ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

得意料理は味噌汁です、と言える日が来るだろうか。

今週のお題「得意料理」

得意料理はなんですか? と、聞かれたときにうまく答えられない。

18歳からひとり暮らしをしていたし、結婚してもう9年近くになる。その間何度も料理をしているはずなのに、どんなものを作ってきたかもあまり記憶にない。

 

ひとり暮らしをしていたときは、はっきり言って食事に興味がなかった。食べたり、食べなかったり。ひとり分の料理を作るのはめんどくさかった。ひとり分の料理を作るぐらいなら、コンビニやスーパーで、買ったほうが安いし早いとも思っていた。大学時代に付き合っていた彼氏は、居酒屋でバイトしていたので、おつまみみたいなものをチャチャッと作ってくれることも多かった。逆に私がなにか手料理を作った記憶はないか? と思い返してみるけれど、何ひとり思い出せない。

 

28歳で結婚してからは、それなりに料理も作っていた。しかし、私は夫から求められている料理をうまくつくることができなかった。夫は特別、難しいことを言っているのではなく、問題は私自身にある。

 

私には、味噌汁を飲む習慣がなかった。

 

夫は「ご飯は、白米と味噌汁があれば良いよ。あと納豆」などと言っていて、比較的ややこしいことは言わないタイプだ。ただ、味噌汁は作ってくれ、というのである。

しかし、だ。

私は子供の頃から、自分の過ごしてきた食卓の上にはほぼ味噌汁が上がることはなかった。なぜなのか、理由ははっきりしていない。けれど、母に対して、父が「食事のときには汁物が欲しい」と、何度か訴えていたことは記憶している。そして、どうしても味噌汁が飲みたいときには、父はひとりだけインスタントの味噌汁を飲んでいた。

母は料理上手だったし、味噌汁をつくることぐらい簡単な作業だったと思う。最近になって「なんでうちは食事のとき、味噌汁つけないの?」と聞いたことがある。その時の回答は「夜に水分をたくさん摂ったら、眠りが浅くなるから。寝てても、トイレ行きたいなあ……と思ってもじもじするの、いややん。あんた、サッと起きて、トイレいける? 冬とか困るやろ?」と、回答された。

この回答が本心なのか、どうかは分からない。

もしかしたら母がまだ、父と結婚して間もないころに、味噌汁をめぐる問題が起きたのかもしれない。ただ、母がこう答えてくれた以上、しつこく聞くわけにもいかなかった。

 

子どものころからずっと、ほとんど味噌汁を飲まずに過ごしてきているため、味噌汁の「正解」がわからない。

夫と結婚したばかりのころは、味噌汁に対して「そんなに毎日飲まなあかん? たまにでいいやんか」と嫌悪感すら抱いていたほどだった。夫には申し訳ないと思うけれど、ぐらぐらと沸いたお湯に適当に味噌をとかして「はい、味噌汁」と出していたことすらある。味噌汁をつくるのがなんだかとても億劫な作業に感じてしまっていたのだ。

 

けれど、ここ最近、ようやく私の考えが変わる出来事があった。

 

私は残業を終えて、夜遅めに自宅に戻った時のこと。

あまりにも疲れていて食欲はなかった。もう、すぐにお風呂に入って寝たいから夕食は何もいらないよ、とその日は休みで家にいた夫に伝えた。

すると、夫は「味噌汁でも飲む?」と、言ってくれた。

私は普段、「味噌汁でも飲む?」と聞かれても「いらないよ」と答えていた。味噌汁を飲む習慣がないからだ。けれど、その日は、なにか温かい飲み物を、ひとくちだけでいいから飲みたかった。自分でお茶を淹れればよかったのだけれど、帰宅してイスに座ったらどっと疲れがでてしまい、動けなかったのだ。

そんな時に、夫が「味噌汁でも飲む?」と聞いてくれたので、私は「飲みたい」と答えた。夫は自分で作ったワカメの味噌汁を暖めなおして、お椀に半分くらいよそって私にもってきてくれた。

何の気なしに、ひとくち、味噌汁を飲んだ。

だけど、そのひとくちが、じんわりとあたたかく身体中に染み渡った。

ああ、味噌汁って、おいしいな。

心から、そう思えた。

 

そこから、私の味噌汁に対する意識が少し変わってきた。

特別にこだわった出汁をとる必要もないし、具も特別なものを用意しなくていい。

ただ、ひとくち飲んだときに「ああ、おいしいな」と思ってもらえるような、疲れた身体と心までも温めてあげられるような、そんな味噌汁をつくれるようになりたい。

そう思えるようになった。

得意料理として「味噌汁です」と答えられる日が、いつか訪れるようになればいいなと思っている。

 

 

もしも私がルパンなら。

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今週のお題「芸術の秋」

 

「しっかし、ルパンよ。今回はさすがに無謀すぎやしないか? この展示会場にあるものを全て盗むっちゅうのは……」

「にょほほほほ。次元よ、オレ様を誰だと思ってんだ? かの怪盗アルセーヌルパンの孫、ルパァン三世だ。ムリだ、ムボウだと言われると、余計に張り切っちゃうもんねー! この国宝はぜぇえんぶ、オレ様がいただいちゃうもんねー

 

 

私の頭の中で、アニメ「ルパン三世」の声と映像がチラチラと流れていた。

もしも、私がルパンなら、この機会にお宝をがっぽり自分のものにしたい……、いや、してやろうじゃないか! と計画するだろうなあ……と、巨大な大日如来像の前で罰当たりなことをぼんやりと考えたのだった。

私のすぐ隣には、「ありがたや、ありがたや……」と手を合わせて拝んでいるような仕草をしている上品なおばあちゃんがいるというのに。

 

10月のはじめに、京都国立博物館で開催されている「国宝展」を見に行ってきた。大阪の実家に帰る予定があったため、タイミングもちょうど良かった。その時発売されていた、雑誌BURTUSでも国宝展の特集が組まれていた。予習、というわけでもないけれど、どんな物が展示されているのかな? と興味本意で購入し、新幹線のなかでペラペラとめくっていた。

国宝展は2017年10月3日(火)から11月26日(日)までの開催期間中に、Ⅰ期からⅣ期と分けて展示されている品が変わっていくのだという。

私見に行ったのは、国宝展が始まったばかりのⅠ期の時だった。

時期によって展示品が変わるのは、長い期間行われる展示会などでは良くあることだ。

ちなみに、開催期間は、以下のようになっている。

Ⅰ期 10月3日(火)~15日(日)

Ⅱ期 10月17日(火)~29日(日)

Ⅲ期 10月31日(火)~11月12日(日)

Ⅳ期 11月14日(火)~11月26日(日)

 

私は、Ⅰ期に展示されていた「地獄絵図」がみたかったので、ちょうどよかった。

けれど、Ⅱ期にも足を運びたかった。それは、「曜変天目」というお茶碗が展示されていたからだ。工芸品にあまり詳しくな人でも、なんか、聞いたことあるかも? と思われるかもしれない。少し前に「開運! なんでも鑑定団」という番組で「本物か? 偽物か?」と、あまり良い意味ではないけれど話題になったお茶碗。

何がそれほど話題になるのか、と思うかもしれないけれど、一目見ると虜になってしまうほど不思議な輝きを放っているお茶碗なのだ。現代技術でも再現することが難しいとされていて研究が重ねられているほどだ。

その、瑠璃色とも玉虫色とも言えない光を放つお茶碗を一目見てみたかった。けれど、Ⅱ期に展示されていたため、京都国立博物館では残念ながら目にすることはできなかった。

 

 国宝なんて、興味ないよ、という人でもおそらくこの展示を見に行くと興奮するんじゃないかなと思う。

なぜなら、「あ! 教科書でみたことある!」というようなものばかりがずらりと並んでいるからだ。きらびやかな道具類、掛け軸、蒔絵、工芸品、書、仏像、刀、鎧……。

「これ! 知ってる!」というものが、おそらくひとつはあるはずだ。とにかく日本各地に散らばっている日本のお宝が一同に集まっているのだ。

何にも知らないと、「なにこれ。全然つまんない」と思うだろうけれど。展示されている中で、ひとつでも知っているものがあれば、やはり興味がムクムクと湧き上がってくるものだと思う。

特に、国宝だからって、ありがたがる必要もないのだろう。けれど、どれも日本における美術品、工芸品では「最上級」の物であることは間違いない。それらを目の当たりにすることで、いままで知らなかった物に対して興味の芽がニョキっと生えるかもしれない。私自身で言えば「地獄絵図」を見に行ったのだけれど、仏像の美しさにも目を奪われた。(なんとなく、罰当たりなことも、その仏像のフロアで思ってしまったのだけれど)

どれをみても「国宝」というのは、なかなかない機会だろう。現に今年(2017年)の前はいつ開催されたのか調べると2000年に開催されていたとある。また、次でいいや、と思っても、次はいつになるかちょっと予想できない。

京都まで、ふらりと足を運んで……というのはなかなか難しいかもしれないけれど、Ⅲ期の残りわずかと、Ⅳ期の展示を見るチャンスはまだ残っている。

混雑しているかもしれないけれど、足を運んでみる価値はあると思う。

 

私にとってブログとは、バッティングセンターなのだと思う。

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

 

「とりあえず、アウトプットする機会を増やしてみよう」

ブログを始めた理由は、単純だった。ちょうど一年前くらいから、私は文章を書く技術を勉強し始めた。そこで何度も言われていたこと。それは「とにかく、たくさん書いてください。書かないと身につきません」ということだった。

 

確かに、その通りだなぁと思った。文章を書くことをまじまじと習うことって、自分の記憶を思い返して見ても、あまりないように思う。国語の授業では「作文」を書かせたり「読書感想文」なんかもある。文章を書くこと自体は多い。けれど、マルとか、バツとかはつけられるものの、具体的な指導を受けた覚えはない。文章なんて、誰にでも書けるように思えるけれど、やはりそうでもないと思う。文章を書くにも、練習が必要なんだと、三十代後半にしてようやく気がついたのだ。

 

文章の書き方を学び始めてすぐに、ブログを始めたわけじゃない。ブログを始めるのも、なんとなく「今さら」と思っていたし、そんなにしょっちゅう書くことなんて、あるのかなとも思っていた。ツイッターでも特に呟いていないし、Facebookも、自分から何かを発信している訳じゃなかった。自分の気持ちや、出来事なんかを文字にして発表することに、正直ためらいがあったからだ。なんとなく、恥ずかしい気がしていた。

けれど、一緒に文章の書き方を学んでいる人たちを見ると、とにかく書いている。書いて、書いて、びっくりするほど書いているのだ。よくもまあ、そんなに書くことがあるなあと思うほどに、だ。

 

そうして、私はようやく決心をした。

「とにかく書こう。アウトプットする機会を増やしてみよう」そう思ったのだ。

自分の感じたことや、体験を世間に晒すことは恥ずかしい気もする。けれど、世の中の人たちは私が思っている以上に、私のことなんて、どうでもいい存在なのだ。なんにも、気にする必要はない。そう思うようにした。だけど、実際にそうだと思う。電車で、隣に座っている人、前に立っている人のことを必要以上に意識なんてしない。眠ってもたれかかってきたり、雨に濡れた傘から垂れるしずくが、足にあったりしない限りは。

そうして、私はブログを始めた。

書きたくなる! というほどの衝動に駆られたことは、あまりない。いまだって、こうして出されているお題に対して、思うことや体験を書いているだけだ。

私にとってブログを書くことは、バッティングセンターに行くことと同じなのだ。ピッチングマシンの前に立つ、野球少年のように。出された球をどんどん打つ。打って、打って、打ちまくるしかないのだ。出されたお題に対して、とにかく捻り出したものを、どうにか文章にして、書き起こしていくしかない。書いて、書いて、書き続けるしか、才能のない私には上達はあり得ない。

書きたいと、腹の底から沸々と湧き上がってくるような想いは、正直なところ、まだないのだけれど。いつか、ホームランを打てるような強打者になりたいと思うからこそ、私はブログを更新するのだろう。

できることならば、一歩も家から出たくない。

今週のお題「休日の過ごし方」

 

月曜日から金曜日までミッシリと会社で働き、土曜日と日曜日、そして時折やってくる祝日が私にとって、いわゆる「休日」と呼ばれるものである。

 

しかし、フルタイムで仕事をされている主婦方には「あるある!」と共感いただけるのではないか? と思うのだけれど、「休日」には、家のことをやらなくちゃいけないのだ。

できる限り、仕事のある日でも洗濯を干したり、お掃除シートを駆使さて掃除をしたりはする。けれど、我が家の主である、お猫様のトイレを洗ってあげたりだとか、ちょっとした拭き掃除なんかは、充分な時間がないとできるものでもない。ただ、残念なことに、充分時間が与えられても、私の掃除スキルがあまりないため、部屋はゴチャゴチャしたままである。

また、私はちょっと、料理が得意ではない。そのために、「ちょっと待ってて! ちゃちゃっと作るから!」みたいなことが残念ながらできない。慌てると、かなりの高確率で焦がしてしまう。鍋やフライパンを洗う時間がかかるし、食材も無駄になってしまう。

そのため、平日にはほとんど料理らしいことはできず、だいたい土曜か日曜に常備菜を作って、適当に食べてもらうことになる。

 

多分、要領が悪いだけなのだ。ここまで書いていて、「うわー、家事能力ゼロだな」と笑ってしまった。もうちょっと、断捨離したり、手際よく片付ける方法を身につけた方が良いのだろう。

けれど、どうしても土日の時間をたっぷりと使って、家の中を片付けたいと思ってしまう。そして、片付けている途中で、ウトウトしてしまう。日ごろの疲れが出てるから、仕方ないよね〜とゴロリと横になっている側に猫が寄り添ってくれる。理想的な、最高の休日だ。

 

しかし。

こんな休日は、ほぼ、ありえない。

土曜日の朝一番に病院へ行って、午前中の時間が泡のように消えてしまう。

夫が「ひとりでスーパーに買い物に行くと、珍味しか買わないよ」などと言うので、しぶしぶ付いて行く。そして、一緒に行ったとしても結局珍味はカゴの中に入っている。

月に何度かは、週末に友人とご飯を食べることもある。それはそれで、有意義な時間だとも思う。

 

私にとっての理想的な休日は、多分「やりたいことを邪魔されない」というものなのだろう。

突然の来客だったり、突然出かけることになったりすると、頭と身体がついていかない。ヤケに張り切り過ぎたり、不機嫌な対応をとってしまうこともある。予定外の出来事に振り回されたあとひな、やたらとグッタリして力尽き果ててしまうのだ。

逆に、たとえかなりの重労働だとしても、「次の土曜は模様替えするよ!」などと心に決めていれば、疲れはするけれど振り回された感じはしないのだ。

我ながら、めんどくさい性格ではあるけれど、やっぱり休日くらいは、好きなことだけをして暮らしたいなあと思う。

 

 

 

カレの癒しは、時に厳しい。

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柔らかく、ビロードのような滑らかな毛並み。

甘く、鈴の音色のような鳴き声。

香ばしく、ポップコーンのような、思わず口に含みたくなるような香り。

 

私を癒してくれる存在。

一緒に暮らしている、6歳の男の子。

愛猫のカリン。

 

……しかし。

私にとって癒しの存在であるカレに、かなり振り回されてもいる。

 

ふわふわな、柔らかな毛並みをブラシッングしてあげるとき。

「触るんじゃねぇ‼︎‼︎」

と、ものすごい勢いで噛みつかれることもある。ご機嫌斜めだったのかもしれないけれど、私の前でぐるぐる喉を鳴らしながらゴロンとお腹をみせて横たわってくれていたよね?

 

かわいらしい鳴き声も、時に厳しく響き渡る。

まだ、夜も開けない午前四時。

 

「ニャー、ニャー」

枕元で騒ぎ出すカレ。

どれほど無視をしても、カレは決して諦めない。私が起きるまで、ずうっと、鳴き続けている。疲れたりしないのか、ちょっと心配になるほどだ。私が深く眠っていて、鳴き声だけでは起きない時には、ペシペシと頭を叩かれる。もしくは、髪の毛に噛みついてくる。夏場で、布団から足が出ていようものなら、容赦なく噛みついてくる。甘噛みだけれど、痛いものは痛い。

朝の四時に、文字通り私は叩き起こされる。どうやらカレは新聞配達の音が気になったようで、目が覚めてしまうらしい。目が覚めればお腹が減る。お腹が減れば、ごはんを食べたい。ごはん係である人間(私)を起こそう。ということが、ほぼ毎朝繰り広げられている。

ちなみに、叩き起こされないときもある。その日は、決まって毛玉を吐き出している。毛玉を吐くときにはカポンカポンという、ポンプ音が大きく響き渡り、どちらにしても、目がさめる。そうして、いつも寝不足だ。

 

香ばしいポップコーンの香りは、実はあまり嗅がせてもらえやしない。カレのお腹に顔を埋めようとすると、あからさまに嫌がって、その場を立ち去る。カレを抱っこすると、明らかなる拒絶のポーズ、前足をグッと突っ張って、押しのけられてしまう。そんな時でも私は怯まずに、どうにかして肉球の匂いを嗅ごうと必死になるのだ。

 

嫌われているわけでは、決してないのだけれど。カレとの付き合いはとても難しい。

しかし、これからの季節は私にとって、とても嬉しいことがある。

寒くなるとカレは「ねぇ、入れてくれない?」と甘え、一緒に布団で眠ってくれるのだ。そっと布団をめくると、カレはいそいそと潜り込んできて、私の右腕と身体の間で丸くなる。

カレの柔らかく、温かい身体に触れて眠るとき。昼間にあった、ちょっとした嫌なことなんて忘れてしまうほどに、私は身も心も癒されている。

 

 

「行くつもり」だと、いつまでたっても行けない場所。

今週のお題「行ってみたい場所」

 

その場所には、本当に行くつもりだった。

ずっと憧れていた場所で、ぜひとも一度行ってみたいと何度も繰り返し言っていた。同行者も、行ってみたいと賛同してくれたので、絶好のチャンスだった。

けれど、日程を決めるのに手間取ってしまったため、宿泊先が満室になり、あれよあれよと行けなくなってしまった。

 

その場所の名前は、波照間島

日本の最南端。

 

波照間島に行く計画を立てていたのは、新婚旅行だった。夫の仕事の関係で、休暇の申請がなかなかできずにいた。

「せっかくだから、1週間くらい休みを取りたい」と夫も張り切っていたけれど、はじめに考えていた日程は、出張に行かなければならないなど、新婚旅行の日程が決められずにいた。

 

場所だけが先に決まっていても仕方ない。ガイドブックをくまなく見るばかりで、ムダに知識だけが増えていく。

 

結局、日程を決められた時には宿は確保できなくなっていた。もしかしたら民宿とか島にある泊まる場所すべてに連絡していれば、ひとつくらいは空いていたかも知れない。

けれど、私も夫も、旅行に行くまえからすでに疲れていて、波照間島への想いが少し薄れてしまっていた。

「他の島でもいいんじゃない? 西表島とか」

夫のひとことて、じゃあ西表島で、宿とか確認してみよう! となった。

西表島は島が大きい、ということもあったのか、宿泊できるホテルも空いていた。日程もギリギリ合わせられそうだったので、新婚旅行は西表島に決定した。

 

結果的には、西表島も素晴らしかった。普通にレンタカーでダラダラと走っているだけでも珍しい昆虫や、鳥を見かけたし、海もとてもキレイだった。もちろんイリオモテヤマネコには会えなかった。住んでいる人たちですら、会えない生きものだから、そう簡単にはお目にかかれなくて当然だけれど。

 

だけど、西表島からの帰りのフェリーで、「ああ、あっちの方角には波照間島があるだなぁ」と思うと、ちょっと悲しい気持ちも込み上げてきた。

 

最近、知り合いの人が言っていたことが、ものすごく腑に落ちた。それは、

「なかなか行けない! とか書かれている場所には、突発的には、なかなか行けないだけ。きちんと予定を立てて、いつの時期ならば天候などの影響も受けないか、などをバッチリ調べあげる。そして、その期間に、何がなんでも休みをとる。そうすれば、戦争とかの国際情勢に問題がなければ大体いける。本当に行きたいなら、下準備が必要だ」というようなことだった。

 

本当に、その通りだなと思う。突然休みが取れたから旅行に行こう! と思うのは間違いじゃない。その時に、いける範囲で予定を立てれば良い。その突然の休みで、「あこがれの、あの場所に行けるかな?」と考えるのは、悪いことじゃない。けれど、行けないことも多いだろう。私だけのあこがれの場所じゃなくて、多くの人にとってもあこがれの場所だからだ。綿密な計画を立てている人がいて、すでに予約で一杯だ。

 

今のところ、波照間島への旅行計画を立てるのは難しい。けれど、いつか行きたいと思い続けているのは確かだ。なんとなく行けることになって、ということは、恐らくあり得ない。いつ行くつもりにするか、泳ぎたいならば何月から何月までなら大丈夫かなど調べて、狙いを定めてから前もって休みをとってやるのだ、ということだけ心に決めている。

母が作ってくれたお弁当のこと

中学、高校と給食ではなかったので、六年間いつもお弁当を持って学校に通っていた。

 

大人になった今ならわかるけれど、お弁当作りは本当に大変だ。

何よりも、早く起きなくちゃいけない。それを毎日、文句も言わずに作ってくれていた母に感謝したい。

 

感謝したい、と言いながらこんなことを書くと矛盾している気もするけれど、母が作ってくれるお弁当はワンパターンだった。

メニューは、いつも決まっていた。

玉子焼き、塩ジャケ、サラダ菜、りんご。

絶対不動の人気を誇るアイドルのように、これら5品は毎日変わらずにお弁当に詰められていた。

ごはんはおにぎりではなく、敷き詰められていた。けれど、白米だけは飽きるというので、白米、塩昆布、白米と言う具合に塩昆布がサンドされていた。

そして、あと一品。その一品だけが毎日日替わりで登場した。とり肉の照り焼きだとたり、冷凍食品のからあげだったり。冷凍食品はトースターでチンッと焼いていた。眠りまなこで服を着替えている時にチンッと聞こえてくると「あ、今日はからあげか、何かだな?」とボンヤリ考えたりしていた。

 

わたしは、毎日同じものを食べ続けていても、全然平気だ。今だって、お昼ごはんは職場の最寄りにあるLAWSONのタマゴサンドと、アロエヨーグルト。これを月曜日から金曜日まで食べ続けている。おそらく、もう1年近くずっと。でも毎日「ああ、おいしい」と思える。味覚が鈍感なのかも知れないけれど、あれこれと悩まなくていいため有難い。

 

だから、六年間、母が作ってくれたお弁当には何1つ文句はなかった。いつも、美味しかった。しかし、文句を言う人も、いた。

 

それは、私の姉だった。

おそらく、姉は誰かに言われたんだろう。

「お前のお弁当、いつも一緒だな」と。

母に対して抗議しているのがチラリと耳に入った。

「いつも同じのばっかりは、食べるの飽きるもん! それに、恥ずかしいわ」

 

実際に、私も言われたことがあった。

「同じメニューばっかりじゃない?」と。言った子は別にイジメとか、そういうつもりじゃないんだと思う。ただ、何の気なしに言っているのだ。私が言われたときは「うん。でも、おいしいから」と答えたし、「そうなんだ」というだけで終わったと思う。私自身、何も気にしていなかったので、嫌な気持ちにすらならなかった。

しかし、姉は違ったのだろう。指摘されたことに、恥ずかしい気持ちが込み上げてきたのだろう。語気を強めて、母に抗議していた。けれど、母は取り合わなかった。

「そんなに文句を言うのなら、自分で作りなさい。それぐらい、もう出来るでしょう?」

みんなより一時間早く起きて、お弁当を作ってくれていた母はかなりムッとしていた。

 

姉はグズグズと、何度か母に訴えていたけれど、お弁当の中身が変わることはなかったし、姉も早起きはしたくないようで作ることもなかった。

 

今では中学などでも給食が提供されていることもあるみたいだ。私たちのころも給食だったら、母は楽だっただろうなと思う。

けれど、こうして思い出してみると、やはりお弁当の時間が楽しみだったし、母が作ってくれたものは美味しかった。

本当に感謝しかない。

 

お母さん、ありがとう!