ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

年齢を重ねるうえで、ひとつだけ決めたこと。

私自身は「若いころに戻りたい」なんて、まったく考えたことはない。

いま、36歳だから、もう少し歳を重ねていけば「30代に戻りたいわー!」とか、思うのかも知れない。けれど、今のところ、一年前にすら、戻りたいとは思わない。

 

それは、今が充実してるからでしょ? と思われるかも知れない。一年前はブログも書いていなかったし、とりまく環境がガラリと変わったのは確かである。今が充実してるか、と言われればしているかな? と思う。けれど「じゃあ、一年前は充実してなかったか?」と聞かれるてみても、多分楽しく暮らしていた。けれど、別に戻りたいか? と言われても「はい、戻りたいです」と即答できない。ひとつ未練があるとすれば、実家で暮らしていた犬が死んでしまったから、今戻れば会えるなあ……ということだけだ。

 

年と取る、というのは私にとっては「死」に近づく、という感覚が強い。マイナス思考とか、そういうことではなくて、こう考えるようになったのは、あるお話がきっかけだった。

 

そのお話は、村上春樹さんが書かれた短編で「プールサイド」というものだ。

詳しくあらすじは書かないけれど、この短編の中で私にとっては、かなり胸にせまるフレーズがあった。

それは「人生の折り返し」という言葉だ。

 

お話に出てくる主人公の男は、35歳を折り返し地点と定めていた。

70歳で、人生を終える計算だ。

 

70歳。

私は、どうだろう?

いつを人生の折り返しに定めようか?

 

このお話を20代のころに読んで、結構真剣に悩んでしまった。

もちろん、命を脅かすような病気に罹ってしまったら、折り返しだのなんだのとは言っていられない。けれど、治療を重ねて、まあまあ何とか元気、というのが親や親戚をみていても、そんなふうに過ごしている。

 

長生きしたい、とか、ポックリいきたい、とかいろいろ言っているけれど、明確に「何歳まで生きれば良い」と言っている人は少ないように思う。それが良いとか、悪いとかではない。

 

ただ、私自身は、人生の最終地点をいつにするか、自分でやんわりと覚悟を決めて生きていくのがいいのかなと感じたのだ。

実際の最終地点がいつになるかは、分からない。

明日かも知れない。

あと2時間後かも知れない。

それは、分からないことだ。

 

けれど、ただ怠惰に過ごしていくのは辞めて、いつか訪れる最後の日を意識して、毎日を大切に過ごしていこうと決めた。

 

私はもう、自分で決めた折り返し地点は過ぎている。

ラストスパートにはまだ早い。

けれど「後半の追い上げがすごい」と思えるように、日々暮らしていきたい。