ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

「行くつもり」だと、いつまでたっても行けない場所。

今週のお題「行ってみたい場所」

 

その場所には、本当に行くつもりだった。

ずっと憧れていた場所で、ぜひとも一度行ってみたいと何度も繰り返し言っていた。同行者も、行ってみたいと賛同してくれたので、絶好のチャンスだった。

けれど、日程を決めるのに手間取ってしまったため、宿泊先が満室になり、あれよあれよと行けなくなってしまった。

 

その場所の名前は、波照間島

日本の最南端。

 

波照間島に行く計画を立てていたのは、新婚旅行だった。夫の仕事の関係で、休暇の申請がなかなかできずにいた。

「せっかくだから、1週間くらい休みを取りたい」と夫も張り切っていたけれど、はじめに考えていた日程は、出張に行かなければならないなど、新婚旅行の日程が決められずにいた。

 

場所だけが先に決まっていても仕方ない。ガイドブックをくまなく見るばかりで、ムダに知識だけが増えていく。

 

結局、日程を決められた時には宿は確保できなくなっていた。もしかしたら民宿とか島にある泊まる場所すべてに連絡していれば、ひとつくらいは空いていたかも知れない。

けれど、私も夫も、旅行に行くまえからすでに疲れていて、波照間島への想いが少し薄れてしまっていた。

「他の島でもいいんじゃない? 西表島とか」

夫のひとことて、じゃあ西表島で、宿とか確認してみよう! となった。

西表島は島が大きい、ということもあったのか、宿泊できるホテルも空いていた。日程もギリギリ合わせられそうだったので、新婚旅行は西表島に決定した。

 

結果的には、西表島も素晴らしかった。普通にレンタカーでダラダラと走っているだけでも珍しい昆虫や、鳥を見かけたし、海もとてもキレイだった。もちろんイリオモテヤマネコには会えなかった。住んでいる人たちですら、会えない生きものだから、そう簡単にはお目にかかれなくて当然だけれど。

 

だけど、西表島からの帰りのフェリーで、「ああ、あっちの方角には波照間島があるだなぁ」と思うと、ちょっと悲しい気持ちも込み上げてきた。

 

最近、知り合いの人が言っていたことが、ものすごく腑に落ちた。それは、

「なかなか行けない! とか書かれている場所には、突発的には、なかなか行けないだけ。きちんと予定を立てて、いつの時期ならば天候などの影響も受けないか、などをバッチリ調べあげる。そして、その期間に、何がなんでも休みをとる。そうすれば、戦争とかの国際情勢に問題がなければ大体いける。本当に行きたいなら、下準備が必要だ」というようなことだった。

 

本当に、その通りだなと思う。突然休みが取れたから旅行に行こう! と思うのは間違いじゃない。その時に、いける範囲で予定を立てれば良い。その突然の休みで、「あこがれの、あの場所に行けるかな?」と考えるのは、悪いことじゃない。けれど、行けないことも多いだろう。私だけのあこがれの場所じゃなくて、多くの人にとってもあこがれの場所だからだ。綿密な計画を立てている人がいて、すでに予約で一杯だ。

 

今のところ、波照間島への旅行計画を立てるのは難しい。けれど、いつか行きたいと思い続けているのは確かだ。なんとなく行けることになって、ということは、恐らくあり得ない。いつ行くつもりにするか、泳ぎたいならば何月から何月までなら大丈夫かなど調べて、狙いを定めてから前もって休みをとってやるのだ、ということだけ心に決めている。

母が作ってくれたお弁当のこと

中学、高校と給食ではなかったので、六年間いつもお弁当を持って学校に通っていた。

 

大人になった今ならわかるけれど、お弁当作りは本当に大変だ。

何よりも、早く起きなくちゃいけない。それを毎日、文句も言わずに作ってくれていた母に感謝したい。

 

感謝したい、と言いながらこんなことを書くと矛盾している気もするけれど、母が作ってくれるお弁当はワンパターンだった。

メニューは、いつも決まっていた。

玉子焼き、塩ジャケ、サラダ菜、りんご。

絶対不動の人気を誇るアイドルのように、これら5品は毎日変わらずにお弁当に詰められていた。

ごはんはおにぎりではなく、敷き詰められていた。けれど、白米だけは飽きるというので、白米、塩昆布、白米と言う具合に塩昆布がサンドされていた。

そして、あと一品。その一品だけが毎日日替わりで登場した。とり肉の照り焼きだとたり、冷凍食品のからあげだったり。冷凍食品はトースターでチンッと焼いていた。眠りまなこで服を着替えている時にチンッと聞こえてくると「あ、今日はからあげか、何かだな?」とボンヤリ考えたりしていた。

 

わたしは、毎日同じものを食べ続けていても、全然平気だ。今だって、お昼ごはんは職場の最寄りにあるLAWSONのタマゴサンドと、アロエヨーグルト。これを月曜日から金曜日まで食べ続けている。おそらく、もう1年近くずっと。でも毎日「ああ、おいしい」と思える。味覚が鈍感なのかも知れないけれど、あれこれと悩まなくていいため有難い。

 

だから、六年間、母が作ってくれたお弁当には何1つ文句はなかった。いつも、美味しかった。しかし、文句を言う人も、いた。

 

それは、私の姉だった。

おそらく、姉は誰かに言われたんだろう。

「お前のお弁当、いつも一緒だな」と。

母に対して抗議しているのがチラリと耳に入った。

「いつも同じのばっかりは、食べるの飽きるもん! それに、恥ずかしいわ」

 

実際に、私も言われたことがあった。

「同じメニューばっかりじゃない?」と。言った子は別にイジメとか、そういうつもりじゃないんだと思う。ただ、何の気なしに言っているのだ。私が言われたときは「うん。でも、おいしいから」と答えたし、「そうなんだ」というだけで終わったと思う。私自身、何も気にしていなかったので、嫌な気持ちにすらならなかった。

しかし、姉は違ったのだろう。指摘されたことに、恥ずかしい気持ちが込み上げてきたのだろう。語気を強めて、母に抗議していた。けれど、母は取り合わなかった。

「そんなに文句を言うのなら、自分で作りなさい。それぐらい、もう出来るでしょう?」

みんなより一時間早く起きて、お弁当を作ってくれていた母はかなりムッとしていた。

 

姉はグズグズと、何度か母に訴えていたけれど、お弁当の中身が変わることはなかったし、姉も早起きはしたくないようで作ることもなかった。

 

今では中学などでも給食が提供されていることもあるみたいだ。私たちのころも給食だったら、母は楽だっただろうなと思う。

けれど、こうして思い出してみると、やはりお弁当の時間が楽しみだったし、母が作ってくれたものは美味しかった。

本当に感謝しかない。

 

お母さん、ありがとう!

 

 

ベッドで寝転びながらどうぞ! 秋の夜長におススメの3冊をご紹介

今週のお題「読書の秋」

 

いつも眠る前に本を読んでいます。めちゃくちゃ眠いときには、「読むぞ!」という気持ちだけあるものの、ページを開いて2行くらいで寝落ちします。ちょっと夜ふかししても良い、または少し早く布団に入った日にはかなり真剣に読んでしまって、寝るのがもったいなーい! と思ったりします。

 

さて、もう明後日から10月。秋の夜長と言われるほどに読書にぴったりの季節。

私が最近寝る前に読んでいる本、読んでいる途中の本、読みますよとは思いつつ読めずに置いてある本をご紹介します。

 

【絶賛読書中】

この世の春 上  宮部みゆき/著

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いや、もう、これはまだ読むつもりじゃなかったんですよ。八月末に発売されたばかりだし、ハードカバーは重いから、文庫になってからでも良かったんです。

でも! 名作中の名作「火車」を読んで以来、宮部みゆき作品のとりこになっている以上、読まないという選択はできません。とりあえず、帯に書かれている「ざまおみろ」のところまでは読めました。まだ上巻の半分くらいなのですが、伏線ありまくりです! 引っかかってつまづいてしまいそう! 冒頭は登場人物が多いうえにめまぐるしく展開して「えーと。誰だっけ?」となりそうでしたか、登場人物の相関図が非常に役立ちました! ああ、早く帰って続きを読みたい!

 

【いったん休憩中】

続けて読めよ! と、どこからともなく怒られそうですが。読みかけのまま途中になっている本がチラホラあります。もう読まない、という訳ではなくて。読むけれど、ちょっと間をおいてみようというものです。

 

神秘大通り(上下) ジョン・アーヴィング/著、小竹由美子/訳

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これはですね、単純にジャケ買いです。

アーヴィングが好きも嫌いも、ありません。村上春樹が好き、と言いながらも村上春樹が翻訳したものも読んだこともありません。

とにかく装丁というか、表紙の絵がきれいで……。ため息が出るほどでした。

読まなくても、絵を飾っておきたい! という気持ちが強くて手に取りました。

 

海外の人が書かれた作品は、カタカナが多いじゃないですか。名前がカタカナで表記されているので、あたりまえなんですけど。地名もだいたいカタカナですよね? それが苦手なんです……(アタマ悪すぎますね……)

何というか、あんまり頭に入ってこないというか。日本史は好きだけど、世界史が苦手、みたいな。なので、読めないかもな? と思っていました。

 

実際に読んでみると、結構難しいなあ……というのが第一印象です。

カタカナ嫌い、というのを抜きにしても、なんというか「設定」が日本人にはなじみがあまりないんですね。めっちゃくちゃザックリいうと、スラム街(ゴミ捨て場)に育った主人公が旅に出る話なんですけど。神に対する信仰心であったり、教会の孤児院のことだったり。すこし難しいんですよ。主人公は大人になって旅に出るんですけど、旅の途中で子ども時代の回想が入ってきたりしてなかなか入り込めませんでした。はじめのうちは。ですが……。なんというか主人公がめちゃくちゃ性に対する欲求が止められないというか、なんというか。「そんな展開になる?」みたいな思いもよらないことがサッと起きるんです。「えっ? ちょっとまって?」というようなことが。そうなると、もう目が離せません。めちゃくちゃ惹きつけられます。

ただ、いまは一旦休憩中です。上巻を読み終えたところまで。上下巻、というのが、慣れていない分少し息切れしてしまいました。

そこで宮部みゆき休憩です。

宮部みゆき休憩が終われば、また、主人公のとまらない性欲の旅(いえ、旅に出る理由はそんな下心じゃないんです)に付き合おうかなと思います。

 

【これから読むよ! でも時間をかけて、じっくりと】

源氏物語 上 角田光代/新訳

www.kawade.co.jp

今さらながらの源氏物語です。

でも、今だからこそ読みたいな! とも思えるんです。

なんというか、平安時代に書かれたお話ですけれど、このお話の中にすべてが詰め込まれているんじゃないかと思うんです。

禁断の恋愛、純愛、怪談、裏切り、嫉妬、年の離れた恋、不遇な育ち……。パッと思いつくだけでもこれだけあります。面白い要素てんこ盛りじゃないですか?

文章を書く勉強を始めて、ちょうど一年ぐらい経つのですが、「古典」と呼ばれている作品を研究するのはものすごくためになるんじゃないかな? と思っています。

しかし、この作品(上)なのですが、(中)(下)もまだまだこれから刊行予定とのこと。秋の夜長だけでは収まりきりませんが、ずっと手元に置いておく作品としてはいいのではないでしょうか。持ち運ぶにはちょっと……。腕がもげるかもしれません。

 

ちなみに、はじめて源氏物語を読むのなら、ご存知の方も多いと思いますが、

マンガあさきゆめみし大和和紀/著

 がおススメです。大体の流れが、これで分かります。高校古典のとき、大変お世話になりました。 光源氏、最低じゃない? とクラスで盛り上がったりもしました。

 

 これまでにご紹介した3つの本は、全てハードカバーで、長編です。

文庫本のように、気軽にバッグに忍び込ませるというには、ちょっと躊躇してしまいます。重いし、荷物になりますし。もちろん、カフェで読むのもいいですけれど、お家でゆっくりと、またはダラダラと読むのに最適かな? と思います。

長いお話ですし、持つと重いくて腕がダルい、という難点もあるので、秋の夜長に、ぜひベッドやソファでゴロゴロしながら読んでみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

 

彼らと旅にでたことを、私は後悔してはいない。

今週のお題「読書の秋」

 

たしか、ちょうど一年前ぐらいのことだ。

大学時代の女友達と久しぶりに会ってランチを食べた。

彼女とは、学部もサークルも同じで、もう15年近くの仲だった。

ふたりとも読者が好きだけれど、なんとなく読むジャンルが違っていた。興味があればお互いの読んでいた本を貸し借りしては「あの本、おもしろかったね!」などと言い合っていた。

 

ランチを食べた後に、本屋に行こうという流れになった。

私は彼女に「最近おもしろかった本、何かある?」と訊ねた。すると彼女は「あるにはあるけどね……」とあまりはっきり言ってくれなかった。おもしろかったけど、オススメするほどじゃないってことかな? 単純にそう感じたので、あまり深くは聞かなかった。

 

しかし。本屋にたどり着き、ふたりでプラプラと文庫本コーナーに差し掛かった時のことだ。

「この本、めっちゃくちゃ面白いよ。でも、オススメできないかも」と一冊の本を指差してきた。

その本は、「水滸伝北方謙三 著  だった。

 

水滸伝」がおもしろそうだ、とは何となく知っていた。ほぼ日刊イトイ新聞で紹介されていたからだ。乗組員さん(ほぼ日では、働いている人のことを乗組員と呼んでいらっしゃいます)が、あまりにも熱狂的にオススメされていて、ほぼ日の代名詞とも言える「ほぼ日手帳」の使い方紹介ですら、「水滸伝の出来事を書き出しています!」とされていて、ちょっと衝撃的だった。

 

そんな記憶もあったので、彼女が教えてくれたとき、「ああ、それおもしろそうだなって、思ってたんだよね」と何の気なしに答えてしまった。すると、彼女はすごく真剣な顔をして、コクリと頷いた。「そう。面白いよ。でも、ハードルが高いんだよね。ひろこなら、乗り越えられるかと思って、思い切って勧めてみたよ」という。

ハードルが高い? 内容がややこしいのかな。確かに私は時代小説はあまり読まない。歴史が苦手なわけじゃないけど、なんとなく「学力が試されている」ような気になってしまう。また、海外が舞台の小説や、翻訳物もほとんど手に取ったことがない。これは、私も頭の悪さが原因だと思うのだけれど、「カタカナ」の名称が全然頭に入ってこないのだ。かなりのページを読み進めていても「えーっと、この人誰だっけ?」と戸惑うことすらある。

 

水滸伝は、中国が舞台。カタカナがないのはセーフだけれど、登場人物がやたらと多い。しかも四字熟語かな? と思わせるような名前もあるし、時にはあだ名で呼ばれたりもするという。

はじめのページにある、登場人物紹介をちらりと見てみたが、見開き2ページに渡り、ビッシリと書き出されている。......まじか。

 

「確かに、めっちゃくちゃハードル高いね」

私はそっと、文庫本を棚に戻した。私にはちょっと厳しそうだ。そう思った。しかし、彼女は何かスイッチが入ったらしく「とにかく一巻だけでも読んでみて!」と猛アピールしてきた。私は彼女のあまりの熱意にうたれ、まあ、一巻ぐらいなら読んでみよっかな? と、また棚から一巻を取り出した。すると彼女は「三巻ぐらいまで、あっと言う間だから。ぜひ三巻まで!」と若干タチの悪いセールスマンのようなことを言ってきた。しかし、私が気になったのは別のことだった。「水滸伝って、何巻まであるの?」その本屋さんにはまばらにしか揃っていなかった。棚を見ただけではわからなかったので、彼女に聞いてみた。すると、彼女の顔は少し曇ってしまった。

水滸伝だけなら、19巻」

歯切れ悪く、彼女はそう言った。

ん? だけなら? いや、19巻っていうのもかなりの内容だけれど。

水滸伝には続編があるんだよね」

彼女は、隠していても仕方ないと言わんばかりに、そう続けた。

水滸伝の続きて、楊令伝が15巻。そして、今から文庫本が発売になる岳飛伝が全17巻だよ!」

え? ごめん、とっさに暗算できないんですけど。えーっと、えーっと。

「全部で、えーっと、何冊読むことになるんですか?」私はちょっとしたパニックだった。

とりあえず一巻、いや、三巻まで読んでみてと言われた先に、こんな長い道のりがあろうとは……。

「全部で51冊かな? だから、ハードルが高いよって言ったんだよね……」

彼女は、ちょっとモジモジしていた。ちょっとどころじゃないハードルの高い。軽装備を勧めておきながら気づけばエベレスト登頂を目指すことになっているようなものだ。

 

まじでオススメなんですか……?

文庫本コーナーで、一瞬気が遠くなってしまった。

いや、でも。勧められた本をチラッとも読まず私にはムリ、と断るのも癪だなと思ってしまった。

彼女がオススメする、とりあえず三巻まで購入した。

 

ーーあれから、一年が経とうとしている。

私はまだ、志半ばにいる。

彼らとの旅は、まだ半分も終わっていはいない。

 

水滸伝」は中国を舞台とした歴史小説だ。

実際にあった、というわけではないけれど、

腐敗した政治に「俺たちが理想の国家をつくるのだ」という高い志をもった男たちの物語なのだ。

現在、私は「水滸伝」19巻は読破した。

けれど、まだまだ先は長い。

「楊令伝」の一巻も、手元にある。

けれど、この中国の歴史小説に手を出してしまうと、もう引き返せない。

読み始めたら最後、気になってしまって止めることができないのだ。

 

そのため、まだ手を出すことを躊躇している。

だけど、秋の夜長にかこつけて、そろそろまた、彼らの志を貫く旅に

出てもいいかなと考えているところだ。

 

 

 

 

 

この本を読むと、チョコボールを買いたくなる

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今週のお題「読書の秋」

 

ここ最近、気になる本がたくさんある。秋だから、ということでもない。年がら年中、本を読んでいても、読みたい本、そして読めずにいる本がたくさんある。読めずに溜まっていく本のことを「積ん読」と、世間では呼んでいるらしい。我が家にも、「つんどく山」はいくつかあって、山に登りたくても登れないなあと、チラチラ横目で眺めている。

 

読めずにいる本、といっても「次はこれを読む」という順番は一応決めている。けれど、本屋での心トキメク運命の出会いをしてしまうと、順番通りには読んでいられない。あろうことか、上下巻の上巻と下巻の間に、ときめき本を読んでしまうことすらある。

 

最近、私が決めていた順番を抜かして「今すぐ読みたい!」となった本がある。

それは「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ」というタイトル。著書はタイトルに書いてある通り、鳥類学の研究者、川上和人さん。

 

学者が書いた本なんて、難しい内容で一瞬で眠くなるんじゃない? そう思う人もいるだろう。もちろん、そういったキチンとした内容の本も世の中には山ほどある。しかし、この本はキチンとしている堅い本、と言い切るのは難しい。

内容は、もちろん鳥に関する研究について、だ。だけど、「小ネタ」がこれでもか! と散りばめられていて、むしろ川上先生のアニメへの造詣の深さに感心するほどだ。鳥への興味よりも、突然現れるジョジョの名言であるとか、ルパン三世のエンディングテーマだとか。軽妙な語り口で進んでいくため、読者をまったく飽きさせることがない。だけど、これは著者のサービス精神なのだと思う。難しく書こうと思えばいくらでも難しく書けるのだから。それを、あえて「なにこれ? 鳥類学関係ないやん!」と思わず笑ってしまうほど、ジブリやらドラゴンボールやらのネタが練りこまれているのだ。

さらに、鳥類の分類について言えば「キョロちゃん」を例えに出しながら説明している。キョロちゃん、をご存知ない方もいるかも知れないので、念のために森永のお菓子「チョコボール」のパッケージに描かれているキャラクタだ。キョロちゃんは、なんと、鳥類だという。これまで一度も気にかけたことはなかったけれど、確かに本を読んでいると「そうだなぁ」と思わずにはいられないのだ。

 

もちろん、生態系に影響を与えてしまう出来事や、外来種の問題など真剣に考えなければならないテーマも含まれている。それらの問題に対して真っ向から説明するのではなく、いかにおもしろく読者に伝えられるかを考えられた内容だ。

学者が書いた本は難しくて読む気にならない、と毛嫌いしないで、チョコボールでもつまみながら読んでみてほしい。

 

 

 

苦手だったおじいちゃんのこと

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

 

 

私の記憶の中では、父方母方、両方ともにおじいちゃんは「偉そうにしている」という印象が残っている。

もちろん、戦前戦後を生き抜いてきた世代の人達だし、男の人が敬われるという時代だったから仕方がないことかなとも思う。

 

しかし、私はその「偉そうな態度」がとても苦手だったし、ちょっと怖く感じていた。特に母方のおじいちゃんは苦手だった。

 

母方のおじいちゃんは、市場で働いていたため、声が大きかった。腹に響くほど、ほとんど怒鳴り声に聞こえた。子どもの私にとっては、まずそれが怖かった。いつも、何か怒っているように感じてしまい、できる限りおじいちゃんに近づかないように心がけていた。

ただ、おじいちゃんは言葉数の少ない人だった。「おい!」とか「まだか!」みたいな単語を叫ぶことが多かった。その言葉はおばあちゃんか、母に向けられたもので、子どもの私になにかを伝えることは、ほぼ無かった。

 

おじいちゃんは、多分、私の名前も覚えていなかった。いつも「よしこ(母の名前)とこの子どもは、いくつになったんや?」とか、「おい」と言いながら私を指差して「お茶、もってこい」などと言われていた。

母に言わせると「あー、おじいちゃん名前覚えてないかもなぁ……。一緒に暮らしてるわけじゃないし、覚えても忘れてしまうんやろ」と苦笑いしていた。

ひどくないだろうか? 孫の名前を覚えないなんて。でも、おじいちゃんにしてみれば孫の存在はあまり興味の対象じゃなかったのかも知れない。

ある年、お正月の挨拶をしに母の実家に行った時のこと。おばあちゃんと、おじさんからお年玉をもらってキャッキャと喜んでいた。しかし、おじいちゃんはお年玉をくれなかった。「なんでそんな子どもや孫にやらなあかんねん。あげるお金があるなら、ワシにくれ」と言って、その場を凍りつかせていた。そして、おばあちゃんとおじさんは、おじいちゃんに対して「そんな屁理屈、正月から言うな!」と怒られていた。

私はますます、おじいちゃんが苦手になってしまった。

しかし、そんなおじいちゃんでもちょっとは笑えるエピソードがあった。

おじいちゃんは足が悪くて、いつも座っている場所が決まっていた。

客間の本棚にもたれている。それが定位置だった。本棚には扉にガラスがはめ込まれていた。いつもは本棚と壁の両方にうまく体重を分散させて座っていたのだ。けれど、法事があってたくさん来客があり、客間には入れ替わり立ち替わりお客様が来ていた。おじいちゃんも、少し定位置がズレてしまったようで、ガラス面に体重をかけてしまったようだ。

 

パリンッと音がして、ガラスは簡単に割れた。

おじいちゃんは、しまった! という表情を一瞬浮かべたのち「おい!」と大声を出して人を呼びつけた。私は距離を保ちながらも、割とおじいちゃんの近くにいたので「おかーさん! おじいちゃんが、ガラス割ったー!」と言いつけた。するとおじさんと、母の二人がバタバタとやってきて「この忙しいときに、わざわざ仕事増やして!」とおじいちゃんを怒鳴りつけていた。

「じいさん、ガラスが下にたくさん落ちて危ないから、ちょっとジッとしててくれるか? 先にガラス拾うから」おじさんがホウキとチリトリを持ってきた。おじいちゃんは一言、

「心得た」

と、武士のような返事をしていた。キリッという効果音が見えるほどだった。

それなのに、その30秒後くらいに、パリパリパリッという乾いた音が響いた。おじいちゃんは落ちていたガラスをお尻で踏んだようだった。

「何にも心得てないな!」と、おじさんと母は更にいらだちながら、やれやれと言った様子で掃除していた。おじいちゃんは、照れ隠しのためか、何だか澄ました顔でトボけた様子だった。

 

この「心得た」事件の少し後に、おじいちゃんは亡くなられた。特に大きな病気もされず老衰ということだった。

 

そして、我が家では「心得た」という言葉が使われるようになった。

聞いてはいますよ、でも、ちゃんとやりますとは約束しませんよ。

そんな意味を持つ言葉として。結構便利だった。

おじいちゃんのことは苦手だった。けれど、大人になった今、意外とユーモアのある人だったのかもしれないな、と思わずにはいられない。

 

 

 

海水浴とビックリマンチョコの後悔〜じんましん外伝〜

多分、小学三年生の頃だったと思う。

私の家族は年に一回、日帰りで海水浴に行っていた。大阪に住んでいたので、兵庫県にある須磨海浜公園という場所で、水族館を見た後に海水浴をちょっとだけ楽しむという今思えば結構ハードな旅だった。

 

私は魚を見るのも、海で泳ぐのも大好きだった。年に一回、波が高ければ中止になってしまうので天気予報を祈るように見ていた。

小学三年生のときも、それはそれは楽しかった。海に入り、浮き輪をついてバシャバシャとバタ足しながら姉と思い切り遊んだ。

充分遊んだし、そろそろ帰ろうかと海の家に戻って水着を着替えようとしたとき。ふと、母が私の身体をみて「あれ? ひろちゃん、カラダ、ぼちぼちと赤くなってるやん? どうしたん? かゆい?」と心配そうに聞いてきた。私自身、どんな風に赤いぼちぼちが出ていたのか、全く記憶にない。けれど心配かけたくないと思って「大丈夫やでー」と答えたことだけ覚えている。

 

そして、その日から。

私のじんましん人生が始まったのだ。

まぶたや唇、脇の下。皮膚の柔らかい箇所がぷっくりと腫れるようになってしまった。時には、太ももや、二の腕や頭皮まで。はじめは小さくポツンと膨らむのだけれど、やがてそれは広がっていく。掻いちゃダメだと言われても、ついつい無意識のうちに掻いてしまう。そうすると、またじんましんは広がってしまい、他の場所に出ていたものとくっついたりしていた。

 

あまりのことに、かかりつけのお医者様に診てもらいにいくと、先生も少し首を傾げていた。けれど、おそらく何か原因があるはずだと言って、私の母に「どんな時にじんましんが出ているか」を記録するように指示した。食事内容や、日中の出来事。朝起きたばかりのときはどうか。お風呂上がりはどうかなど。そして一週間経ったらその記録をもって、また病院へ行くことになった。

記録をつけてみると、何となく「油っぽいもの」を食べた後にじんましんが沢山出ているようだった。おやつにドーナツを食べたら、その一、二時間あとぐらいからじんましんは出てきていた。だけど蒸しパンならば問題ない。唐揚げを夕飯に食べるとひどいじんましんが出るけれど、鶏肉を油をひかずに焼いたものならば、じんましんは気にならない。卵焼きはダメだけれど、ゆで卵なら大丈夫。

同じ食材でも調理方法によっては食べるとひどいじんましんが出た。また、鶏肉もモモ肉は少しじんましんが出るけれど、ササミなら大丈夫という具合だった。

 

病院の先生も血液検査とかいろいろと調べてくれたものの、はっきりとした原因はつかめなかった。母がつけた記録をみて「油のアレルギーの可能性が高いから、できる限り控えるように」と診断された。そして毎食後飲むように、と粉薬と錠剤の二種の薬を飲むことになった。

あと、なぜかトマトを食べることを勧められた。生のトマトか、トマトジュース。当時はあんまりトマトが好きじゃなかった私は「うえぇ」と思ったことを覚えている。

 

私だけ別のメニューにするのもかわいそうだとして、我が家の食事からは揚げ物は出なくなった。姉はかなり不満そうだっだ。けれど、私の全身に広がるじんましんを見るのも、ちょっと気持ち悪いと言っていたので、しぶしぶながらも我慢してくれていた。おやつまでは全部一緒というのは難しかったみたいで姉は私がいない時にはチョコレートとかケーキみたいなものをこっそり食べていた。私はお饅頭とかお煎餅しか食べられなかった。

 

そうこうしているうちに、夏休みも終わり二学期が始まった。私が通っていた小学校では給食が出されていた。給食には「大おかず」と「小おかず」、パンまたは御飯と牛乳というものだった。たまに、ゼリーとか冷凍ミカンといったデザートもついていた。

しかし、給食は意外と油で揚げてある食べ物が多かったのだ。小おかずには、イカの天ぷらや、小エビの天ぷら、南蛮揚げ、鳥の唐揚げなんかがメニューとして出されていた。大おかずのカレーとかも体調によっては危険だった。

もう30年も前のことだから、今ほどアレルギー体質の人に向けた給食の対応なんかはされていなかった。事前に配られている給食の献立表を見ながら「ああ、今日は天ぷらだから食べられないね」となれば、母が連絡帳に「今日の給食の小エビの天ぷらは食べられませんので、配膳しないで下さい」などと書いてくれていた。

まわりのみんなが美味しそうに食べていて、私はとても羨ましかった。みんなが美味しそうに食べているのを、ヨダレをたらさんばかりに、ちらちらと見ていた。小おかずの代わりのものを持っていっているわけじゃないので、単純に食べ物の量が少なかった。ごはんと牛乳だけってときもあった。(それは、とても最悪な組み合わせだった)

だけど、つまみぐいをしようとは思わなかった。やっぱりじんましんが出ると痒くてがまんできない。それ以上に見た目が気持ち悪くて、自分がバケモノか何か、人の目に触れてはいけない存在に変身したんじゃないかと思い込むほどだった。

 

油もの、油脂をたくさん含んだ食べ物を避けてきたけれど、一向に良くなる気配は見受けられなかった。

ただ一度だけ、じんましんが出ると分かっていても、どうしても食べたくなったおやつがあった。

それは、ビックリマンチョコだ。

砕いたピーナッツが含まれたチョコレートがウエハースでサンドされている。ピーナッツも、チョコレートも食べると絶対にじんましんが出る。

私はじんましんに悩まされるまで、ビックリマンチョコを食べるのが好きだった。ウエハースの下に隠されているオマケのシールを集めていた、というのもある。けれど、ウエハースのお菓子そのものも好きだった。

 

母と一緒に行った病院の帰り道に、夕飯の食材を買いにスーパーに立ち寄ることが多かった。私はなるべく、お菓子売り場には近づかないように気をつけていた。食べてみたいおやつ、美味しそうなおやつはたくさんある。でも、食べられるわけじゃない。悲しい気持ちに薄っすらと覆われてしまうだけだった。

しかし、ある日。お菓子売り場とは離れた場所にビックリマンチョコが並べられていた。「入荷しました!」という目につくPOPとともに。

私は母と歩いていて、そのPOPを見た時に、思いっきり目を逸らした。見たくなかったからだ。ちょっと前までなら「お母さん、ビックリマンチョコ買ってー」と無邪気に言えたのに。今はそんなこと言えやしないのだ。だか、母は私の不自然な首の動きに気がついたようだった。

「最近、調子も良いし、ひとつ買ってみよか?」母は、私に覗きこむようにしてたずねてきた。「食べても大丈夫やと思う……?」おそるおそる、私は母に聞いてみたけれど「さあ、どうやろねー?」と言った。でも、続けてこうも言った。「ひろちゃんが食べたいな、って思うならひとつくらい食べても良いんちゃう? 後で痒くなるのはひろちゃんやけど」そう言って、いたずらっぽく笑っていた。

「うん」私は笑顔で頷いて、ひとつだけビックリマンチョコを買ってもらった。

 

家に帰って、久しぶりに食べるビックリマンチョコに私は興奮した。パッケージのギザギザ端を丁寧にちぎって、四角いウエハースのお菓子を取り出した。楽しみにしていたオマケのシールは、なんだかよく分からない悪魔のシールで、正直ちょっとガッカリした。けれど、久しぶりに食べたそのお菓子の味は、やっぱり美味しくて嬉しかった。

食べた後には、当たり前でしょ? と言わんばかりにじんましんが沢山出てきた。痒くて嫌だったけれど、おやつを食べたのは自分なんだから、この痒みには耐えてみせる! となぜかスポーツマンガの主人公のような根性を見せていた。

 

そのじんましんは、一年半ぐらい続いていた。けれど、ある日突然治ったのだ。治った日のことは覚えていないけれど、1月の初めだったのは覚えている。初詣にあちこちの神社に家族で行ったりした。比喩でも何でもなく「神頼み」をしたことがよかったのかも知れない。調子にのってお餅をたくさん食べた後にひどくお腹を壊したことがよかったのかも知れない。本当に、なぜ治ったのかは分からない。病院に行っても、治った理由は分からなかったけれど「何か体質改善されたんやろうね」ということだった。

 

今まで禁止されていたものが、解禁となってもやはりすぐに手を出すのは怖かった。そして、私も少し成長したせいか、もうビックリマンチョコは食べたいとは思わなかった。ビックリマンチョコのブームも終盤だった。

 

未だに、母と「あのじんましんは何だっのか?」と話すこともある。もしかしたら、また油ものが食べられなくなるかも知れない。

それは、誰にも分からない。私自身でさえも。

突然現れて、突然去っていった台風のような出来事は、できることならば、繰り返さないでほしいと願っている。