出るのもこわい。手を離してしまって即落下しますね。絶対に。
若返り、とか永遠の命とかもあんまり興味がありません。
一緒に暮らしているネコの寿命を伸ばせる(病気とかも治せる)なら使ってもいいかな? とは思いますが。わたし自身だけならば、いらんなぁと思います。永遠に生きるのは、多分しんどいと思うんですよね。嫌な時代もあるでしょうし。やっぱり限りがあるからこそ、「やったるでー!」とガムシャラになるんじゃないかなあと思うんです。
ここまで3つあげてみましたが。やっぱりどれもそんなにやりたくないなあと思います。
でも、ふと今思ったのは20年前とかを考えてみると、今は魔法を使ってるみたいにも感じます。スマホとか。ルンバとか。
自動ドアとかも、昔の人からしてみると
「なんや! 勝手に扉が開いたぞ? 魔法か!」って思うんですよね。きっと。
そう考えると、私たちはすでに魔法(のような道具、もしくは手品)使いなんだなぁと思います。