ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

華道部という名の人生相談室

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今週のお題「部活動」

 

高校生の時。

私は友人に誘われて華道部に入ることになった。

 

その勧誘の仕方が、すでにいい加減だった。

「先輩が卒業して、今、私とMちゃんしかいなくて、やりたい放題やで!」

そんな誘い方あるかな? と思いながらも特にバイトもしていなかったので顔を出してみることにした。

 

華道部は、毎週水曜日の放課後に化学実験室で行われていた。

 

華道、というからにはお花か……。

文化系の部活なら、そんなに大変じゃないよね。

あんまりイメージも湧かないまま、ちらっと遊びに行くことに決める。

 

いざ、行ってみると、私の想像していた以上だった。

とってもゆるい空間だった。

 

華道の家元の 先生を外部から呼んでいて、

家庭科の先生や、保健室の先生、古典の先生なんかも一緒に指導を受けているにも関わらず。

 

家元の先生はかなり高齢だけれど愛らしく、いつも小綺麗な装いだった。

小柄な体格で、髪型も、いつもひとまとめに小さなおだんごを作って、品の良いかんざしをつけていた。

私たちは、その華道の先生を「もみじ」というあだ名で呼んでいた。(なぜそう呼んでいたかは、思い出せない)

 

もみじは、いつもウイットに富んでいて、

私たちの悩みはおろか、家庭科の先生なんかの悩みを聞いては、真剣に考えて、答えてくれていた。

 

「大学受験、どないしようかな〜。浪人したくないしなあ」

と、私たちがダベりながら悩んでいた時には

「受験なんて、人生の一部やでー。浪人なんて一年か二年やねんから、本当に行きたい大学なんやったら、親は説得したらいいねん」

「えー、もみじ、どうやって?」

「それは、みんなの親のタイプにもよるけどなあ。本気でやりたいっていうのをちゃんと言わなあかんで」

「じゃあ、別にやりたいことは、見つかってへんねんけど、その場合は?」

「やりたいことなんか、その時々でイロイロやんか。大学行けるんやったら、そこで見つけたらいいねん。二年か四年もあるんやから、チャンスやんか」

「そこで見つからんかったら……?」

「その時はその時。やりたいことなんて、これ! って見つからへん人の方が多いんやから。自分は何が好きか、考えていったらいいだけやでー」

 

もみじはいつも、そんな調子だった。

ある時なんて、友人が「妊娠したかも……」なんていう、爆弾発言をした。

保健室の先生は、

「ちょっとちょっと、そんな大事なこと……!」

と、あわてていたけれど。

もみじは、あっけらかんと

「高校生なんて、やりたい盛りよ!」と笑っていた。けれど、こう続けた。

「そういうとき、どうしても女性側に負担が強いからね。事実を確認して、もしも、の時は知恵を貸しますから。どうするにしてもな。あ、お金はあかんよ。男に出させなあかん」

と、マジメな表情で話してくれた。

 

幸い、その友人の早とちりで妊娠はしていなかった。

けれど、高校生の時に、部活と言いながらもいろいろな悩みを真剣に聞いてくれる先生がいたことは、とてもありがたかった。

もみじは笑うと、しわくちゃの笑顔だった。けれど、顔にきざまれているしわは、もみじのこれまでの人生を表すかのようだった。

目尻の笑いじわも、

時々ギュッと寄る、眉間の縦じわも。

 

そんな風におしゃべりばかりしていたので、肝心の華道については、何にも身には付かなかったのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

あの日、母と私は犯罪に加担するのではないかと震え上がった話。

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「なあ、ひろちゃん。シマダさんの家の横の空き地にな、かわいい花咲いてるの知って

 

わたしが小学生の、ある春の日のことだ。

 

「かわいい花? 知らん。どんな花なん?」

シマダさんのお家の横にある空き地には、四つ葉のクローバーを探しに行くこともあった。

だけど最近はクローバー探しには行ってなくて、母が言う「かわいい花」のことは知らなかった。

 

「うーん、お母さんも見たことないねんなあ。

朱色の花びらで、茎のところが長くてシュッとしてるねん」

「えー、見てみたいわあ。明日見に行こう」

「うん。かわいらしい花やで。シマダさんに聞いて、分けてもらおうかな?」

母はそう言って、考えていた。

 

母の趣味はガーデニングで、我が家の小さい庭には、いろいろな花が所狭しと並んでいた。父は盆栽が好きだったので、母があれこれ咲かせている花には、あまり良い顔をしていなかった。種が飛ぶと、盆栽の鉢の中からも芽が出てくるのだという。

 

しかし、母はおかまいなしに、「かわいい花」を見かけると購入したり、譲ってもらっては増やしていた。

母が植物を育てている姿は、子供のわたしには魔法使いのように見えた。

葉っぱ1枚からでも、根を張らせて育ててしまうのだ。

大人になった今では、それは「挿し木」と呼ばれるガーデニングの手法のひとつらしいこともわかったけれど、当時は不思議に思えてならなかった。

「お母さん、魔法使いなんやろか?」と、こっそり考えていたりした。

 

翌日、空き地に咲いている「かわいい花」を見に行くことにした。

母も一緒行くと、支度しだした。

シマダさんにお花を分けてもらえるか、話してみるのだという。

 

空き地には、「かわいい花」は二本だけ咲いていた。

母のいう通り、朱色の大きな花びらが一枚ずつ存在感をアピールしている。茎はスラリと細く長く、バランスが悪く感じるほどだ。花が重くないのか、心配になるほどだった。

 

「かわいい花やろー」

母は、わたしに話しかける。

わたしも「うん。でも、見たことないなあ。なんの花やろ?」と初めて見る花に夢中だった。

 

シマダさんのおじいちゃんがお庭に出ていたので、母が話しかける。

「こんにちわ〜。あの、あそこに咲いてる花、シマダさんが植えてはるんですか? かわいらしいから、もし良かったら分けてほしいんやけど……」

母は、単刀直入に交渉していた。

しかし、シマダさんは、意外そうに

「なんや? あの花、かわいいか? 全然知らんうちに急に咲いて。気持ち悪いおもててん。花の色も変な朱色で。薄い血みたいな色やんか。気持ち悪いから抜いてしまおか、おもてたとこや。欲しいんやったら、好きにしたらいいで」

 

母とわたしは顔を見合わせた。

あんなにかわいい花を「気持ち悪い」とは。

でも、そう言われてしまうと、ピンクや黄色の花びらと比べると朱色の花の色が、怖く感じてしまった。

 

「じゃあ、また改めてスコップ持ってきます。ありがとうございます」

母はそう言って、シマダさんのおじいちゃんにお辞儀した。おじいちゃんも片手をあげて、「勝手に持っていってええからね」と言って、家に入ってしまった。

 

母とわたしは、すこし複雑な気持ちだった。

さっきまでは見たことの無かった花をかわいいと思えていたのに。

シマダさんのおじいちゃんと話してから、ちょっとだけ「気味の悪い花」に思えてしまっていた。

 

「……お母さん、どうする?」

「せやねぇ。まあ、いそがんでもいいし、夕方になっても欲しかったらスコップ持って、もらいにいこうか」

そう言って、自宅まであるいて帰っていった。

 

母は、夕飯の支度前に私に「ちょっと、シマダさんの空き地に行ってくるわ」

と簡単に告げ、出かけて行った。

お花をもらいに行ったんだと思い、「気をつけてね」とだけ声をかけた。

明日、鉢植えするのを手伝おうと、思っていた。 

 

 

しかし。

テレビを見ながら夕飯を食べていた時のこと。

ついていた番組は、

「世界の信じられない驚きニュース」のような内容だった。

ぼんやりと見ながらご飯を食べていたけれど、あるエピソードに釘付けになった。

 

それは、自宅に突然咲いた花がかわいくて育ちていたら実はそれは「大麻の花」であることがわかった。麻薬を密造しているのではないかと警察に家宅捜査されたというエピソードだった。

 

母とわたしは、顔を見合わせた。

そのエピソード映像に登場した花こそ、「かわいいけれど、奇妙な花」として、私達が夢中になっていた花だったからだ。

ケシの花、という名前であることも、その時初めて分かった。

 

 母とわたしは、食事の手を止めて、顔を見あわせた。

なんにも知らない父は

「ふーん、こんなこともあるんやなあ。お母さん、何でもかんでも、お花もらって来たらあかんでー。知らんうちに犯罪者になっているかもしれんからな」と、なにげなく言っていた。

「……そうやねえ」

母は、言葉少なげに、父に同意していた。

 

わたしはというと、内心とてもドキドキしていた。

あの「かわいいけれど、奇妙な花」は、もしかして麻薬の原料になる花なんやろうか? もし、そうやったとしたら、どこかから種が飛んできたんかな? じゃあ、どこか近くのお家で麻薬の原料を育ててはるんやろうか……?

なによりも、さっきお母さんが、シマダさんの空き地からもらってきている。

今まさに、我が家の庭にこっそり置かれているはずだ……! 

考えれば考えるほど、怖くなってきた。

食事の味も全然わからなくて、もそもそと皿に盛られている食品を食べ続けた。

母も、同じような心境らしく、いつもみたいに冗談を言ったりしなかった。

 

 

「……なあ、ひろちゃん。あのお花のことやねんけど」

父がお風呂に入っている隙に、母はこっそりわたしに話しかけた。

「明日な、一緒に図書館に行って調べてくれへん? もしあのお花が、咲いてたらあかんお花やったら、警察に言わなあかんし」

「……うん」

「なんか、心配やねえ。もらってこんといたら良かったわ……」

憂鬱そうな母の顔を見ると、わたしまで心配になってきた。

 

お母さんが、警察に連れていかれたらどうしたらいいんやろう?

お母さんは無実です、って言ったら信用してもらえるやろか?

心配で心配で、 怖くなって、布団にくるまってもぜんぜん眠れなかった。

 

翌朝。

母とわたしは、大きな図書館に行ってみることにした。

「植物図鑑」をいくつか調べてた。

あっけないほどに、すぐにその花の正体は分かった。

「ケシの花」はポピーとも呼ばれている一般的な植物だということもすぐに分かった。

 

良かった。

あの花は、麻薬の花じゃなかったんやわ。

母と

「すぐにわかって、良かったねえ」と言い合いながら、

図書館の外でジュースを飲んだ。

ジュースは甘く、冷たくて体にシュワシュワと沁みわたった。 

安心したからか、いつもより、ちょっとおいしく感じられた。

 

 母は、「もらってきたお花は、やっぱり返してくるわ。お父さんにまた、いらんお花増えてる! って怒られそうやし」

といって、笑っていた。

植物図鑑には、ポピーの花は繁殖力がとても強いと書かれていたのが気になったのだろう。

 

知らない間に手にしていたものが、

実は何か、得体のしれないものかもしれない、と思うと

今でも、ちょっとだけ、怖くなる。

 

 

 

 

 

強い風の日だけで鳴りひびく音

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春の嵐だというほどの

強風が日本中に吹き荒ぶ。

 

せっかく咲いたばかりの

八重桜は、この強風に耐えらるのか心配になってしまう。

 

とてつもなく強い風がふく日だけ、

我が家の近くでは

いびつな音色が鳴り響く。

 

ビポォォォーーービポォォォーー

 

引越したばかりの頃、

何の音だかわからなくて

夜中、突然鳴りひびいたその音に

めちゃくちゃ怖くなった記憶がある。

 

ネコのカリンも、この音がひびくと

きょろきょろと不安そう。

 

大丈夫、大丈夫。

怖いのか、ネコは音がそっと近くに寄り添ってくる。

 

怖くないよ、そばにいるよと、ネコをあたまをそっと撫でる。

ネコは安心したように、ゴロゴロとのどを鳴らし始めた。

 

 

楽器の正体は、近くにそびえ立つ

鉄塔だった。

 

金属で組み立てられた、隙間を

風が通り抜けることで

不思議で、なんだか空恐ろし音色を奏でる。

 

ビポォォォーーービポォォォーー

 

何かの警告音のように、

突然、鳴りひびき、

そして、いつの間にか、鳴り止んでいる。

 

あなた、ちょっと気をつけなさいよ、と。

 

何につけろと言われるのですか?

 

それは、自分自身で考えなさい。

 

おもしろくもないのに、まわりに合わせて笑顔を作っていないか?

じゅうぶんに、体を休めているのか?

ネコのことは、きちんとみてあげられているか?

 

そう、言われているように感じるのだ。

 

強風世界からの警告音に

わたしは耳をすませるように

心がけたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

毎朝、修行しています。

今週のお題「自己紹介」

 

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「これっ、いつまで寝ておるのだ! 我に食事を与えよ!」

 

私はいつも、朝早く起こされている。

しかたない。

私は修行中の身なのですから。

 

私はもう、師匠のもとで5年も修行させていただいている。

 

日の出とともに、鳥のさえずりが聞こえる。

すると師匠はパチリと目覚め

弟子である私にも、早く起きろと催促される。

 

不出来な弟子であるわたしは、

まだグズグズと布団のなかで、もたついている。

そんなとき、師匠は容赦ない。

わたしの頭をベシベシたたき、布団からはみ出した足首にガブリと噛みついてくる。

 

わたしが起きるまで、それはずっと続く。

修行中の身なのだから、わたしもサッサと起きればいいのに。

 

師匠の攻撃を、なんとか かわしながら

あと少しだけ……と、惰眠をむさぼる。

 

攻撃は激しさをまし、ついにわたしは起床する。師匠は

「ようやく起きたか。やれやれ。毎日これでは、先が思いやられるな」

と、呆れ顔だ。

 

寝ぼけまなこで階段をおりる。

しかし、気を抜いてはいけない。

 

師匠がトラップを仕掛けていることもあるのだ。

階段をおりたところ。

洗面所の前。

カーペットの上。

 

トラップはどこに仕掛けられているかは、わからない。

春先には週に一度くらいの割合で仕掛けられていて、全く油断できない。

 

昨日は、トラップに引っかかってしまった。

日曜日で、気を抜いてしまっていた。

 

「こんなに目立たないところに、毛玉を吐くのはやめてくれない……?」

足の裏がグッシャリと気持ち悪い。

 

師匠は、まったく素知らぬ顔で、

ベロベロと毛づくろいしている。

 

師匠の名前は、カリン。

今年6歳になる、オス(去勢済み)のネコ様だ。

ドラゴンボールにでてくる、

かりん様という白いネコのキャラクターが

名前の由来だ。

 

超神水も、超聖水も、ましてや仙豆なんてくれやしない。

 

ネコとの暮らしは、日々修行のようなもの。 

 

怒っても、むだ。

急かしても、むだ。

人間のペースを守るのは、師匠のもとでは、とても難しい。

 

だけど。

わたしは師匠のもとで一生、修行をしようと

こころに決めている。

 

なにごとも

修行中の身ですが、どうぞよろしくお願いします。

 

 

私たちは、狩猟民族である。

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「今年は4月29日がベストだって!」

夫がやたらとウキウキした様子でカレンダーに大きくマルをつけている。

 

うん、そうだねと、私はあまり気乗りしない様子で、適当にあいづちをうつ。

ああ。

またこの季節がやってきたのか……。

 

今年もまた、潮干狩りのシーズンがやってきた。

4月から5月くらいまでのアサリは、身がぷっくりと膨らんで、食べごろになる。いわゆる旬の食材、といわれるものだ。

私が住んでいる神奈川県の海沿いの町では、4月になると、あちこちで潮干狩りが行われている。ちょうど、ゴールデンウイークとも重なるため、家族連れのレジャーとしても人気があり、毎年多くの人たちでにぎわっている。

 

残念ながら、私はあまりアウトドアのイベントが得意じゃない。

キャンプも、バーベキューも。

そして潮干狩りも。

 

嫌い、というわけではないし、誘ってくれたなら、もちろん参加する。

けれど、自分から積極的に「行こう!」とは思えない、根っからのインドア体質なのだ。

日に焼けるのは、嫌だなあと思ったり、トイレにはトイレットペーパーはあるかなあと心配になる。急に寒くなったら嫌だから、上着を持って行ったほうがいいのかなと悩み、イベント前日の天気予報で、降水確率が少しでも高そうなら、雨が降るかもしれない……中止かな? などと、考えてしまう。先回りして心配しすぎて、心の底から楽しめないのだ。

潮干狩りの場合には、さらに「転んでしまって、パンツが濡れたら、どうしよう」という情けない心配まで、おまけでついてくるのだ。

腰を落としてしゃがんだ状態で、バランスを上手く取れる自信がない。

しりもちをつく可能性は、かなり高い。

 

しかし、アウトドア派の夫は私が気にしているような心配は全くないという。

転んでパンツが濡れたとしても、一向に気にしない。むしろ、アサリを獲るのに夢中になりすぎて、濡れているのに気がつかないことすらある。

毎年、潮干狩りシーズンになるとソワソワしながら、潮の満ち引きが書いてあるカレンダーを入念にチェックする。

「さてさて、今年のチャンスは何回あるかな?」と心の底から嬉しそうに。

 

 

私は、結婚したばかりのころに一度だけ、夫と一緒に潮干狩りにいったことがある。けれど、支度に時間がかかり、出かける時間が遅れてしまった。ゴールデンウイークのまっただ中ということもあって、道路も渋滞していた。海岸に到着したときには、すでに大勢の人でにぎわっていた。砂の中にいるアサリの数よりも、おそらくそこで潮干狩りをしている人間の数のほうが多いに違いないと思えるほどだった。あまりの人の多さに夫も私も、やる気を失ってしまった。売店のホットドックを買って、海を眺めながら食べたという記憶しかない。

 

それ以来、夫の潮干狩りにかける情熱はますますヒートアップしていった。

海辺まで行ったのに潮干狩りが出来ないなんて、あまりにも悔しかったようだ。

みんなが潮干狩りをはじめる前の、3月上旬、早ければ2月下旬に潮干狩りに一緒に行かないか? と誘ってくるようになった。

いくら誘われたとしても、私はそんな時期絶対に行きたくない。

室内にいても寒いのに、海辺に行くなんて寒いに決まってるじゃないか。

アサリなんて、スーパーで売ってるんだし、買えばいいんじゃないの? そう反論すると、怒り出した。

「何言ってるんだ! 砂の中からアサリを見つける楽しみが、弘子には分かんないのか? 宝探しなんだぞ? アサリは、砂の中に眠っているお宝だぞ?」

 

申し訳ないけれど、夫が潮干狩りにかける情熱は、私には全く伝わらない。元テニスプレイヤーの松岡修造さんばりに、潮干狩りに対する情熱を熱く語り、私にぶつけてくるけれど、私はぜんぜん理解できなかった。アサリを砂の中から見つけることが、まるで宝探しのようだ、というのは分かる。けれど、3月上旬という、場合によっては雪が降ることもある時期に、なぜズボンをたくし上げて海に入れというのか? 風邪をひいたらどうするつもり? こんなに寒いんだから、温かい室内でココアでも飲みながら本を読んでいたい。インドアな私は散々文句を言った。次第に夫は私と一緒に行くことを諦めた。寒い寒いと言いながらも、夫はひとりで潮干狩りに行った。「やっぱりまだ、行ってる人が少ないからたくさん獲れたよ」といって、とても満足そうだった。

 

ある年に、夫は会社の後輩と潮干狩りツアーに行くと言い出した。

夫の潮干狩りに付き合ってくれるなんて優しい後輩だなあと、思っていたけれど、どうやら後輩に誘われたらしい。なんでも、後輩の地元にある秘密のスポットを知っているらしい。

ちょっと掘るだけでも大アサリ、小アサリがザックザクなのだという。

 

「密猟にならないの?」

私は心配になったけれど、漁師さんに教えてもらった場所で、漁業権にも問題ないのだそうだ。

 

静岡県にある秘密の潮干狩りスポットへは、車で片道2時間近くかかるという。出発前に、夫は忘れ物がないように荷物のチェックを何度もしていた。なんども荷物を出したり入れたりしている様子は、遠足に向かう前の小学生のようだった。

 

「たくさん持って帰ってくると思うから、アサリ料理のレシピを調べといてくれる?」そういって、夫はどれくらいの量なら持って帰って来ていいかを確認してきた。つくだ煮にして、冷凍すれば日持ちするよね、などと言って、夫はいろいろな調理法や保存についても調べていた。

 

潮がひいている、ベストな時間に到着するように、彼らは深夜に出かけていった。

秘密のスポットだというくらいだから、たくさん持って帰ってくるのだろうか……? 食べきれないと困るし、いくら保存できるようにしても冷凍庫がアサリばっかりになるのはちょっと困るなあ、と考えていた。

 

しかし。

「取らぬ狸の皮算用」だった。

ことわざって、うまく出来ているんだなあと、心の底からそう思った。

取ってもいない狸の皮や肉でいくら儲かるかを考えて、実際には狸をつかまえてもいないという、ことわざの通りになってしまった。

 

 

秘密のスポットに住んでいたアサリは、どこか別の場所に引っ越してしまったのか、ほとんどいなかったらしい。

たくさん持って帰って来たらどうしよう? と心配していたけれど、持って帰って来たアサリは、たったの3粒だった。

 

狩れぬアサリの殻算用、と心の中でことわざを思いついた。

語呂も合っているし、うまくできたと思ったけれど、あまりにもしょんぼりしている夫には披露できなかった。

 

その3粒のアサリはお味噌汁にしてあげて、美味しくいただいた。

夫は本当に残念そうだったけれど、懲りることもなく、すぐにまた別の場所での潮干狩りの計画を練っていた。

 

 

夫がなぜこんなに潮干狩りに夢中になっているのか分からない。

砂の中にいるアサリを見つけたときの興奮は、たまらないのだと言う。

確かにアサリを、夫の言うように「お宝」だと思えれば、興奮するかもしれないなと思う。

けれど、やはり根っからのインドア体質の私には、夫と一緒に狩りにいくのは少々気が重いなあと感じている。

 

しかし、インドア体質の私にも「宝探し」とも思える出来事を見つけてしまった。

それは「古書店めぐり」だ。

先日、西洋のアンティークがあつまるイベントに興味があって、神保町まで出かけた。

神保町へ行くのは生まれて初めてだった。JRの御茶ノ水駅を降りたところからちょっとした旅行気分だ。

JR御茶ノ水の駅前は、大学病院が立ち並んでいて、ギターなどの楽器を取り扱っているお店がたくさんあった。

 

イベント会場のある靖国通りがどちらか、自信がなかったので、交番で道を聞いてから歩いていった。楽器を売っているお店が並んでいたかと思えば、明治大学日本大学の校舎がある。次第にカレー屋さんが増えてきた。キョロキョロと周りを見ながら歩いていくと、靖国通りに行き当たった。

 

信号を渡った先には、様々な古書店が立ち並んでいた。

お店の前に飾られている、古めかしい本に思わず吸い寄せられる。

少し日に焼けて、茶色くなっているけれど、きれいな装丁の本が山積みになっている。この町にある古書店を、かたっぱしから訪れて、じっくりと本を探したい! そんな思いで、胸が熱くなった。

何でもっと早く、この町に来なかったんだろう? こんなにもたくさんの宝の山が、町のいたるところにあるのに!

アンティーク品のイベントもとても興味のあるものだったけれど、私は古書の町そのものに魅了されてしまった。

お店によって、取り扱っている本の種類はさまざまだ。古い本のにおいに囲まれるだけで、私は満ち足りた気持ちになった。

山のようにある本の中から、私だけのお宝を探したい! そう思ったけれど、あまりにも舞い上がってしまって、ゆっくりと本を選ぶことが出来なかった。

かならず、リベンジしてやるぞ! そう思いながら、神保町を後にした。

 

私にとって、古書店のなかから本を探すことと、夫にとっての潮干狩りは同じことなのだろうと思う。

自分にとって、「お宝」と呼べるものは何だろう? アサリか、本か。方向性は異なるけれど、同じことなんだと気がついた。

 

 

思えば、本との出会いは、狩りのようなものだ。

自分のすきな作家で選んだり、知らない人が書いているけれど何となく面白そうと思ったり。

話題になっているから手に取るし、本の装丁が気に入って購入するもののある。

自分自身の本へ対する狩猟本能を働かせて、売り場にあるたくさんの本の中から、自宅に持って帰る本を選ぶのだ。

 

本を選ぶときの、ワクワクしている気持ちは、誰にもとめられない。

アサリが身体への栄養になるならば、本はココロへの栄養になる。

栄養失調にならないためにも。

私たちは日々、狩りをやめられない。

 

私のからだは、たまごサンドでつくられている。

今週のお題「自己紹介」

 

自己紹介、と聞いて一番すぐに思い出すことがある。

それは、村上春樹さんの「雑文集」という本に書かれていること。

 

かなり前に読んだことと、私がぼんくらなため、解釈をまちがっているかもしれない。

「違う! 村上さんはそんなこと言ってない!」

とお怒りをいただいてしまうかもしれないけれど、

「自己について語るときに、カキフライ(すきなもの)を考える」という内容だった。(ように思う)

 

この文章を読んで以来、自己紹介をきちんとする場面になったら、

私は何について語ればいいのか、ぼんやりと考えていた。

 

カキフライは、わたしも大好きだ。

おとといも、夕飯にスーパーで値引きされていた

カキフライ弁当を買って

さらに、お総菜コーナーでも値引きされていたカキフライを買って食べた。

 

尊敬する村上春樹さんと同じ食べ物が好きだなんて、

本当にうれしいなあ、と冷たくなってはいるけれど

冷たくなっていても、やはりおいしいカキフライをもぐもぐと食べた。

 

万が一、何かの機会に、(いや、きっとありえないのだけれど)

村上春樹さんと食事をする機会があったとしたら

迷わずカキフライを食べに行きたいと思う。

 

自己について語るとき、本当はわたしも「カキフライ」を通して

表現したいと思ったのだけれど、

村上さんがもう、紹介されているしなあ……と考えて

ふと、私は「たまごサンド」かな? と思い当たった。

 

たまごサンド。

仕事の日の昼食は、たまごサンドを食べている。

もう、この一年ぐらい、ずっとだ。

これにはいくつか理由があるのだけれど、

単純に「好きだから」というのが一番おおきな理由だと思う。

 

仕事の日にたべる、たまごサンドは

職場近くのローソンで購入する。

220円。

耳を切られた食パン(おそらく8枚切りだろう)に、ゆでたまごペーストがたっぷりと挟まっている。

 食パンは、ほのかに甘い。

ゆでたまごのペーストは、マヨネーズっぽさが多く感じるけれど

なめらかな口当たりで、ぺろりと食べられる。

 

自宅での昼食も、たまごサンド率が高い。

土曜日と日曜日もたまごサンド。

 

ほとんど毎日、たまごサンドを食べている。

だけど、全然あきないのだ。

いつ食べても「ああ、美味しい」と思って食べる。

 

自宅では、手作りのたまごサンドだ。 

 

まず、はじめに。

ゆでたまごを作る。

しっかりと、固ゆでに。

根からのずぼら者のため

時間なんかは、はからない。

だいたいできたかなー? という程度まで茹でて

つめたい水につけておく。

 

食パンは6枚切りのものを一枚。

トースターがないので、魚焼きグリルでパンの表面をさっと焼く。

両面に軽く、焦げ目がつく程度に。

魚焼きグリルで焼くと、一瞬で真っ黒こげになることもあるため、

ここは、十分に注意して。

食パンが焼けたら、取り出して、薄くスライスする。

食パンのみみは、そのまま。

切り落としたりはしない。

どうせ、あとでたべるのだから。

スライスした食パンの表面に、練りからしを薄く塗る。

バターやマーガリンは塗らない。

これは、多分好みなのだと思う。

バターやマーガリンが、あまり好きではないのと、胃がもたれてしまうから、塗らないだけだ。

 

 

冷たい水からたまごを出して、

ていねいに、殻をむく。

ずぼらな人間だけれど、ここはていねいに。

殻のかけらが少しでも入っていると、食べたときに、とってもがっかりする。

まるで、当たりだと思って握りしめていたクジ引きが、ハズレだったときみたいに。

 

ゆでたまごを適当につぶして

マヨネーズで和える。

 

たまごペーストを、たっぷりと食パンの片面に塗りつけて

ほんのすこしだけ、粗挽きこしょうを振る。

 

そっと食パンを重ねる。

たまごサンドは、できあがりだ。

 

食べやすいように、カットする。

思い切って包丁を入れる。

一瞬でもためらうと、

食パンはグチャグチャになってしまうので

ためらっては、いけない。

絶対に。

 

息を止めて

一息に、サクッと。

 

半分に切ったら、

しろいお皿にのせて、できあがり。

さてと、いただきます。

 

根っからのずぼら者で

胃がもたれやすいくせに

ちょっとだけ刺激をもとめて

妙なところ神経をとがらせている。

 

そんな私ではございますが

どうぞよろしく

お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

失意の底にいた私を、浅田真央選手の演技が救ってくれた。

2017年4月10日。

 

浅田真央さんが、フィギュアスケートの選手を引退を発表された。

ブログで引退への心境をつづるなかで

「これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています」

 

このように、書き記されていた。

 

この言葉を読んで、ほんとうに涙が止まらなかった。

 決断は決して後ろ向きなものではなくて、
これからの人生を歩むための一歩なんだと、思う。

 

ほんとうに、お疲れさまでした。

あの日、助けてくださってありがとうございました。

そう、こころから、お礼を言いたい。

 

 

私は、過去に、浅田真央選手のフィギュアスケートの演技に、大きく勇気づけられたことがある。

 

 

***

 

2010年1月のこと。

 

私は、結婚したばかりで、夫と神奈川県にある

小さなアパートで暮らしていた。

 

結婚してすぐには子供はつくらなくていいね、と言っていたけれど

なんとなく生理も来ないし

あれ? もしかして? 

という予感があった。

 

だけど、女の人ならわかると思うけれど

生理なんて、ちょっとしたことでリズムも変わってしまうし

そのときも、なにかとイライラしたことが多かった。

 

「ああ、きっとストレスで遅れてるんだろう」

 

そう思って

薬局で売っているカンタンな検査もせずにいた。

 

お正月のにぎやかさが落ち着いて実家の大阪に帰省をしたときに

母親に

「生理がおくれてて、もしかしたら妊娠してるかも?」

と、なんとなく伝えておいた。

母も、「ふーん。まあでも、かなり遅れてくることもあるしな」

と、期待しすぎない様子で、私にそういった。

 

本当は、嬉しかったと思う。

もしかしたら初孫が生まれるかもしれない。

そう思ったに違いない。

けれど、私が過去にホルモンバランスを崩す病気をしているし、

あまり「期待しています!」と宣言してしまうと

重荷になるだろう、と気遣ってくれたのだと思う。

 

「神奈川にもどったら、検査してみるわ」

 

それだけ言って、その話は終わりにしておいた。

 

数日後、神奈川の小さなアパートに戻って

薬局で売っている妊娠検査薬を購入した。

数種類販売されていて、

2個入りだとか、「分かりやすい!」だとか、記されていた。

こんなに種類があるなんて、と

戸惑ってしまったけれど、一つだけ入っている、一番無難そうに見えるパッケージのものを手に取った。

 

 

妊娠検査薬を購入するに時になると

もう、「私のお腹の中には、生命が宿っている」ということに

なんとなく、気が付いていた。

なぜかと聞かれてもわからない。

いわゆる、つわり、と呼ばれる症状は、まだなかったけれど。

ただ何となく、日に日に強くなる存在感が、下腹部にあったのだ。

なんとなくその存在感に、支配されてきているような、

空恐ろしい感覚も、少しだけ感じていた。

 

夫が夜の遅い時間に帰宅して

二人でいるときに検査をした。

 

妊娠検査薬に尿をかけて

どうなれば陰性で、どうなれば陽性なのか。

 

間違えてしまうと

爆発してしまうゲームのように

何度も何度も、確認しながら、トイレに向かった。

 

検査の結果は、陽性だった。

私と夫は、戸惑いはあったけれど

これから親になるのだという、

決意と、じんわりとした暖かな喜びにつつまれていた。

 

翌日、私はいそいそと婦人科に向かった。

寒さの厳しい、一月下旬だったけれど、

少しづつ梅の花のつぼみが膨らみ始めていることや、

八百屋の店先で売られている焼き芋の甘い香りにうっとりしながら

軽い足取りで、でも決して転ばないように歩いて行った。

 

その病院は、いつも婦人科検診をうけている

顔なじみの先生だった。

 

受付で、妊娠検査薬で陽性だったことを告げた。

受付のお姉さんに言われるままに、

体重をはかったり、尿を採取したりした。

「あぁ。これから、妊婦生活が始まるんだなあ……」

と、てきぱきとエコー検査を進めていく

看護師さんと先生の動きについていけず

嬉しい気持ちと、不安な気持ちがグルグルと渦巻いていた。

 

「おめでとうございます。妊娠していますね」

先生から、こう告げられて、ようやくホッとした。

けれど、その直後。

 

「ですが、エコー診断の結果が少し気になりますね……。

胎児の成長が、遅い、最悪の場合には、止まってしまっている可能性もあります」

「え?」

私は、すぐに理解できなかった。

いや、頭では理解してはいたけれど、

こころが理解したくなかったのだと思う。

 

「止まってるっていうのは……? えっと……どういうことですか」

私は、取り乱さないように、必死に冷静に装った。

先生は、伝えても大丈夫だと認識したらしい。

「はい。今の月齢ですと、もう少し大きくなっているのが通常なんです。

いまの、倍くらい、ですね。成長が遅れている、ということもありえますから一概には言えませんが、これ以上、胎児が成長しない可能性があることも、理解してください」

「……流産、ということですか?」

確信めいた単語を、先生は濁していたため、思い切って私が告げる。

「可能性として、ありえる。そういった段階です。

まだ決定しているわけではありませんので、また、……そうですね、一週間後の火曜日に様子を見せにきていただけますか?」

 

先生は、カレンダーを見ながら、私にそう伝えた。

「はい。わかりました」

これから成長する可能性もあるし、その反対もある。

出産予定日や、どこで出産を希望するか。

里帰り出産なら、早めに手配をしないといけないなど、

いくつかの注意事項をうけた。

 

翌週の検査の予約をし、病院を後にした。

 

病院からの帰り道。

朝来た時の気分とは正反対で、ふらついて

グラグラと、いつ転んでしまってもおかしくない足取りだった。

 

夕飯、作る気力が沸かないな……。

そう思って、私はデパ地下のお総菜コーナーで買い物をして帰ろうと思った。

 

たくさんの食べ物がつやつやと、並んでいて

いつもなら、嬉しい気持ちが勝って「あれもこれも」と買いたくなってしまうのだけれど、その日はどれも、食べたいとは感じられなかった。

色とりどりの野菜や、きれいに盛り付けられているお総菜も、

ただ、砂場の山のように灰色のかたまりに見えた。

 

 

……そうだ。

お母さんに電話しよう。

実家の母に、今日婦人科に検査に行くことをメールで伝えていたんだった。

心配してくれているだろうな。

……ぬかよろこびさせてしまったな。

 

そう思いながら、騒がしいデパ地下の隅で、こっそり実家に電話をかけた。

 

「もしもし? おかあさん? ひろこやけど」

少しのコール音の後に、母が出てくれた。

母の声を聴くと、安心してしまって、急に涙が込み上げてきた。

 

「ひろちゃん、どうしたん?」

「今日な、検査いってんけど……。お腹の子は、もう大きくならへんかもしれん、って言われてな……」

それ以上、私は言葉を発することができなくなった。

涙が、次から次へと溢れてきて止まらなかった。

 

電話口の母は、

「何泣いてんの! あんたがしっかりせんと、どないするんや? 大きくなるかもしれへんねんから。泣いてたらあかんやろ」

そういって、私を叱るでもなく、励ますでもなく、ただ一人の女として、母親として私に「どちらにしても、覚悟をしなさい」と、伝えてきた。

 

「……うん。そうやね」

デパ地下の隅で泣き崩れている私に、親切そうなおばあさんが心配げな表情で、

こちらの様子を伺っていたけれど、少しして去っていった。

 

泣きながら母とはなして、ようやく少しだけ落ち着いた。

 

母という存在を、私は、とても大きく感じた。

同時に、私自身は、おなかの中にいる小さな生き物に対して

母親には、なれないのかもしれない、と思うと

また涙がこぼれてしまいそうだった。

 

よろよろになりながらも帰宅した。

夜遅くに帰ってきた夫にも、今日の検査結果を報告した。

 

母に話した時のように、涙がこぼれてしかたない、

というようなことはなかった。

夫には事実をきちんと伝えなければと、

必要以上に冷静さを保ちながら話をした。

 

たぶん、夫に心配をかけたくなかったんだと思う。

それに、たぶんまだ、心の内をすべてさらけ出すのが怖かったのかもしれない。

家族になって、まだ一年もたたない人なのだと思うと、

信頼はしているけれど、どこかまだ、「自分のことは自分でやらなきゃ」と

考えていたところもあったのだ。

 

二人の将来を決定づける大切な出来事であるにもかかわらず

私は、やはり夫の気持ちに負担になりすぎてはいけないと、気を使っていたのだろう。

 

検査の結果を聞いた夫は、私の想像したとおり、

かなり心配していた。

「まだわかんないんでしょ? 楽観的に考えたいね……」

とはいうものの、表情は明らかに、これから起きるであろう最悪の事態を想定していた。

 

「とにかく、あまり身体に負担のかからないように。

来週の検査まで、静かに一週間過ごそう」

そう、二人で決めた。

 

粛々とした日々を過ごしていた。

当時、私は仕事をしていなかったので、できる限り外出もせずにいた。

なるべく考えないようにしたかったけれど、どうしても暗いイメージばかりが頭の中をよぎってしまう。

 

振り払うようにして、テレビをつけると、まもなく開幕するという

バンクーバーオリンピックの特集が組まれていた。

ぼんやりとテレビを見ながら、華やかなフィギュアスケートの世界を見つめていた。

女子は、日本の浅田真央選手と、韓国のキムヨナ選手が一騎打ちになるであろうことで

世間は大賑わいだった。

 

氷の上で表情豊かに踊り、滑る彼女たちはまるで、オルゴールのうえで回り続ける、お人形のようだった。

 

浅田真央選手のインタビューや、これまでの演技などを見ていると

無心になれた。

トリプルアクセルという諸刃の剣になりかねない彼女のジャンプを、

テレビ越しに、ただただ、眺めていた。

ただただ、彼女のスケートがキレイだと思いながら。

 そうして、私は少しずつ、心の準備をしていたのだと思う。

 

 

一週間後の検査を待たずして、私は流産した。

 

日曜日の昼過ぎに、猛烈に下腹部が痛くなった。

むしり取られ、絞り出されるような強烈な痛みが襲ってきた。

「出産の痛みは、これの何倍も痛いんだろうなあ……」

と、痛いながらも、なぜか客観的な自分がいた。

悲しい、というよりは

ああ、やっぱり、この子は早く出て行ってしまったな、という気持ちが強かった。

夫に救急病院へ電話してもらって、

当直のお医者様と痛みのさなかで話をした。

 

今出ている血液は、そのうちにおさまること。

強烈な痛みも、そのうちにおさまること。

救急車を呼んでもいいけれど、今の状態なら

自家用車で病院まで来てほしいということ。

 

夫に車の準備をしてもらって、

私は救急病院へ向かった。

車に乗るときは、もうさっきまでの搾り取られるような

猛烈な痛みはまったくなかった。

猛烈な嵐に襲われていたのに、あっという間に過ぎ去って

何もなかったかのように、晴れ間が広がっているみたいだった。

 

嵐は痛みも、悲しみも、胎児すらも。

なにもかも連れ去っていって

あとには、ただポツンと、私のこころだけが、取り残されていた。

 

 

救急病院で一通りの処置を受け、妊娠初期の流産は、10人にひとりはある事だと説明された。

入院することもなく、帰宅して良いと言われた。

 

 

 

帰り道では言葉少なげに夫と二人で、

ただ音楽を聴きながら自動車を走らせてもらった。

なにか、食べられるなら、食べた方がいいんじゃない? と

夫は気を遣って、お弁当屋さんで、私が好きそうなものを見繕って

買ってくれた。

 

私は悲しかったけれど、泣くこともなかった。

無理やりお腹がすいたふりをして、

「疲れたし、おなかすいたわ。プリンも買って帰ろうか」

と、必要以上に元気なそぶりを見せて、少しでも夫を安心させようと振舞っていた。

夫も、私が演技をして明るく振舞っていることを分かっていたけれど

騙されてくれていた。

 

家に帰ったら、何事もなかったかのように

サザエさんが放送されていて、当たり前の日曜日が、過ぎ去ろうとしていた。

私達は、静かに、味のしないお弁当を食べた。

 

 

次の日は、朝起きると雪が積もっていた。

寒くて、こんなにも寒い世界には出てきたくはなかったんだろうなと、

なんとなく考えていた。

 

安静にしているように言われていたので

また、テレビをつけた。

テレビでは、また浅田真央選手を応援する番組が放送されていた。

スケートリンクにいるときの浅田選手は、とても厳しい表情だったけれど、

神々しくもあった。

 

まるで、お雛様のようだった。

 

柔らかい表情で、私を許してくれたり

厳しい表情をみせて、私を叱咤してくれていた。

 テレビ越しではあるけれど。

浅田選手の挑戦から、私は目を離せなかった。

 

体調が良くなると、私はすこし実家に戻ることになった。

昼間に、一人で過ごす時間が長すぎるのを、夫が心配したのだ。

夫は、明らかに私が無理をしていることを感じとっていた。

私は私で、夫の仕事が忙しいのに心配させては行けないと、気を遣っていた。

 

2月中旬に、大阪の実家に戻った。

ちょうどオリンピックもはじまっていた。

 

父も、姉も必要以上に心配することなく、普通に接してくれた。

母は、「疲れたやろ」と言って、ぎゅっと私を一度だけ抱きしめてくれた。

 

姉はオリンピックが好きなので、様々な競技を録画しては「ひろちゃん、一緒に見よう」と誘ってくれた。

ショーン ホワイトのハーフパイプを見ては興奮したり、カーリングを見ては「あれ、一回やってみたいなー」と、のんきに話していた。

そうした、何でもなく流れている時間が、私にはありがたかった。とても。

 

オリンピックも後半になり、フィギュアスケートが始まった。

男子は高橋大輔選手の素晴らしいパフォーマンスに心が痺れた。

 

女子は、やはりキムヨナ選手と浅田真央選手のどちらかが、という張り詰めた雰囲気だった。

 

浅田選手の、フリー演技。

ラフマニノフの「鐘」という曲に合わせて

氷の上を滑らかに踊る。

 

しかし。

神様は残酷だった。

浅田選手は、銀メダルだった。

 

 

どれほど努力しても、1番欲しいと思っていたものが手に入らないなんて。

浅田選手の頑張りは、テレビを通じてしか知らないけれど。

ちょっとした運命の流れが明暗を分けてしまうのだと感じた。

 

浅田選手の悲しみと、私の悲しみとのベクトルは全く違う方向だ。

国民的に愛されているスポーツ選手の気持ちなんて、私にわかるはずもない。

けれど、なぜか、ふいに「今回の事は、仕方なかったんだ」と思えた。

 

浅田選手も、またここから自分の目標に向けて歩むんだと思うと、「私も、また頑張らなきゃ」と、素直にそう思えた。

 

一緒にテレビを見ていた姉に

「私もまた、がんばるわ」と伝えると、姉は静かに頷いてくれた。

 

***

 

人生のひとつの通過点が、たくさんあるだろう。

点と点が繋がりあって、線が道をつくることにもなる。

わたしの人生のひとつの通過点には、確かに浅田真央選手のバンクーバーオリンピックの演技があった。

 

あの日、あの演技を見なければ

私はまだ点を通過できずにいたかも知れない。

 

浅田真央さんにありがとうと伝えたい。

これから歩まれる道に、たくさんの笑顔がありますように。

 

 *長くなりました。お読みいただきまして、ありがとうございます。