ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

町内のアイドルだった、ゆず君のこと。

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「うわぁ、可愛らしいねぇ」

ゆず君を散歩に連れていくと、かなりの確率で声をかけてもらっていた。

 

ゆず君とは私の実家で暮らしていたオスのチワワの名前だ。目の上の、人間だとちょうど眉毛のあたりの毛色が薄茶色になっていて「麻呂みたいやねぇ」と可愛がってくれる人もいた。

 

お向かいに住んでいる、90歳近いおばあちゃんも、会うたびに「イケメンっていうやつやね!」と言いながら目を細めてくれた。

 

ご近所で大人気だったゆず君は、我が家でも当然のように愛されていた。

「室内でイヌ飼うの、なんか嫌やなあ」と、はじめのうちは少し嫌な顔をしていた父ですら、キューンて甘えた声を出しておやつを欲しがったり、わざわざ父のヒザの上に乗ってくつろいだりする姿にメロメロになっていった。

 

母も、姉も、当然私も、ゆず君のことが大切で可愛くてしかたなかった。

 

近所の小学生は「ゆず君と遊ばせて〜」とインターフォンを押して訴えてきたけれど、当のゆず君は小学生(というか、小さな子どもたち全般)が苦手らしく、散歩途中に出会ってもギャーギャーと吠えて近寄るな! と言わんばかりだった。あるひとりの女の子は、当時流行っていた任天堂DSの犬を育てるゲームの中で、チワワを飼ってゆず と名付けたことも報告してくれたほどだった。

 

そんなゆず君も、少しずつ年をとっていった。8歳になったころ、ゆず君は心臓が肥大化していると動物病院で診断された。

私はそのころ、結婚をして実家から離れて暮らしていたので、電話で病気について知らされたときショックだった。けれどきちんとお薬を飲んで、定期的に病院で検査を受ければ、すぐに命にかかわるようなこともないだろうとも言われた。同じような症状で18歳くらいまで長生きしたチワワもいるし、深刻に考え過ぎなくてもよいと。

 

実際に帰省をしたときには、ゆず湯はあいかわらずワガママな素振りを見せていたし、取り立てて病気のような雰囲気は無かった。朝晩にお薬を飲んでいて、太っちゃいけないからと食事の管理が厳しくなっていたくらいだった。

いつも通り愛くるしくて、小さく丸まってはイビキをかきながら眠っていた。我先に! と散歩ではグイグイ、リードを引っ張って歩いていた。

病気だと告げられてから2年が過ぎて、病状がひどくなることもなかった。「お薬を飲んだり、通院は大変やけど安定してるから大丈夫やんな」と家族の誰しもが思っていた。

 

 

その知らせは突然だった。

姉からのLINE。

「昨夜、ゆず君が亡くなりました」との、ひとことだけが送られてきた。

 

あまりにも突然で、咄嗟に理解できなかった。LINEで送られてきた一文を、受け入れられずにいた。私は実家に電話をして「何があったの?」と聞いた。姉は泣きじゃくっていて、電話で話せる状態じゃなかった。母が言葉を詰まらせながら、夜中に発作のような感じになって、あっという間に死んでしまったと告げた。

 

居ても立っても居られず、私は実家に帰った。土曜日で仕事がお休みだったし、とにかく信じられなかった。夫の実家で法事の予定があったのだけれど、それどころじゃなかった。夫も、義理の母も「実家に帰りなさい」と言ってくれた。

 

実家に帰ると、ゆず君はバスタオルの上で横たわっていた。眠っているようにも見えた。けれど、起き上がって「おかえり!」と尻尾を振ってはくれなかった。

 

私たち家族は散々泣いた。ご飯を食べながらも泣いた。何をしていても、ゆず君の思い出があり過ぎたのだ。

 

動物霊園に連絡して、火葬してもらった。ゆず君は、煙になって、骨だけが残った。

 

ゆず君のお気に入りだったぬいぐるみも、ふわふわのハウスも、もう必要ない。

ただいま、と玄関を開けると、大げさに飛び出してきて、おかえりおかえり! 歓迎してもくれない。朝食のリンゴを「ぼくにもちょうだい」とおねだりすることもない。柔らかな舌でぺろぺろと舐めてくれることも、もうないのだ。

 

ゆず君が死んでしまって今年で2年になる。今でも夢でもいいから、会いたいと思うけれど、触れることは許さない、永遠のアイドルになってしまった。