ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

ひとりで食べた、炊き込みご飯。

Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」

 

ひとり飯、というと、忘れられない思い出がある。

 

かれこれ18年ほど前。

私が高校を卒業して、大学に進学することになったときの話だ。

 

私は高校まで大阪で過ごし、大学進学を機に、神奈川でひとり暮らしを始めることになっていた。

 

高校の卒業式が終わって、まだ大学の入学式には早い時期に私は神奈川へ移り住むことにした。

実家での生活が息苦しく感じていたからだった。

 

口うるさい父。

心配性の母。

自分勝手な姉。

顔を見たくない、というほど、仲が悪いわけではないけれど。

一緒に過ごしていると、ついイライラして、心にもないことを言ってはケンカをしたり、悲しませたりしていた。

 

鬱陶しい家族と、離れて暮らせるなんて。

いや、家族と離れて暮らすために、神奈川の大学を志望したのかもしれない。

とにかく、早く別々に暮らしたいと考えていた。

 

 

しかし、高校を卒業したばかりの私は、世間知らずだった。私だけでは何にもない、がらんどうのワンルームのアパートを、住めるようになるまでに、なにを、どう準備すれば良いのか分からない。

大学が始まるまでの3週間ほど、母親も一緒に上京することになった。

 

そして母とふたりで、これから私がひとりで、4年間を過ごす、ワンルームのアパートでの生活に向けて準備を始めることになった。

 

大学にほど近いワンルームのアパートを借りて、私は、これから始まる生活に期待で胸がいっぱいだった。

母親も、口うるさい父親と少し離れて過ごす日々を楽しんでいるようでもあった。

 

はじめのうちは、家電を揃えたり、ちょっとした家具を買いに行っては、母と私で組み立てたりして、ふたりで楽しく過ごしていた。

ふたり分の食事も、作るのが面倒だといって、近くにあるスーパーでお惣菜を買って食べたり、「神奈川県といえば、やっぱりシュウマイやねんなあ」といって、崎陽軒の幕ノ内弁当を買ってきて、ちいさなテーブルでふたりで食べていた。

 

けれど、次第に私は母を疎ましく感じるようになってきた。

「せっかく、ひとり暮らしを始めたのに。お母さん、いつまでいるんやろ?」

そんな気持ちがムクムクと沸き起こりだした。

 

いつまでいるんやろ? と言っても、母が大阪に戻る日は決まっている。

入学式が済んだのち、大学でのオリエンテーションを受けて、本格的な講義が始まる前の週末に、母は大阪に戻る。

もともと、私のひとり暮らしの準備を手伝うことと、入学式の様子を見て、父に報告する、という使命もあったため、その任務を遂行するために、母は私と一緒に過ごしているのだ。

 

私が一人暮らしのために必要になるであろう家電や家具は、一週間もあれば、大方揃っていた。そのために母も、ヒマを持て余しはじめ「ちょっと、鎌倉に観光してくるわ」などと、早起きして、いそいそと、ひとりで出かけたりもしていた。

 

ヒマなんやったら、大阪、帰ればいいのに。

 

そんな態度が、気持ちの中だけには抑えられなくなっていた。

少しずつ、母を邪険に扱うような、口ぶりや、接し方にあらわれ始めていていたし、

母も、狭い部屋で、ずっと私と過ごしているのが窮屈に感じ始めたのだと思う。

 

ケンカをしているわけではないけれど、

少しずつ、重たい空気が、ワンルームのアパートに充満し始めていた。

食事も、手抜きの総菜ばかり、ふたりでモソモソと流し込むように食べていた。

 

ようやく大学の入学式が行われ、押し出されるようにして大学生活も始まっていった。

 

初登校の日に、母は心配そうに「いってらっしゃい」と私を見送ってくれた。

そのころには、あと数日で母がいなくなるという解放感と、ようやく現実が見えてきて

じんわりと寂しさもこみあげて、複雑なきもちがぐるぐると心の中を渦巻いていた。

 

緊張しながら、大学に行ってみたけれど、

私の予想以上に地方出身者も多くて、すこしずつ話ができる友達もできた。

 

......よかった。思っていたより、難しくなかった。

人見知りが激しく、人との距離をうまくつかめなかった私は、ちょっと安心した。

 

ホッとした気持ちを抱えて、帰宅した。

母が「おかえり」と、出迎えてくれた。

おかえり、と言ってもらうのは、今日までだ。

明日には、母は、大阪に戻ることになっている。

 

母はすでに、ボストンバッグに荷物をまとめていた。明日の朝に必要な物だけが申し訳なさそうに、部屋のかたすみに、ちょこんと置いてあった。

 

その日の夕食は、炊き込みご飯だった。

母が作ってくれる炊き込みご飯は、鶏モモ肉と、きのこがたくさん入っていて、私の好物だった。

「いつもみたいに作ったら、食べきられへんやろから、少なめに炊いたわ」

そう言って、母は、お茶碗に炊き込みご飯をよそってくれた。実家で食べていた炊き込みご飯の時、おかずはいつも卵焼きだった。ひとり暮らしの家には卵焼き器がなかったので、溶き卵を適当に焼いたものが、おかずとしてテーブルに並んでいた。

 

「大学、楽しそうか?」

母は、夕飯を食べながら聞いてきた。

「うん。青森から来た子と、仲良くなれそうやわ」

「そうか。楽しみやね」

「うん」

 

私は母と、あまり会話を交わせなかった。

数日前までに感じていた煩わしさのせいじゃ、ない。

あしたから、私は本当に、ひとり暮らしを始めるのだと思うと、泣きそうだった。

だけど、泣いてしまうと、母を心配させてしまうため、泣くわけにもいかなかった。

 

母が作ってくれた、炊き込みご飯を、ただもぐもぐと、噛みしめた。

 

翌朝、母は大阪に戻っていった。

私は新横浜まで見送りに行くといったけれど、母は「地下鉄に乗ったら、一本やし」と言って、私の見送りを頑なに断わった。

 

ボストンバッグを持って、母を地下鉄の改札まで見送りにいった。

母も、私も、もう2度と会えない訳じゃない。けれど、決定的に変わってしまう、これからの暮らしを考えると、ギュッとわしづかみにされたように胸が締め付けられた。

 

「また、長い休みには帰ってくるんやで! ほな、またね」

そういって、母は、作りものの笑顔を見せて、地下鉄の改札に入っていった。

私は、手を振りながら「ありがとう」と大きな声で叫んだ。

 

心配し続けてくれて、ありがとう。

今まで一緒にいてくれて、ありがとう。

むりやり笑ってくれて、ありがとう。

めんどくさい娘で、ごめんな。

 

いろんな気持ちが混ざりあった「ありがとう」を、母に届けた。

母は、小さくうなずいて、下りエスカレーターに乗って、行ってしまった。

 

自宅に戻ると、急に部屋が広くなったように感じられた。

今まで一緒にいたときは、煩わしいとすら感じていたのに。

その存在だけで、私は守られていたのだと、今更ながらに気がついた。

 

寂しくて、涙がこぼれてきた。

戻りたい、とは思わない。

けれど、今まで守られていた、大きなものは、もう私の側にはいない。

遠くからは、守られているだろう。

けれど、いままで当たり前のように感じていた存在は、当たり前じゃないんだと、ようやく理解できたのだった。

 

夕飯には、母が昨日作ってくれていた、炊き込みご飯を食べた。

昨日までは、いや、今日の朝まではふたりで食べていたご飯も、これからはひとりで食べるんだと思うと、やっぱり寂しかった。

 

ひとりで食べた、炊き込みご飯の味は、昨日より、塩っぱかった。

 

 

母から、無事に、大阪の家に着いたと電話がかかってきた。

私は、なんとなく寂しい気持ちを伝えたが、母は、あっけらかんしていた。

「そら、寂しいかもしれんけど。そんなん、今だけやでー! 大学、がんばりやー」

そう言って、ガチャンと電話は切れてしまった。

 

なんや! と、軽く憤慨したけれど、メソメソしてても、仕方がない。

自分で、決めたことなのだから。

明日から、がんばるわ。

帰省したときは、炊き込みご飯、作ってな。

 

 

 

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