ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

ほんとうの一人暮らしを始めてみて、分かったこと。

六畳一間のアパートで一人暮らしを始めたのは、18歳のときだった。

実家から離れた大学に通うことになり、受験のときに駅前で配られていたチラシの中から見つけた新築二階建てのアパート。家賃との兼ね合いもあり、その一階部分に住むことになった。

 

一人暮らしを始めたばかりのころは、やっぱりさびしくて、ホームシックにもなった。

けれども、大学生活は始まってしまえば思った通り、いやそれ以上に楽しかった。

心の中でくるくると渦巻いていた寂しさなんか、ぴゅうっと大きな風が吹いたとたんにどこかへ飛んでいってしまった。

 

新しくできた、やっぱり一人暮らしのお友達の家に泊まりに行ったり。にぎやかなサークルに所属していつも誰かと一緒にいたり。新しくはじめたコンビニのバイトは夜十時までの勤務だったので、家に帰るころには鍋で煮込まれた白菜のようにクッタリとなっていた。アパートにたどり着いたら疲れ果てていて、ただ眠るだけだった。一人暮らしをはじめて、半年ほど過ぎたころには年上の彼氏ができ、ほとんど「ひとり」を感じる時間が少なくなっていった。

大学生活では友人や彼氏に助けられていた。仕送りを使い切ってしまって今月の数日はピンチだ、なんていう友人と家にある食材を持ち寄って、適当だけど楽しく料理をしたりだとか、友人が順番にインフルエンザに罹ったときには、ポカリだとかレトルトのおかゆなんかをたくさん買い込んで、ビニール袋いっぱいに詰め込んで、玄関先の扉にぶら下げたりもしていた。

「一人暮らし同盟」ともいえる友人が、たくさん近隣に住んでいたこともありがたかった。

 

大学を卒業し、就職する時期にあると、それぞれが今まで住んでいた家を離れることになる。大学の寮に住んでいた友達もいたし、そもそも地元に戻る、という友達もいた。

それぞれが、それぞれの道を進んでいくことになり、また一抹の寂しさを覚えた。けれどもう学生じゃなくて、社会人になるんだという、気持ちが引き締まるような思いが寂しさ以上におおきくて、なんだかプレッシャーのようでもあった。

 

社会人として働き始めると、それまで実家の両親からもらっていた仕送りではなく、自分の裁量で一人暮らしで借りているアパートの家賃を払うことになった。残業などをしなければ手取り17万円ほどの給料。贅沢はできない細々とした暮らしぶりが始まった。けれど、「親からの経済的自立」という、これまでにない一社会人としての責任感みたいなものが生まれたと思う。

 

働き始めて程なくして、大学時代からずっと付き合っていた彼氏と別れることになった。大学生のころは、年上だし大人だと感じていた彼氏のことが、急に子供じみた人だと冷めてしまった。単に、私の視野が広がったのか、学生のノリが変わらなさすぎる彼氏に飽きてしまったのか、もしくはその両方が原因だろう。

 

そうして私ははじめて、本当の意味での「一人暮らし」をはじめることになった。

 

月曜日から金曜日までは朝から晩まで職場にいるけれど、週末のお休みには何をして過ごせばいいのか分からなくなるときがあった。

平日にこなせずに、ためにためた洗濯物を片付けたり。日曜日にたくさん料理を作って、小分けにしておいたり。ひたすら家事をしていたけれど、ただそれだけだった。大学時代の友人に会うにしても、二、三ヶ月に一度くらい。職場での飲み会にしても、それほど開催されているわけではなかった。ただ単に誘われていなかっただけかもしれないのだけれど。

 

ぽっちりと、せまいアパートでひとり。

みているわけでもなく、ただただテレビのチャンネルをザッピングしてみたり。持て余した時間ばかりが、ぎゅうぎゅうと部屋の中で膨らんでいった。寂しいかと言われれば寂しかったのだけれど、ひとりなんだから、と無理やりにでも考えていた。

 

ある冬の日、私は風邪をこじらせてしまい、高熱を出した。

近所に頼れる知人は、誰ひとりいない。トイレに行くにも這うようにしか動けないほどダルく、自分の身体とは思えないほどにぐんにゃりと重かった。ちょっと動いただけでもしんどくて、水分補給のポカリを買いに行く体力なんて残されていない。ただただ水道水をマグカップに入れて、飲むしかなかった。

ひとりでぐにゃぐにゃとベッドで横たわっているのもしんどくて、枕元に置いていたテレビをつけた。つけた瞬間に、ハーゲンダッツアイスクリーム期間限定「アップルパイ」のCMが流れはじめた。

私はそのCMを食い入るように見つめたのち、アップルパイのアイスクリームが無性に食べたくなっていた。

アップルパイのアイス。ハーゲンダッツアイスクリーム、期間限定のアップルパイ風味! きっと、歩いて五分の場合にあるコンビニエンスストアに行けば売っているに違いない。ああ、食べたい……! 頭の中でぐるぐると、マントラのように「ハーゲンダッツ、アップルパイ」という言葉が回り続けていた。

熱が下がっていればコンビニへ買いに行こう。そう心に決めて体温計を脇に挟んでみたけれど、あいかわらず38度以上の数字を示している。病院で処方された解熱剤も思うようには効いてくれない。

身体を持ち上げることすら辛かったけれど、ハーゲンダッツアイスクリームCMの魔力に取り憑かれてしまった私は、少しの間悩んだものの、コンビニへアイスクリームを買いに行く決意をしたのだった。どちらにせよ、簡単に食べられるものも買ってこないと、冷蔵庫の中も空っぽになっていた。

 

そこからどうやってコンビニまで行ったのかは記憶がない。ただ、コンビニでカゴを持つことすらふらふらで、店員さんに心配されたことだけが記憶に残っている。レジでお金を払った記憶もない。けれど、あとで財布を確認したらぐしゃぐしゃに、握りつぶしたレシートが入っていたので、支払いはすませたようだった。

 

家に戻って、ちから尽き果てた私は、ベッドに倒れこんでしまった。そして、そのまま眠ってしまった。力を振り絞ってまで買いに行ったアイスクリームを冷凍庫に入れないままで。

 

二時間近く経過してから、私はようやく目を覚ました。着ていた服は汗ぐっしょりで、べたべたと身体にまとわりついて気持ち悪かった。床にはコンビニのビニール袋が所在なさげに転がっていた。

食べたい食べたいと切望していたハーゲンダッツアイスクリームのアップルパイ味は、すでに原型をとどめていなかった。無造作にビニール袋を置いてしまっていたせいで、アイスのカップは斜めになり、紙のふたの隙間から、もはや液体に変わってしまったアイスクリームがドロドロとこぼれて、ビニール袋の中で広がっていた。

 

そのビニール袋の中で広がる惨状をみて、私は無性に悲しくなった。なぜだか、急に涙が止まらなくなってしまった。ひとりだと、風邪をひいて熱が出ても、アイスは自分で買いに行かなきゃいけないし、アイスを食べることすら、思うようにいかないのだと思うと涙が出てきて止まらなくなってしまった。

実家にいれば「アイスは身体が冷えるんちゃう?」と言われながらも買ってきてくれただろう。大学時代ならば一人暮らし同盟の友人に頼めば「えー、ハーゲンダッツなんか高いから買いたくないー」なんて言われながらも、買ってきてくれたに違いない。

けれど、こうして、本当にひとりで暮らしていると誰にも頼むことができない。辛かろうがなんだろうが、ひとりでやらなきゃいけないんだという事実を突然目の前に叩きつけられてしまった。なんだか、とても悲しくて辛かった。熱に浮かされて感情的になっていたこともあるのだけれど、なんだかとても悲しくて、涙が止まらなかった。

 

少しだけ気持ちが落ち着いてから、実家の姉にメールを送った。

「熱が出てつらい。アイスも食べられへん」と、書いたらすぐに返事がきた。

「アイスは身体が冷えそうやし、プリンにしたら?」

携帯電話のディスプレイに光る短い文字が、なんだかとても暖かく感じられたのだった。