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ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

自分の本当のキモチに、この本を読んで気がついたこと。

あぁ。

そうだったんだ。

 

この本を読み終えたとき。

涙がこぼれて仕方なかった。

 

涙がこぼれた、といっても

「どうせ、お涙ちょうだいもの。感動の押し売りでしょう?」

というものじゃない。

 

ただ、みんな、自分のキモチを小さな箱の中に

大事に大事に閉じ込めて

我慢しながら暮らしているんだ。

 

私がこの本に出会ったきっかけは、Twitterだった。

もう、かなり前のことだと思う。

ホォローしていた誰かから、リツイートされて回ってきた紹介を読んだ。

 

Twitterでは、私はとくにつぶやいたりもしていない。好きな有名人やライターさんをフォローしていて、その人達のつぶやきを、ただなんとなく見ているだけ。「私だけの、おもしろい情報を見逃したくない」という気持ちだけでみていた。

 

その本の紹介も、好きな有名人の人がリツイートしていて、「ふーん。おすすめなんだ。ちょっと見てみようかな?」というつもりで、のぞいて見た。

 

……うかつだった。

電車の到着を待つ、スキマ時間に見てしまったのは大失敗だった。

 

たったひとつのエピソードだけで、私のこころはわしづかみにされてしまった。

目頭がカァッと熱くなる。

鼻の奥が、ツンとしてくる。

 

なんどか瞬きをしたら、ぽたりぽたりと涙がこぼれてきた。

鼻水まで、ツッーっと垂れてくる。

 

やばい。

電車に乗れないぞ。

涙が、あとからあとから込み上げてくる。

急いでカバンの奥の方に入って、くしゃくしゃになっているハンドタオルを出して涙をぬぐう。

 

ホームで電車を待つ人達が、不思議そうに私の様子を伺っていた。

 

あの人、彼氏にふられたのかな?

よっぽど、悲しい連絡がきたんだろうか?

 

かわいそうに。

 

そんな目線が私に投げかけられているのを感じる。

 

……やばいよ、やばいよ。

 

まるで、お笑い芸人の出川哲郎のように、

こころの中で「やばいよ、やばいよ。涙がとまらないよ」と繰り返していた。

公衆の面前で、思わず号泣してしまい、いちばん私自身がうろたえていた。

 

そのときに読んだエピソードは、たぶん何でもない一コマで。

 

老夫婦と一緒に住まう、ワガママな猫のエピソードだった。

 

ただ、それだけの話なのに。

私のこころは、ギュッとわしづかみにされてしまったのだ。

 

わたしは、Twitterでそのストーリーを配信されている。

Twitterでは、他のエピソードもたくさん紹介されていた。

どれも、うかつに読むのはキケンだった。

 

仕事がうまくいかない話。

いじめられっ子の話。

病気とたたかうひとの話。

ワガママな猫の話。

 

どれも、短いストーリーなのに

心にジンワリと染み込んでくる。

 

コトコトと煮ふくめた高野豆腐のように

ふんわりと暖かくて、どこか懐かしくて。

 

噛みしめると、染み込んでいたダシが

じゅわんと口いっぱいに広がる。

作ってくれたひとの優しさを感じることができる。

 

そうか。

この本は、そうなんだ。

 

みんな、ひとの優しさに触れたいんだ。

優しくされたいんだ。

それを、気づかせてくれているんだ。

 

厳しい現実に生きる人たちが、

こころの中で涙を流している。

 

だけど、その涙は

悔しくても

辛くても

悲しくても

死にたくなったとしても

 

誰かの優しさに、少しでも触れることができたなら

許されたような気持ちになるんだ。

 

生きものは、いてくれるだけで

他の生きものの力になるんだ。

 

 

笑いたいときには、笑えばいい。

泣きたいときには、泣けばいい。

 

そんな、当たり前の気持ちすら箱の中に、ぎゅうぎゅうに押し込めて生きてたんだ。

 

泣くのは、弱いからじゃない。

それは、生きていくための、

当たり前の気持ちなんだ。

 

この一冊の本が、それを教えてくれたことに気がついた。

今宵もどこかで、涙の匂いが。

朝が、みんなに訪れますように。

 

 

「夜廻り猫」1〜2巻

著者: 深谷かほる