そんな子、いたっけ?
今週のお題「ちょっとコワい話」
「じゃあ、12時に集合ねー!」
「迷わず行けるかなあ……^^;」
「楽しみーー!」
当時、私はSNSにある、とある写真サークルのグループに入っていた。本格的なものではなくて、結構ユルい感じのものだ。写真を通じて仲良くなろー! みたいなノリの。
ある時、希望者だけで京都へ一泊二日の撮影旅行に行こう! という企画がたてられて、私はその旅行に参加することにした。
SNSでの知り合いだと住んでいる場所がバラバラだ。とりあえずホテルだけ参加人数分おさえて、現地集合、現地解散ということになっていた。
私はその旅行に参加する、近くに住んでいる仲の良い友人A子にメッセージを送って、「一緒に行こうか?」と誘ってみた。けれど、その友人も前日に出張で関西方面に泊まっているのだという。全然別のルートだし、帰りだけ一緒に帰ろうということになった。
そうして、私は一人で新幹線に乗って、京都に向かって行った。
12時にホテルに待ち合わせだった。
朝イチで到着した人や、大阪に住んでいる人なんかは、「ホテルには泊まらへんけど、撮影は行こうかなー、思うて」なんて、朗らかに笑いながら参加していた。
「すみません、遅れますーー泣」
なんていう連絡も、もちろんあったけれど、とりあえず荷物をホテルに先に預けて、撮影に行こうかという流れになった。
SNSでの知り合いだと、顔と名前がまったく一致しない。顔写真をアップしていない人も多いし、ニックネームで登録しているためだ。
何人かは、オフ会だったり、他の撮影会で会ったこともあるけれど、半数くらいは初対面だった。みんな「京都なら、旅行がてら行きたいね」となって参加してみた、と言っていた。
友人A子もホテルに到着していて、「晴れて良かったねー」なんて言いながらみんなワクワクしていた。
はっきりとした自己紹介はしないまま、嵐山ルートと、貴船ルートに分かれての撮影しに行こうとなっていた。私はA子と一緒に貴船ルートに向かうことにした。他にも、大阪からきた男の人とかSNSでは何度かやりとりをしたことのある人、初めて見る小柄で、ショートヘアの女の子の5人で貴船に向かった。
さすがに大阪からきた男の子は地理感覚が強くて、私たちは彼に誘導してもらいながら叡山電車に乗って、緑のトンネルをキャアキャア言いながら通り抜けた。
ショートヘアの女の子は、おとなしいけれどシャッターチャンスを狙っては確実に写真を撮っていた。その女の子はレモンキャンディを持ってきていて、みんなに、ひとつずつ配ってくれたりもした。私はすぐには食べないで、ポケットにしまった。
貴船神社で写真を撮りたい! という人と、鞍馬山の山道ルートに行きたいという人がいたので、ふた手に分かれて撮影に行こうという話になった。みんな夕飯にはまた集まるし、そこで写真を見せ合おうよ! となった。
「とりあえず、せっかくだから記念写真を撮ってもらおうか?」とA子が提案した。
みんな三脚なんかは持ってきていなかったので、近くにいた観光客の人にシャッターを押してもらった。
私はA子と貴船神社を満喫したあとは、叡山電車に乗って、恵文社という本屋さんに行ったり、撮影というよりは普通の京都旅行を満喫していた。
「そういえば、あのショートヘアのかわいい人、鞍馬ルートに行ってたねー。山道散策だなんて見かけによらずタフだよね」
私はA子に何気なく言った。するとA子は「あの子、名前なんだっけ? 初めて会うから挨拶しなきゃ、と思ってたんだけど、なんかズルズル出発しちゃったでしょ? タイミングがそびれちゃった」と申し訳なさそうな顔で話した。
「あ! それ、私もそう! なんかさ、いまさら感があったから言えなくなっちゃった」
「だよねー。あの子、東京のオフ会で見たことないし、名古屋とか関西方面からの参加かもね」
ひとりで参加してる人もいるんだし、あんまし深く考えなくてもいいよね、と私達は話題を変えた。
ホテルに戻ると、鞍馬山ルートに行った男の人が先に戻っていた。ロビーの横に併設されているカフェでお茶を飲んでいたので、私たちはなんとなく声をかけた。
「先に戻ってたんですねー!」
「もうさ、みんな汗だくになっちゃって。いやー、普段どんだけ運動してないか思い知らされるよ」
明日は筋肉痛になりそうだよなぁ、なんて言いながら、ばしばしとふくらはぎを叩いている。
「大変だったんですねー。一緒に行ってた女の子は、平気だったんですか?」
私は何気なく聞いてみた。
特に気になって、というわけじゃないけれど、女の子は、か細くて大丈夫だったのかな? とちらりと浮かんだからだった。
しかし、予想外の言葉が返ってきた。
「あれ? あの子『女子だけで回りますー』って言って、鞍馬には来てないよ? 一緒じゃなかったの?」
私とA子は顔を見合わせた。
「あの……。私たちも一緒に行かない? って誘ったら、『せっかくだし、山にチャレンジしてみる!』って言ってたので、皆さんと一緒だと思ってたんですけど……」
私たち三人は皆首を傾げて、腑に落ちないままだった。
「あ! そういえば、写真撮ったよね」
そう言って、A子はごそごそとカメラを操作し始めた。
「えーと、結構撮ってるなあ……」と、ぶつぶつ言いながらカメラのデータを確認している。私も気になって、ちらちら覗き込む。
「あった! けど……」
A子の声は、明らかに戸惑っていた。私も見てみると、ディスプレイに表示されている写真には、ショートカットの女の子は、一緒に写ってはいなかった。
「私のさ、左隣にいた、よね? あの子」
私は少し震えた声でふたりに確認する。
「うん。たしか、そう……だよね?」
A子は私に同意して、彼も小さく頷いていた。
光の加減とかで消えてしまったのかもね、と三人とも納得はしていない、けれど何か理由をつけてでも、確かにいたと思いたかった。レモンキャンディだってもらったよね、とみんなで確認し合った。
「後でさ、主催者の人に聞いてみようよ。先に帰っちゃってたら、連絡してるかもだし」
とにかく、その場ではみんな、もうあまり考えたくなかった。
気味が悪かった。
夕飯の前に、A子とふたりで、撮影会を取り仕切っているリーダー的存在の鎌田くんに話を聞きに行ってみた。
私たちの説明を最後まで聞いてくれてはいたけれど、開口一番に、こう言った。
「そんな女の子、もともと参加してないよ?」
私たちは顔を見合わせた。
ポケットの中に入れた、レモンキャンディの袋がカサリと布地に擦れた音がした。
*このお話はフィクションです。
一本道だったのに。
今週のお題「ちょっとコワい話」
15年ほど前のこと。
私は大学一年生のときに体験した、ちょっと不思議な話だ。
はじめてのテストも無事に終わって、さあこれから夏休みだーー! と否が応でも盛り上がっていた。
サークルに入っていた私は、夏の合宿にもちろん参加した。場所は、なぜか、はっきりとは覚えていない。竹芝桟橋から夜に出発する船に乗った記憶があるので、東京の離島のどこか、だった。
三泊四日のサークルの合宿は、楽しかった。海水浴をしたり、女友達と一緒にお風呂に入ったり。馬鹿みたいに騒ぐ男子たちをゲラゲラ笑ったり、「Sくんのこと、好きなんだよね」とか、女子だけでひっそりと眠る前に行った告白大会なんかもあった。
二日目の夜には、肝だめしが開催された。
けれど、それはちゃんと下調べをされていたものだった。
普通に暮らしている人がいる町だったし、ギャーギャー騒いで迷惑をかけてはいけない。
ただ、まったく知らない町で、灯りはほとんどない暗い夜道。懐中電灯をひとつ持って歩くだけでも怖いものは、怖い。
先輩たちによって、入念に下調べされたルートを歩くだけれど、肝だめしが始まった。
簡単な手書きの地図が渡された。ルートを見ると、少し遠くの神社でお参りして、帰ってくるというものだった。
風の吹かない夜で、じめじめと蒸し暑かった。
潮の香りが、妙に生臭く感じて、すこし気持ち悪い。
肝だめしは、くじ引きで男女ペアを決めて進んでいった。男子部員の数が多いサークルだったので、男女のペア、もしくは男二人、女一人の三人になるところもあった。
私は三人トリオのチームになって、暗闇を歩いていった。一緒に歩いているのは、ひとつ年上の先輩と、同じ学年の男子。二人とも、肝だめしなんて全然怖がっていなくて、むしろ「怖いはなし」をして私を怖がらせようとしていた。
道に迷うといけない、という配慮もあった。
「おばけ役」の友人が曲がり角からでてきて、驚ろかすついでに道を教えてくれたりもした。私たちは、順調に歩いていった。
手書きの地図は、コピーが少し不鮮明になっていて、見えづらい。
でも、この先に道が分かれている様子もないし、まっすぐ行けば、もう神社に着くだろうと三人とも肝だめしというよりは、夜の散歩気分だった。
だけど。
「もうそろそろ、神社に着いても良さそうだよね?」
「うん。神社って、昼間に前を通った、あそこでしょ? そんなに距離ないよね」
「道が暗いと、距離感って狂うのかもな」
そんなことを言いながらも、ずっとまっすぐに歩いていった。
道はだんだん細くなって、しまいにはアスファルトの舗装もなくなってしまった。
「......これ、本当に、道、あってますかね?」
私はだんだんと、不安になってきた。
泥がサンダルの中に入ってきて、ぐじゅぐじゅと気持ち悪かった。
「……うーん、でも、道、他になかったしなあ」
「もうちょっと進んでみようぜ」
三人とも、なんとなく違和感を抱えながらも、そろりそろり歩いて行った。
少し行くと、階段状になっている道が見えてきた。
その階段も、山道を切り開いてつくられていて、舗装されていなかった。
なんとなく、のぼるのが怖かったので、三人ともためらっていた。
けれど、先輩が「おれ、見てくるから下で待ってて」と、登っていった。
もう一人の男子も、「おれも行きますー」なんて、ちょっとだけ空元気な声をだしてついていこうとする。
けれど、懐中電灯は一つしかなくて、暗闇の中にポツンと取り残された私は、やっぱり怖くなって、「ひとりになるのも、嫌だ―!」と言いながら一番最後について行った。
先輩が階段を上り終えたとき、「あ、ここだめだ。すぐ降りよう」といった。
私も、もう少しでつくところだったし、歩みを止めるわけにもいかず一番上まで登っていった。
そこには、お墓があった。
見渡す限り、お墓が広がっていた。
懐中電灯で照らすには、限度があったけれど、墓石と少し倒れかけた卒塔婆が所狭しと並んでいた。
遠くの方に、お墓をお参りしているのか、それとも、べつの何かは分からないけれど、
空気がうごめく気配もあった。
一瞬にして全身に波打つように、寒気が走った。
私たちはとっさに「この場所に長くいちゃいけない」と判断して
慌てて階段をおりた。
土がボロボロと崩れてしまいそうだったので、駆け下りたかったけれど、それも危なくて、できるかぎり急いでおりた。
階段をおりたところからは、小走りだった。
三人とも、何も言わず、ただ、来た道をひたすら戻っていった。
舗装された道までたどり着いた時には、「ここまでくれば、大丈夫だろう」と、ホッとしたけれど、恐怖感が押し寄せる波のように、やってきて泣きそうだった。
お化け役の先輩たちが、探しに来てくれて、私たちはかなり長い時間、迷っていたようだった。
けれど、どの、お化け役の人たちも「すれ違ったし、道もちゃんと間違わずに進んでいた」と言っていた。
道に迷ったのも、私たち三人だけだったし、「お墓なんて、あったっけ?」と、下見に行っていた先輩達も不思議がっていた。
なぜ、あの場所にたどり着いたのかは分からない。
あのまま、墓場に進んでいたら、どうなっていたのかも分からない。
けれど、一つだけ言えることがある。
戻ってこられて、良かった。
チューペット以上、アイスキャンデー未満。
今週のお題「好きなアイス」
子供のころ、夏の定番おやつ、といえばやっぱりアイスだった。
オトナになった今では、アイスは「飲み会の帰りに食べるもの」になってしまったけれど。
私が小さいころ、実家で使用していたのは上に冷凍庫、下に冷蔵スペースという2つの扉を開けるタイプの古臭いもの。その冷凍庫の扉をムダに開けては、涼しい風を顔面に受けては至福の一瞬を過ごした。ムダに扉を開けたあとは、「冷たい空気が逃げるやろ!」と ちょっと怒られたりもした。氷を1個だけ口に含んで、口の中のほっぺがビリビリ冷たくなりすぎる。ほんの一瞬だけ後悔するけれど、氷はあっという間に消えてしまって「あー、暑い!」とまた同じことを繰り返していた。
細長い、ウインナーみたいな形のビニル容器に、果物ジュースが入っている。容器の真ん中には、くびれがあって、ふたつに分けることができた。
私は姉と半分こして、よくチューペットを食べた。キンキンに凍っているから、素手で持つと手が痛い。タオルを巻いて食べるのだけど、タオルを巻くと早く溶けちゃうんじゃないか? とヤキモキしていた。
チューペットから、かなり格上げされたおやつとして「551のアイスキャンデー」があった。
これは、関西方面の人にしか理解してもらえないかも知れないけれど、やっぱり551があるときー! はみんな笑顔になるのだ。豚まんしか売ってない訳じゃあない。
父か母とどこかへ出かけた帰り道に、家族のお土産としてよく買っていた。
我が家では、宇治金時が一番人気だったけれど、チョコレート味は結構濃厚な味わいだったし、ミカンやパイナップルの果肉が入っている、フルーツ味も好きだった。
551でアイスキャンデーを買うのは、とても楽しみだった。それは、おいしいことはもちろんだけど、もう一つ理由があった。
それは、「ドライアイス」だった。
アイスキャンデーが溶けないように、保冷剤としてドライアイスが入れられていたのだ。
「何時間くらい、持ち歩きますか?」と聞かれて、その時間に合わせてドライアイスのブロックを入れてくれた。
ちょっとだけ、長めの時間を伝えて、お家に帰っても、ドライアイスの固体が残っているように。
今に帰ると、早速アイスキャンデーを食べながら、水を張ったお皿に浸す。
すると、ポコポコと音を立てながら、白い冷気がフワァっと流れ出すのだ。
私はそれが大好きだった。
アイスキャンデーを手に持っていることすら忘れてしまって、魅入ってしまうほどだった。
あまりにも釘付けになっていて、アイスキャンデーが溶けて落としてしまったこともある。
魅惑的なショータイムはすぐに終わってしまうので、ちょっとの瞬間も見逃せないのだ。まるで、あっという間に終わってしまう、夏の恋のように。
フワァッと白い靄を漂わせて、少しヒンヤリとした空気を纏っていたあの空気を思い出すと、心の中がキュンとする。
夏の思い出は、なんだか切ないセピア色な気がしてならない。
年齢を重ねるうえで、ひとつだけ決めたこと。
私自身は「若いころに戻りたい」なんて、まったく考えたことはない。
いま、36歳だから、もう少し歳を重ねていけば「30代に戻りたいわー!」とか、思うのかも知れない。けれど、今のところ、一年前にすら、戻りたいとは思わない。
それは、今が充実してるからでしょ? と思われるかも知れない。一年前はブログも書いていなかったし、とりまく環境がガラリと変わったのは確かである。今が充実してるか、と言われればしているかな? と思う。けれど「じゃあ、一年前は充実してなかったか?」と聞かれるてみても、多分楽しく暮らしていた。けれど、別に戻りたいか? と言われても「はい、戻りたいです」と即答できない。ひとつ未練があるとすれば、実家で暮らしていた犬が死んでしまったから、今戻れば会えるなあ……ということだけだ。
年と取る、というのは私にとっては「死」に近づく、という感覚が強い。マイナス思考とか、そういうことではなくて、こう考えるようになったのは、あるお話がきっかけだった。
そのお話は、村上春樹さんが書かれた短編で「プールサイド」というものだ。
詳しくあらすじは書かないけれど、この短編の中で私にとっては、かなり胸にせまるフレーズがあった。
それは「人生の折り返し」という言葉だ。
お話に出てくる主人公の男は、35歳を折り返し地点と定めていた。
70歳で、人生を終える計算だ。
70歳。
私は、どうだろう?
いつを人生の折り返しに定めようか?
このお話を20代のころに読んで、結構真剣に悩んでしまった。
もちろん、命を脅かすような病気に罹ってしまったら、折り返しだのなんだのとは言っていられない。けれど、治療を重ねて、まあまあ何とか元気、というのが親や親戚をみていても、そんなふうに過ごしている。
長生きしたい、とか、ポックリいきたい、とかいろいろ言っているけれど、明確に「何歳まで生きれば良い」と言っている人は少ないように思う。それが良いとか、悪いとかではない。
ただ、私自身は、人生の最終地点をいつにするか、自分でやんわりと覚悟を決めて生きていくのがいいのかなと感じたのだ。
実際の最終地点がいつになるかは、分からない。
明日かも知れない。
あと2時間後かも知れない。
それは、分からないことだ。
けれど、ただ怠惰に過ごしていくのは辞めて、いつか訪れる最後の日を意識して、毎日を大切に過ごしていこうと決めた。
私はもう、自分で決めた折り返し地点は過ぎている。
ラストスパートにはまだ早い。
けれど「後半の追い上げがすごい」と思えるように、日々暮らしていきたい。
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年齢には縛られたくない。けれど、割り切ってしまえば怖くない。
年齢なんて、単なる数字なだけ。
年齢に振り回されるなんてバカげてるでしょ。
誰が言ったのか、まったく覚えていないのだけど、やたらと記憶に残っているフレーズだ。
だけど、こんなセリフを事もなげに吐いてしまえるのはオトコの人なのかな? とぼんやりと考える。
オトコだから。とか、オンナだから。という議論をしたい訳じゃないけれど、やっぱり女の人は自分の年齢に縛られてしまうことがあるんじゃないかなと思う。それは、とても、生物としての雌、という意味において。
私自身はというと、年齢なんて関係ないでしょう? と思う反面、やっぱり縛られているところもある。
36歳、既婚。
子供は、いない。
子供を持たない、と夫と決めて、私自身は満足なのだ。夫婦そろって体調を大きく崩したこともある。子供を持つことがリスクになる、と思ってしまう以上、子供を育てずに暮らしていこうと決めたのだ。
私自身に、その気持ちには揺らぎはない。
だけど夫はどうなのだろう?
本当に、子供は要らなかったのか?
「子供が欲しいなら、私と別れて他の女の人と再婚してくださいね」と、何度か言ったこともある。
生物としての雄にも、年齢制限はあるだろうから。
年齢のことを考えると、ときどき頭をよぎる文章がある。
それは「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されたもので、ほぼ日手帳にも、「日々の言葉」という毎日のちょっとした言葉として何度も掲載されていた。
それは、こんな言葉だった。
『自分の年齢を3で割って、時間に置き換えてみてください』
というもの。
この言葉自体は、学校を卒業する学生に向けて、先生が「贈る言葉」として発したものということだった。
18歳なら3で割ると6。
午前6時、まだ起きていない人もいる時間。
あなた達は、これから可能性に満ち溢れているのだと、先生は仰ったという。
私はいま、36歳。3で割ると、ちょうどお昼の12時だ。
午後から、まだたっぷり時間は使える。
お昼寝したくなるかもしれないけれど。
しがらみや生物としての制限は、あるだろう。
けれど、わたしはまだまだ、やりたいことがたくさんある。
1日が終わるにはまだ12時間もあるし、なんなら夜ふかししてやろうじゃないか。
年齢になんて、縛られたくはない。
だって、年齢は、たんなる数字としての指標なだけでしょ?
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長い下り坂の向こうには、何があったのかな?
今週のお題「私の『夏うた』」
高校三年生の夏。
みんな、受験、受験、受験と受験の話題で持ちきりだった。
けれど、受験一色、というわけでもなく、私たちは夏休み明けにある文化祭の準備を思う存分楽しんでいた。勉強以外にやらなきゃいけないことの口実、として、みんな塾に行く前の時間などに集まったりしていた。
私たちの高校は、三年生は「演劇」に決まっていた。立て看板と、垂れ幕もつくり来場者にそれぞれ、良かったものを投票してもらうことになっていた。
理系と準理系として、センター試験を受ける子達や、看護系、薬学系を目指している合同クラスに私はいた。高校自体は共学だけど、そのクラスは三分の二が男子でむさ苦しく、暑苦しかった。そしてなぜか、彼らのあいだで「太陽に吠えろ」が流行っていて、演劇の題材も「太陽に吠えろ」の、ある回をモチーフとしてやろう! という意見に飲み込まれ、みなしぶしぶオーケーした。女子は「劇に出なくていいし、ラクだよね」なんて言いながら看板係や、垂れ幕係に分かれて他にも大道具や小道具、衣装などの準備の係を担当した。
垂れ幕や看板は、できる限り夏休みのあいだに進めよう! ということになり、日にちをみんなで決めて集まった。
みんなな心の中には「受験」への不安な気持ちが漬物石のように、ズッシリとした質量を持って確実に存在していた。けれど、なるべくその不安な気持ちを見つめないようにして、ばか騒ぎしていた。
私は垂れ幕係だったけれど、なぜか看板の制作を手伝っていた。私たちがつくる看板は石原裕次郎さんが演じていた「ボス」の似顔絵をちぎり絵で描くものだった。二メートル近くの高さがある看板には、折り紙では追いつかず、模造紙に絵の具でムラなく色を塗って、乾かしてからちぎって、コツコツ板に貼っていった。
私はコツコツやる作業を全く苦に感じなかったけれど、やはり何か音楽があるとはかどりそうだね! と話し合っていた。
そうして、小さなラジオを持って来てくれた子がいた。今ならiPodでも、iPhoneでも音楽は簡単に聞けるけど、当時はMDウォークマンか、CDウォークマンだった。ウォークマンだとスピーカーにつなげなきゃ、みんなで聴けない。スピーカーなんて洒落たものはないから、ラジオを持ってきてくれたのだった。
FM802をかけると、ゆずの「夏色」が繰り返し流れていた。ちょうど6月にリリースしたばかりで、パワーチューンとして何度も何度も流されていた。
私は、ゆずのことは知らなかったけれど、好きな男の子が「ゆずって良いよなー」って言っているのを聞いて、ラジオから流れる曲を必死になって覚えようとしていた。
何度もかかるため、私は自然と覚えてしまったし、一緒に作業をしていたみんなも曲を覚えてしまった。「夏色」が流れ出すとみんなで歌いだすほどだった。
好きな男の子と一緒に歌っていたときに「君を自転車の後ろに乗せて」のところで、彼の自転車の後ろに乗れたらいいなぁ、なんてぼんやり考えたりもした。
けれど、彼は、こっそりと付き合っている子がいたらしい。みんなには内緒で。誰かが偶然、街で見かけたのだ。
ふたりで一台の自転車に乗っているところを。
噂は大っぴらに広まって、私の耳にも入ってきた。あのかわいい子と付き合ってるんだ。そう、お似合いだよね。自分に言い聞かせるように、みんなでコソコソ話していた。
あっというまに夏は終わって、バタバタと文化祭も始まった。私たちのクラスが演じた「太陽に吠えろ」は先生や、来賓の親たちには受けていたけれど、一位にはならなかった。
みんなで歌いながら作った、ちぎり絵の看板は評価されて、アンケートで看板部門では第1位になった。
文化祭が終わってしまうと、みな受験に向き合わなきゃいけなくなる。お祭り気分はもう終わらなきゃいけない。みんなまだお祭りの中にいたい気持ちから、文化祭の後夜祭で「夏色」を歌っていた。
少し離れたところで、彼が彼女と手をつないでいるのが、ちらりと、見えた。