思い出という名前のお守り
「もう、これ使わないなあ……」
箱の中に入っている物を一つずつ手にとってみては、また同じ場所にそっと戻す。
さっきから、その繰り返しばかりで、一向に掃除は進まない。
今の家に引っ越してきて、もう六年も経とうとしている。
それなのに。
「とりあえず、引っ越し先でどうするかは考えればいいや」と、無理やりダンボール箱に詰め込んだものの、どうするか考えていない物がひしめき合っていた。
そのひとつに、アクセサリーがあった。
ネックレス、リング、ピアス、ブレスレット。
天然石があしらわれた可愛らしいものから、凝ったデザインのブレスレットまで。
私は二十代の頃、とあるアクセサリーブランドにどハマりしていた。新作が出ると聞けば、いそいそとお店に出向いては、うっとりとショーケースの中を眺めていた。その中でも特に気に入った物があれば、店員さんにお願いして試しに身に付けさせてもらっていた。そうして、その中からひとつ、ときにはふたつ。自分へのご褒美だからいいよね! と、誰にともなく言い訳して買っていた。誰かからプレゼントしてもらえたら良かったのだけれど、そんな相手も残念ながらいなかった。
アクセサリーの新作は、だいたい春と秋の年二回。それと、クリスマスシーズンに向けて発表される特別なアイテムがあった。
シルバー素材なら、ひとつは一万円もしないし、あれこれと購入した。首は一つしかないのに、カワイイ! といってはネックレスを購入した。お店のスタッフさんが「二連で、重ねてつけてもカワイイんですよー!」というセールストークを間に受けて、ジャラジャラと重ねていた。アクセサリー自体はかわいいものだったし、スタッフの皆さんは、確かに似合っていた。けれど、私自身はそれほど似合っていなかったかも知れない。ただ、そのアクセサリーを身に付けていたいという思いが強かった。まるで鎧で身を固めている武士のように。アクセサリーを身に付けているだけで、護られているような気さえしていた。
しかし。
私はあるときから、アクセサリーを身に付けられなくなっていった。
金属アレルギー、とは言えないのだけれど、アクセサリーを身に付けると肌がかぶれてしまうようになってしまった。
ピアスは、どんなに消毒しても赤く腫れてしまう。K18のものでも、ダメだった。ネックレスやブレスレットも、首や手首にチェーンが擦れるたびにかゆくなり、ぽってり腫れて熱をもっていた。金属そのものが原因ではないのかもしれない。私の取り扱い方が良くなかったのかもしれない。今までは、どこへ出かけるにも必ず身に付けていたのに。いまでは身に付けるとかぶれたり、イヤな気持ちになってしまう物になり下がってしまった。
アクセサリーボックスに、たくさん並んでいるけれど、もう身に付けようとは思えなくなっていた。
そうして、その箱は閉じられて、ずっと部屋の片隅に埋もれていたのだ。
「いい加減に、部屋を片付けなきゃ」
先日、ふとそう思った。断捨離だとかそこまでのレベルの話じゃない。だけど、暮らしていくうちにどんどんと積み上げられていくものたちと、そろそろ向き合わないと、と思ったのだ。
あれやこれやと散らかってはいる。もう着るとは思えない洋服なんかから片付けていけば、ある程度はすっきりするに違いない。けれど、私はやっぱり気になっていたアクセサリーボックスに手を伸ばした。スニーカーを買ったときに入っている箱の大きさ。この中を片付けたところで、部屋自体はなんにも片付かない。けれど、私は衝動的とも言えるほどに「このアクセサリーを片付けなければ」と強く感じた。胸をかきむしるほどに強く。
そして、箱をそっと開けた。
中には、薄汚れてみえるアクセサリーがグチャグチャと入っていた。じっと見つめていると、少し涙が込み上げてきた。
この指輪を買ったとき。失恋したんだよな……。
このブレスレットを買ったとき。転職したくて、いろいろ空回りしてたんだ……。
このネックレスを買ったとき。お友達の結婚を素直に喜べなかった……。
闇雲に買いそろえていたと思ったけれど、ひとつひとつのアクセサリーには、何かしらの思い出があった。片想いしていた彼とのデートにつけていったなあ、とかこそばゆいものから、どす黒く渦巻いた気持ちを封印するかのように身に付けていた護符のようなものまで。
アクセサリーのひとつひとつに、私は護られていたんだな、となんとなく思った。
今では、もう輝きはなくなっていて、薄汚れてみえるけれど。その時々で私を助けてくれていたんだ。そう感じることができた。
私にとっては、アクセサリーだったけれど。たぶんその人にとって、人生のお守り的な存在はあるのだと思う。例えば、部屋に何気なく置いてある観葉植物だったり、繰り返し読む本だったり。UFOキャッチャーでとった、なにげないぬいぐるみだったり。ものじゃなくても、友人との夜通しのカラオケとかもあるだろう。
だけど、本当になんでもいい。自分の人生のある瞬間を支えてくれるものはある。それは、その瞬間には気がつかないかもしれない。けれど、後になって、ふと気付く。
「ああ、あの時はあれに助けられていたな」と。
いろいろなものに助けられないと、私たちは生きていけない。当たり前のように生きているけれど、本当は当たり前じゃない。
あの時はありがとう、と言葉をかけて、アクセサリーボックスのフタを閉めた。
もう、私にはこのアクセサリーたちに、
守ってもらうことはないだろうと思いながら。