ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

今日から世界はまぶしく見える

数日前のある朝。どこからともなく、ペキッ、と音がした。

「ええ?」

と思いながら、手元を見ると今まさにつけようとしていたメガネが壊れていた。左耳にかけるところ(ウデ、ツルなどと呼ばれている部分)が折れている。

 

あまりにも突然のことで、びっくりしながらも「ああ、もうこのメガネとはさようなら、なのかな……」とさみしくなった。

 

私がメガネをかけ始めたのは、高校3年生のころ。黒板の文字が薄ぼやけて見えなくなってきた。父親がメガネをかけていたこともあって、「将来私はメガネをかけるんだろうな」となぜか考えていた。そのため、メガネに対する抵抗感もなくて「やっぱりな」ぐらいの感じでメガネをかけ始めた。

大学生になると、コンタクトレンズを装着するようになった。けれど、私はずぼらな性格に併せて体質的なこともあり、よくコンタクトレンズによるトラブルがおきた。

コンタクトレンズのカーブが眼球のかたちに合わなくて、傷がついてしまったりだとか、 コンタクトレンズの洗浄剤が目に合わなくてアレルギーを起こしたりだとか……。

 

15年近くコンタクトレンズをつけていたけれど、年に一回はコンタクトレンズが問題となり眼科に行くということに対してストレスを感じるようになっていた。

そうして私は、コンタクトレンズの生活をやめて、これからはメガネをかけた生活を送るぞと決めたのだった。

 

メガネはメガネで不便なところもある。花粉症でマスクをつけると、もれなく曇ってきたり。ついレンズを触ってしまって、指紋がべったりとついたままになってしまったり。ほとんどスポーツなんかもしないけれど、気まぐれにランニングをするときにも、確実に邪魔だと思う。実際には「メガネが邪魔そうだな」と思うと、ランニングすらしなくなっているのだけれど。

 

そんな不便なところがあったとしても、かれこれ四年近くメガネは私の顔の一部になっていた。

メガネをかけた顔イコール私の顔、とは言いすぎかもしれないけれど、感覚としてはそうだった。黒ぶちで、四角い形のメガネ。

そのメガネの細い部分が、ペキッと折れてしまったのだ。

 

朝の支度途中のことで、「もう、忙しいときに!」と、とっさに思ってしまった。けれど、その直後に「ああ、もうこのメガネとは、さようなら、なのかな……」という寂しい気持ちがフワフワと私の心に漂い始めて、底の方に静かに沈んでいった。

この何年か、確実に、私の顔の一部だったのに。

物には寿命があるのだから、仕方ないと思うけれど。折れたツルと、レンズの部分を一緒にメガネケースにそっとしまった。

 

私は新しくメガネをひとつ購入した。

黒ぶちの四角い形のメガネ。

前にかけていたものと、かなり似ている。

だけど、違う。

全然、違うのだ。

レンズはピカピカで、世界はまぶしく見える。

それに、まだ私の顔に馴染んではいない。

 

新しくまぶしい世界を見るために。

新しいメガネをかけて歩んでいくために。

また毎日をこつこつと、過ごしていくしかないのだと思う。