ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

優しいだけでは傷ついてしまうのだとしても、優しさに救われたいと願わずにはいられない。

優しくて、あたたかい映像なのに。

その場面とともに語られる言葉には胸を打たれて、いつのまにか目の縁ギリギリまで涙がたっぷりと溜まってしまう。

まばたきでもしようものなら、ハタハタと溢れ落ちることは間違いない。

 

2017年10月からNHKで「三月のライオン」のアニメ2期の放送が始まった。

 

「三月のライオン」は、羽海野チカさんが原作を描かれている漫画。現在もヤングアニマルにて連載中だ。実写映画化も2017年に行われ、主人公の桐山零を演じた神木隆之介さんは、漫画の世界から飛び出してきたかのように感じたほどだった。

実写化された映画も、すばらしかっだのだけれど、原作の絵が大好きで大好きでたまらない私には、その絵が実際に動き回り、声を発しているアニメが好きなのだ。

 

2期目ということもあり、物語も少しずつすすんでいる。主人公の桐山零に焦点を合わせ、中学生でプロの棋士として活動をはじめた主人公の成長を将棋の世界を絡めながら描いた1期の頃よりも、話の内容がグッと身近、と言わざるを得ないテーマになった。

そのテーマは「いじめ」だった。

零がお世話になっている大切な家族、川本家の次女ひなた(ひなちゃん)が、学校でいじめにあう。

 

中学や高校時代に、自分自身の身に降りかかったことがある人も、遠巻きに、関わらないようにしていた人もいるだろう。

私自身は、中学生のときに決して言わなくてもいいひとことを言ってしまったことで、クラスから孤立した経験がある。けれど、それは自業自得だと思っているし、クラスで孤立してしまった経験=いじめではなかった、とも私自身は考えている。

 

三月のライオンで描かれているタイプのいじめは「よくあること」なのだろうか?

靴が片方、なくなっていたり。黒板いっぱいに悪口がかかれていたり。

陰でコソコソと(でも、クラスいっぱいに聞こえるほどの大きな声で)悪口を言ったり。

よくあることでしょ? とは言いたくないし、私自身は経験してもいない。他のクラスでも陰湿ないじめはない学校だったと思っている。

 

たかがアニメ。されどアニメ。

アニメといえども、おもしろおかしなことだけがおきる世界じゃないのだ。

社会の縮図ともいえるような、中学校生活のヒエラルキーを、まざまざと見せつけてくる。毎回、見るたびに胸が痛むし、ひなちゃんを思うだけで涙がこぼれてしまうこともある。

だけど、クラスで孤立して、暗く凍り付いてしまった心に、ほんの少しでも暖かな陽だまりのような優しさが、彼女に笑顔を取り戻させてくれるのだ。

零くんの、精いっぱいの優しさや、ひなちゃんの家族である、おじいちゃんの絶対的なひなちゃんへの信頼感。あかりおねいちゃんが作ってくれる、温かくこころのこもった食事。モモちゃんのただただ無邪気な笑顔。誰かに傷つけられた心の痛みは、誰かに優しくされ、誰かに認めてもらうことでしか癒されないのかもしれない。

 

この先のストーリーはコミックを読んでいるので知っている。けれど、テレビの画面で暗闇の中に光を求め、さまよいながらも、歩いていくひなちゃんへ、ガンバレ! と声をかけたくなってしまう。

オープニングテーマ曲であるYUKIさんの「フラッグをたてろ」の歌詞が、ほんとうにぴったりで、そんな理不尽なことに負けるんじゃない! と背中をさすってあげたくなる。僕は僕の世界の王様で、水の上だって、走れるのだから。

だからこそ、くだらない遊びに巻き込まれて、負けちゃいけないんだと、

そっと、背中を手を添えてあげたくなる。