海水浴とビックリマンチョコの後悔〜じんましん外伝〜
多分、小学三年生の頃だったと思う。
私の家族は年に一回、日帰りで海水浴に行っていた。大阪に住んでいたので、兵庫県にある須磨海浜公園という場所で、水族館を見た後に海水浴をちょっとだけ楽しむという今思えば結構ハードな旅だった。
私は魚を見るのも、海で泳ぐのも大好きだった。年に一回、波が高ければ中止になってしまうので天気予報を祈るように見ていた。
小学三年生のときも、それはそれは楽しかった。海に入り、浮き輪をついてバシャバシャとバタ足しながら姉と思い切り遊んだ。
充分遊んだし、そろそろ帰ろうかと海の家に戻って水着を着替えようとしたとき。ふと、母が私の身体をみて「あれ? ひろちゃん、カラダ、ぼちぼちと赤くなってるやん? どうしたん? かゆい?」と心配そうに聞いてきた。私自身、どんな風に赤いぼちぼちが出ていたのか、全く記憶にない。けれど心配かけたくないと思って「大丈夫やでー」と答えたことだけ覚えている。
そして、その日から。
私のじんましん人生が始まったのだ。
まぶたや唇、脇の下。皮膚の柔らかい箇所がぷっくりと腫れるようになってしまった。時には、太ももや、二の腕や頭皮まで。はじめは小さくポツンと膨らむのだけれど、やがてそれは広がっていく。掻いちゃダメだと言われても、ついつい無意識のうちに掻いてしまう。そうすると、またじんましんは広がってしまい、他の場所に出ていたものとくっついたりしていた。
あまりのことに、かかりつけのお医者様に診てもらいにいくと、先生も少し首を傾げていた。けれど、おそらく何か原因があるはずだと言って、私の母に「どんな時にじんましんが出ているか」を記録するように指示した。食事内容や、日中の出来事。朝起きたばかりのときはどうか。お風呂上がりはどうかなど。そして一週間経ったらその記録をもって、また病院へ行くことになった。
記録をつけてみると、何となく「油っぽいもの」を食べた後にじんましんが沢山出ているようだった。おやつにドーナツを食べたら、その一、二時間あとぐらいからじんましんは出てきていた。だけど蒸しパンならば問題ない。唐揚げを夕飯に食べるとひどいじんましんが出るけれど、鶏肉を油をひかずに焼いたものならば、じんましんは気にならない。卵焼きはダメだけれど、ゆで卵なら大丈夫。
同じ食材でも調理方法によっては食べるとひどいじんましんが出た。また、鶏肉もモモ肉は少しじんましんが出るけれど、ササミなら大丈夫という具合だった。
病院の先生も血液検査とかいろいろと調べてくれたものの、はっきりとした原因はつかめなかった。母がつけた記録をみて「油のアレルギーの可能性が高いから、できる限り控えるように」と診断された。そして毎食後飲むように、と粉薬と錠剤の二種の薬を飲むことになった。
あと、なぜかトマトを食べることを勧められた。生のトマトか、トマトジュース。当時はあんまりトマトが好きじゃなかった私は「うえぇ」と思ったことを覚えている。
私だけ別のメニューにするのもかわいそうだとして、我が家の食事からは揚げ物は出なくなった。姉はかなり不満そうだっだ。けれど、私の全身に広がるじんましんを見るのも、ちょっと気持ち悪いと言っていたので、しぶしぶながらも我慢してくれていた。おやつまでは全部一緒というのは難しかったみたいで姉は私がいない時にはチョコレートとかケーキみたいなものをこっそり食べていた。私はお饅頭とかお煎餅しか食べられなかった。
そうこうしているうちに、夏休みも終わり二学期が始まった。私が通っていた小学校では給食が出されていた。給食には「大おかず」と「小おかず」、パンまたは御飯と牛乳というものだった。たまに、ゼリーとか冷凍ミカンといったデザートもついていた。
しかし、給食は意外と油で揚げてある食べ物が多かったのだ。小おかずには、イカの天ぷらや、小エビの天ぷら、南蛮揚げ、鳥の唐揚げなんかがメニューとして出されていた。大おかずのカレーとかも体調によっては危険だった。
もう30年も前のことだから、今ほどアレルギー体質の人に向けた給食の対応なんかはされていなかった。事前に配られている給食の献立表を見ながら「ああ、今日は天ぷらだから食べられないね」となれば、母が連絡帳に「今日の給食の小エビの天ぷらは食べられませんので、配膳しないで下さい」などと書いてくれていた。
まわりのみんなが美味しそうに食べていて、私はとても羨ましかった。みんなが美味しそうに食べているのを、ヨダレをたらさんばかりに、ちらちらと見ていた。小おかずの代わりのものを持っていっているわけじゃないので、単純に食べ物の量が少なかった。ごはんと牛乳だけってときもあった。(それは、とても最悪な組み合わせだった)
だけど、つまみぐいをしようとは思わなかった。やっぱりじんましんが出ると痒くてがまんできない。それ以上に見た目が気持ち悪くて、自分がバケモノか何か、人の目に触れてはいけない存在に変身したんじゃないかと思い込むほどだった。
油もの、油脂をたくさん含んだ食べ物を避けてきたけれど、一向に良くなる気配は見受けられなかった。
ただ一度だけ、じんましんが出ると分かっていても、どうしても食べたくなったおやつがあった。
それは、ビックリマンチョコだ。
砕いたピーナッツが含まれたチョコレートがウエハースでサンドされている。ピーナッツも、チョコレートも食べると絶対にじんましんが出る。
私はじんましんに悩まされるまで、ビックリマンチョコを食べるのが好きだった。ウエハースの下に隠されているオマケのシールを集めていた、というのもある。けれど、ウエハースのお菓子そのものも好きだった。
母と一緒に行った病院の帰り道に、夕飯の食材を買いにスーパーに立ち寄ることが多かった。私はなるべく、お菓子売り場には近づかないように気をつけていた。食べてみたいおやつ、美味しそうなおやつはたくさんある。でも、食べられるわけじゃない。悲しい気持ちに薄っすらと覆われてしまうだけだった。
しかし、ある日。お菓子売り場とは離れた場所にビックリマンチョコが並べられていた。「入荷しました!」という目につくPOPとともに。
私は母と歩いていて、そのPOPを見た時に、思いっきり目を逸らした。見たくなかったからだ。ちょっと前までなら「お母さん、ビックリマンチョコ買ってー」と無邪気に言えたのに。今はそんなこと言えやしないのだ。だか、母は私の不自然な首の動きに気がついたようだった。
「最近、調子も良いし、ひとつ買ってみよか?」母は、私に覗きこむようにしてたずねてきた。「食べても大丈夫やと思う……?」おそるおそる、私は母に聞いてみたけれど「さあ、どうやろねー?」と言った。でも、続けてこうも言った。「ひろちゃんが食べたいな、って思うならひとつくらい食べても良いんちゃう? 後で痒くなるのはひろちゃんやけど」そう言って、いたずらっぽく笑っていた。
「うん」私は笑顔で頷いて、ひとつだけビックリマンチョコを買ってもらった。
家に帰って、久しぶりに食べるビックリマンチョコに私は興奮した。パッケージのギザギザ端を丁寧にちぎって、四角いウエハースのお菓子を取り出した。楽しみにしていたオマケのシールは、なんだかよく分からない悪魔のシールで、正直ちょっとガッカリした。けれど、久しぶりに食べたそのお菓子の味は、やっぱり美味しくて嬉しかった。
食べた後には、当たり前でしょ? と言わんばかりにじんましんが沢山出てきた。痒くて嫌だったけれど、おやつを食べたのは自分なんだから、この痒みには耐えてみせる! となぜかスポーツマンガの主人公のような根性を見せていた。
そのじんましんは、一年半ぐらい続いていた。けれど、ある日突然治ったのだ。治った日のことは覚えていないけれど、1月の初めだったのは覚えている。初詣にあちこちの神社に家族で行ったりした。比喩でも何でもなく「神頼み」をしたことがよかったのかも知れない。調子にのってお餅をたくさん食べた後にひどくお腹を壊したことがよかったのかも知れない。本当に、なぜ治ったのかは分からない。病院に行っても、治った理由は分からなかったけれど「何か体質改善されたんやろうね」ということだった。
今まで禁止されていたものが、解禁となってもやはりすぐに手を出すのは怖かった。そして、私も少し成長したせいか、もうビックリマンチョコは食べたいとは思わなかった。ビックリマンチョコのブームも終盤だった。
未だに、母と「あのじんましんは何だっのか?」と話すこともある。もしかしたら、また油ものが食べられなくなるかも知れない。
それは、誰にも分からない。私自身でさえも。
突然現れて、突然去っていった台風のような出来事は、できることならば、繰り返さないでほしいと願っている。
実録! 原因不明のじんましんとの戦い 膠着状態編
アレグラを朝晩欠かさずに飲む生活にも慣れてきた今日この頃。
じんましんの発生状況はそれほど変わりばえしません。
ただ、やはりお薬を飲んでいる方がじんましんの発生は少ないとは思います。お薬を飲む前は右ひじに3つ出てたけれど、今ではひとつ、とか。そんな感じです。
ただ、お薬以外にも自分で「気をつけよう」と意識していることもあるので、今回はそれについて書いてみようと思います。
1.じんましんが出ている場合の共通点を探る
えっと、まず訳わかんないかもしれませんが。
私は理系出身なのですが、考えかたのひとつに
「客観視して分析する」というのがベースにあります。データ化とか、数値化というのも効果的だと思います。ただ、普段暮らしている中でデータ化は難しいかもしれません。
短期間であれば、記憶に頼るのももちろん良いですが、手帳とかカレンダーとかに記録をつけておくと良いかな? と思います。
文字を書くのが億劫ならば、写真を撮っておくのもかなりオススメです。病院に行ってお医者様に診断してもらうときに「症状が出ていない」ことがあります。そうなると、先生は「うーん?」と首をかしげるだけで、「じゃあ、まあとりあえずこの薬飲んどいて。2週間ぐらいね」みたいな診断しかしてくれません。
私は今回のじんましんでは、写真を撮っていませんでしたが、過去に写真を撮ってみせたことがあります。(あと、どんなものを食べた、とかの覚えているかぎりメモしとく)
2.共通点から浮かび上がることを考えてみる
はい。また理系っぽいですね。
でも、これは自己判断しない方が良い場合もあります。私の場合は、あくまでもお医者様に診断してもらった後にも出てくるじんましんに対して、どう対応すればいいんだろう……? と考えてのことです。
考えてみた結果を知恵袋的なことで相談して納得してはいけません。
もちろん私も、 「ひじ ひざ じんましん」とか「アレルギー くるぶし」とか、いろいろネットで調べてみました。だけどひとつ言えることは「似ている症状は見つかるけれど、それが私の病状と同じではないかもしれない」ということでした。結局は、何も解決しません。
さて、今回の私のじんましんの特徴は、ひじやひざ、くるぶし。机に体重をかける腕の外側に頻繁に出ている。圧迫されてじんましんが出るなら、パンツのゴムや靴下のゴムでも出てくるはず。この辺りの部位はたまーにしかでない。薬を飲む前に目頭の上に出ていたものは、薬を飲み始めたら一度も出ていないから、これは一旦除外しておく。なにか、食べ物が原因だったのかも。
外的要因で、体重や、重みがかかった場所に出ていることは間違いなさそうです。今のところは、ほぼ特定の場所だけに出現しています。
さて、どうするか……?
3.対策をたて、実行してみる。
私はもともとひどい乾燥肌でもあり、敏感肌でもありました。自分の髪の毛が首に当たるとチクチクして赤く腫れたりだとか、洋服のタグが肌に擦れて腫れたりしています。
ええ、肌が弱いことは認めましょう。そして、それに対して無関心だったことも認めます。またチクチクするわ、ぐらいの考えでした。
肌が乾燥しているのは多分良くない。夏でも肌がカサカサしているし、外部からの刺激に弱くなるんじゃなかろうか? と考えました。
そして、なるべくお風呂上がりに保湿クリームを塗ることにしました。特別な品ではなくて、ニベアとか赤ちゃんにも使える、みたいなクリームです。また、ひじとひざには、ホホバオイルを少量塗ってみることにしました。
今のところ、まだ一週間も経過していませんので、何ともいませんが、ひざのじんましんは出にくくなっているようにも思います。
あと、「じんましんが出そうな体勢をとらない」これも重要です。
私はひざをついたり、ひじをついたりするのを極力避ける。フローリングの板の上に座るとき、正座するなら柔らかい座布団を敷く。今のところ、その程度です。
改善している、とはいえませんが悪化はしていないのが現状です。
この先ずっと、お薬を飲まなきゃいけないのかな……と考えると少し憂鬱ではあります。でも、たぶんこのじんましんも、急に出てきたようには見えるけれど身体の中でいろいろと変化があったから、出てきてるんですよね。
食べ物が原因なら、それを食べなきゃいい(といっても簡単ではないのでしょうけれど)けれど、こういった「原因不明」のものへの対応は長い目で見るしかないのだと考えています。
もちろん、どこかの段階で身体の精密検査を受けてみたり、免疫機能を高めることも考える時期はくると思います。
だけど、やみくもに心配し過ぎないで、「よし、とにかくじっくり向き合うぞ」という姿勢が一番なのだと思っています。
現状ではここまでですが、また動きがあったらレポートします!
*小学生くらいのころに、2年くらいかけて戦った蕁麻疹の記録もあるので、それはまた近日中にブログにアップしてみたいと思います。
実録! 原因不明のじんましんとの戦い 死闘編
なんとなく、腕にじんましんが出たなー、と気楽に考えていた7月下旬。
ほっといたら治るやろ、と甘く考えていました。
が、しかし。
その日を境に、ぽちぽちと赤い発疹が出てくるように。初めのうちは「あー、蚊に刺された!」と思っていました。なんというか、蚊に刺されそうな場所ばかりぽちぽち赤く、腫れていたから。具体的にはひじとか、ひざとか。重い荷物を持っていた時に出ていた場所(腕の柔らかい部分)とは違っていました。どちらかといえば皮膚は硬くて、死角になりやすい場所ばかり。ボンヤリしていることが多いので絶対に蚊やな! と思いこんでいました。(もしくはダニとか……)結構しっかりと腫れてくるので、痒み止めのムヒEXを塗ったりしてました。ええ、特に効果は得られませんよ。用途が違いますからね。でも、蚊に刺されたと思い込んでいたため「ムヒ塗ったから大丈夫〜」と気楽に考えていました。
しかし、毎日続く蚊との戦い。
だけど蚊の姿は一度も見ていない……。
今さらやけど、もしかして、蚊じゃない?
え、もしかして、じんましん?
あまりにも気付くのが遅いのですが、ようやくお盆前頃に気がつきました。病院はこぞって休暇中でしたから、相談にも行けませんでした。
その時点でじんましんが出ていた場所は
*ひじ
*ひじから手首にかけての「机に当たる場所」
→これは、PCで作業するときに、腕が当たるところばかりでした。
*ひざ
→普段、ジーンズを履いているため、座ったときに布と皮膚が当たる場所。立て膝でお風呂掃除をしたりなど、床にひざをついた日にはかなりボチボチと出現。
*足首
*くるぶし
→正座や、足を崩して座ったときに体重がかかる場所。
なんとなく、外的要因、というか体重や重さが加わった場所に現れています。
しかし、お盆明けのある日、突然顔にまでじんましんが出始めました。
夜寝るまえ、お風呂上がりに髪を乾かしながら鏡を見ていると両まぶたの上(目頭がわ)が、赤くなっていました。
ものもらいか、じんましんか。
その時は判断できずにいましたが、とりあえず寝ましたところ、翌朝。
目が開かない……。
あー、こりゃじんましんやね、とようやく観念しました。朝一番で病院に行き、アレルギー用のお薬「アレグラ」を処方してもらいました。
しかしその日は、両まぶた以外の場所はほとんどじんましんは出ていなくて、病院の先生に見せることはできませんでした。
ただ、「まぶたが腫れたのは初めてで、普段はこういう場所に出るんです!」と訴えたところ「圧迫性のじんましんかな」と言われました。
圧迫性のじんましんは、「機械的じんましん(アレルギー)」と書かれている場合もあります。
例えば、パンツとか、靴下が新しくてゴムの締め付けがとても強くて腫れてしまった、という経験はないでしょうか? 簡単にいうと、それなんですが、症状がひどい人は身体をぽりぽり掻いた場所が、爪の形に腫れあがったりもします。腫れ自体には、それほど痒みはないようです。しかし、厄介なことに機械的じんましんがなぜ起きるのか、とか治療法については明らかになっていないようです。
ストレス、とか免疫力の低下、とか。まあ、どんな病気にもだいたい言われていることだけです。病院の先生も、アレグラの処方以外はしてくれませんでした。
えっ? じゃあこれからずーっと、アレグラ飲み続けるってことですか?
どうしたらいいんやー!
自分の身体に問いかけてみても、答えは返ってきません。ただ、アレグラを飲んでいると、やはりじんましんは出にくいことは体感しました。
何が原因で出てきたのか分からない以上、原因の元を正しようもない。
対処療法しかないんかな……と。
もしかしたら、肝臓とか腎臓とかからだの中から問題があるのかもしれないけれど、
一応は様子を見ましょう、ということでした。
ずーっと、治らないっていうこともあるのかも……。
暗い気持ちを抱えながら、朝晩アレグラを飲む日々が続いています。
続く。
実録! 原因不明のじんましんとの戦い 序章
今日は、あまりにも個人的な問題なのですが、ちょっと記録的に書いておこうと思います。
もともと、子供のころから、記憶として残っているのは幼稚園ぐらいのころから。
私は、原因不明のじんましんが出ることがありました。
縄跳びをしながら、ひとりで遊んでいたら、急に手首が腫れあがってきて。「おかーさん、虫に刺されたー!」と言いながら家に戻ってみてみると手首だけじゃなくて。脇やら太ももやら、身体のあちこちにじんましんが出ていたのを思い出します。
原因がわりとはっきりしているじんましん(食品アレルギー的なもの)も、小学生のときに突然発症して、一年半ぐらいで、また突然治ったこともありました。これはまた、番外編として別に記録しておきたいですが、今回は割愛します。
さて、今回の原因不明のじんましんですが、事の発端は2017年7月末。夫と夜に待ち合わせをして、焼き鳥屋さんに行った帰り道でした。
私はその日の日中は、絵の展覧会を見に行ってグッズを購入したり、本屋さんでたくさん本を買っていました。本もハードカバーの上下巻。とにかくたくさん荷物があって、紙袋とか持っていたバッグを左腕の肘を曲げた状態で、そこにぶら下げて歩き回っていました。
ちなみにその日の服装はTシャツに七部袖のカーディガンを羽織って、ジーンズを履いていました。腕は布で覆われているような、いないような。七部袖なので、そんな感じです。
行きつけの焼き鳥屋さんでビールは一杯だけ飲んで、その後はジンジャーエールを飲みながら、美味しいねぇとぱくぱく平らげた後、店を後にしました。
帰りに電車の中で。ふと腕の内側を見ると、真っ赤になっています。触ってみると、少し熱を帯びていました。「ずっと荷物を持っていたから、仕方ないな」その時はなんとなく、それだけ思いました。ですが、左腕の赤くなっているところは少しずつ膨らんできています。大きくひとつがポコンと膨らむのではなくて、ボコボコボコ、と小さな突起が連なっていました。
私は夫に「なぁ、腕が腫れてるんやけど。じんましんかな?」と言って見せてみました。夫はギョッとした風に私の腕を見ていました。「かゆいの?」と聞かれ、私は「特にはかゆくないよ」と言うと、ふーんと不思議そうにしていました。夫はどうやら、腕の内側を連続して蚊にかまれたのだと思ったようでした。
私自身は、たぶん荷物をずっと持っていたせいかな? と思ったものの、一時的なことだろうと考えました。見た目には結構インパクトが強いけれど、かゆくもないし。明日には引いてるだろう。寝たら治るはず。そう思うことにしました。とくに薬を飲むこともなく、その日は眠りについたのでした。
続く。
思い出という名前のお守り
「もう、これ使わないなあ……」
箱の中に入っている物を一つずつ手にとってみては、また同じ場所にそっと戻す。
さっきから、その繰り返しばかりで、一向に掃除は進まない。
今の家に引っ越してきて、もう六年も経とうとしている。
それなのに。
「とりあえず、引っ越し先でどうするかは考えればいいや」と、無理やりダンボール箱に詰め込んだものの、どうするか考えていない物がひしめき合っていた。
そのひとつに、アクセサリーがあった。
ネックレス、リング、ピアス、ブレスレット。
天然石があしらわれた可愛らしいものから、凝ったデザインのブレスレットまで。
私は二十代の頃、とあるアクセサリーブランドにどハマりしていた。新作が出ると聞けば、いそいそとお店に出向いては、うっとりとショーケースの中を眺めていた。その中でも特に気に入った物があれば、店員さんにお願いして試しに身に付けさせてもらっていた。そうして、その中からひとつ、ときにはふたつ。自分へのご褒美だからいいよね! と、誰にともなく言い訳して買っていた。誰かからプレゼントしてもらえたら良かったのだけれど、そんな相手も残念ながらいなかった。
アクセサリーの新作は、だいたい春と秋の年二回。それと、クリスマスシーズンに向けて発表される特別なアイテムがあった。
シルバー素材なら、ひとつは一万円もしないし、あれこれと購入した。首は一つしかないのに、カワイイ! といってはネックレスを購入した。お店のスタッフさんが「二連で、重ねてつけてもカワイイんですよー!」というセールストークを間に受けて、ジャラジャラと重ねていた。アクセサリー自体はかわいいものだったし、スタッフの皆さんは、確かに似合っていた。けれど、私自身はそれほど似合っていなかったかも知れない。ただ、そのアクセサリーを身に付けていたいという思いが強かった。まるで鎧で身を固めている武士のように。アクセサリーを身に付けているだけで、護られているような気さえしていた。
しかし。
私はあるときから、アクセサリーを身に付けられなくなっていった。
金属アレルギー、とは言えないのだけれど、アクセサリーを身に付けると肌がかぶれてしまうようになってしまった。
ピアスは、どんなに消毒しても赤く腫れてしまう。K18のものでも、ダメだった。ネックレスやブレスレットも、首や手首にチェーンが擦れるたびにかゆくなり、ぽってり腫れて熱をもっていた。金属そのものが原因ではないのかもしれない。私の取り扱い方が良くなかったのかもしれない。今までは、どこへ出かけるにも必ず身に付けていたのに。いまでは身に付けるとかぶれたり、イヤな気持ちになってしまう物になり下がってしまった。
アクセサリーボックスに、たくさん並んでいるけれど、もう身に付けようとは思えなくなっていた。
そうして、その箱は閉じられて、ずっと部屋の片隅に埋もれていたのだ。
「いい加減に、部屋を片付けなきゃ」
先日、ふとそう思った。断捨離だとかそこまでのレベルの話じゃない。だけど、暮らしていくうちにどんどんと積み上げられていくものたちと、そろそろ向き合わないと、と思ったのだ。
あれやこれやと散らかってはいる。もう着るとは思えない洋服なんかから片付けていけば、ある程度はすっきりするに違いない。けれど、私はやっぱり気になっていたアクセサリーボックスに手を伸ばした。スニーカーを買ったときに入っている箱の大きさ。この中を片付けたところで、部屋自体はなんにも片付かない。けれど、私は衝動的とも言えるほどに「このアクセサリーを片付けなければ」と強く感じた。胸をかきむしるほどに強く。
そして、箱をそっと開けた。
中には、薄汚れてみえるアクセサリーがグチャグチャと入っていた。じっと見つめていると、少し涙が込み上げてきた。
この指輪を買ったとき。失恋したんだよな……。
このブレスレットを買ったとき。転職したくて、いろいろ空回りしてたんだ……。
このネックレスを買ったとき。お友達の結婚を素直に喜べなかった……。
闇雲に買いそろえていたと思ったけれど、ひとつひとつのアクセサリーには、何かしらの思い出があった。片想いしていた彼とのデートにつけていったなあ、とかこそばゆいものから、どす黒く渦巻いた気持ちを封印するかのように身に付けていた護符のようなものまで。
アクセサリーのひとつひとつに、私は護られていたんだな、となんとなく思った。
今では、もう輝きはなくなっていて、薄汚れてみえるけれど。その時々で私を助けてくれていたんだ。そう感じることができた。
私にとっては、アクセサリーだったけれど。たぶんその人にとって、人生のお守り的な存在はあるのだと思う。例えば、部屋に何気なく置いてある観葉植物だったり、繰り返し読む本だったり。UFOキャッチャーでとった、なにげないぬいぐるみだったり。ものじゃなくても、友人との夜通しのカラオケとかもあるだろう。
だけど、本当になんでもいい。自分の人生のある瞬間を支えてくれるものはある。それは、その瞬間には気がつかないかもしれない。けれど、後になって、ふと気付く。
「ああ、あの時はあれに助けられていたな」と。
いろいろなものに助けられないと、私たちは生きていけない。当たり前のように生きているけれど、本当は当たり前じゃない。
あの時はありがとう、と言葉をかけて、アクセサリーボックスのフタを閉めた。
もう、私にはこのアクセサリーたちに、
守ってもらうことはないだろうと思いながら。
毎日繰り広げられる、ちょっとした攻防戦
「ねぇ、起きてよ。ねぇ、起きてよ。ねぇねぇ」
……しつこいなぁ。
いったい、いま何時なんだろう?
ビッタリとくっついて、離れないまぶたを無理やりこじ開けてみる。枕元に置いてあったスマホを手探りで持ち上げて、ホームボタンを押す。真っ暗闇には刺激的すぎる光が、私の眼に突き刺さる。
3:46
画面に映し出された時刻を見て、私はうんざりする。
……まだ早過ぎるんだよねぇ。
素知らぬふりをして、私はまたまぶたを閉じる。しかし、私を起こした声の主は諦めない。「ねぇ、寝ないでよ? 僕は起きちゃったんだからさ。ねぇ。つまんないんだけど」
そう言いながら、私の頬を柔らかい手で、へしへし触り、首筋に鼻先を近づけてくる。
鼻息がサワサワとこそばゆい。
……うーん、さすがに無視し続けるのもかわいそうかな?
寝ぼけながらも私はぺらりと掛け布団をめくり上げて、彼を招き入れる。彼はいそいそと布団に潜り込んでくる。私の身体にぴたりとカラダを添わせて、心地よさそうな声を出す。
「ちょっと寒くなってきたから、ここが落ち着くんだよね」そう言って幸せそうにしている彼を見てしまうと、どうしたって怒ることはできない。たとえ、まだ夜も明けておらず、活動しているのは幽霊ぐらいしかいない丑三つ時に毎晩毎晩起こされたとしても、だ。
朝を告げる鳥の声が聞こえてくると、彼はそっと布団を抜け出す。窓辺に行って、カーテンの隙間から外の様子を伺う。朝刊を配達する新聞配達のバイクの音に耳を傾けながら、静かに外を眺めている。
鳥の姿を見つけられない日は、つまんなさそうに、また私の側へやってくる。
「ねぇ、外はもう明るくなってるよ? まだ、寝てるの? ぼくは、もう起きようかな?」
そうしてまた、私の布団にモゾモゾと入り込んできては、私のふくらはぎにそっと歯を当ててくる。……甘噛みだとしても、痛い。
「痛いから、やめて」
そう言っても、彼は諦めない。絶対に。断固たる決意をもって、私を起こすためのミッションを完遂することだけ考えている。
何度かの攻防戦のあと、ついに私は降伏する。
ふとんから起き上がり、彼に誘導されるがままに、彼が求めているモノをそっと差し出す。
求めているモノ。
それは、キャットフード。
彼は満足そうに、カリカリとむさぼる。食べ終わると、スリッと私のふくらはぎにからだをこすり付け、また窓辺の偵察任務をこなしはじめる。
ーー5:36
もうひと眠りできるだろうか?
やれやれとため息をついてから、窓辺に鎮座する猫の頭を何度か撫でたのち、私はまたふとんに潜り込むのだ。
指先と心の共通点
「それ、手でちぎっちゃダメだよ!」
無意識のうちにしていた私の行動に、そばにいた友人がギョッとしていた。
癖、というほどでもないけれど私はいつも指にできた、ささくれを引きちぎってしまうのだ。
友人に止められた、まさに今もそうだった。左手の親指にできた皮膚の違和感を、むしり取ろうとしていた。
「ああ、なんかついつい、ピッとむしり取りたくなっちゃうんだよね。見つけると」
私はちょっと恥ずかしくなって、その手を止めた。けれど、左手の人差し指では、そのピラピラと所在なさげにしている皮膚のかけらを触り続けている。
「この、ささくれは、絶対に取り除きたい」そう思いながら。
「そうやって、ひっぱると、またおんなじように皮膚が硬くなったりささくれたりするから、やめた方がいいよ」
友人は、彼女のきれいな指先を撫でるようにしながら私にアドバイスしてくれる。
うん、そうだよね。やめた方が、いいよね。
愛想笑いをしながら、私は適当に相槌をうつ。本当には、そんなこと思ってもいない。「ああ、早くささくれを取り除きたい!」という思いで狂おしいほどだった。
友人と別れたあと私はすぐに、ささくれをむしる。その左手の親指にある違和感を、放置しておくわけにはいかないのだ。気が急いていたからか、無理やりひっぱってしまう。少しばかり血が、滲み出てすらいた。
だけど私はようやく満ち足りた心持ちになり、ホッと息をひとつ吐いた。
ささくれを無理やり引きちぎるたびに、ちらりと胸にかすめる言葉があった。
「指先がささくれているときは、心に余裕のない状態なんだと思うんです。指先のささくれにも気づけない、心がわさわさしているというか」
言葉だけを覚えていて、誰が言ったのかよく覚えていない。女優さんのインタビューだったような気もするけれど、スピリチュアル系だか占い師の人かも知れない。だけど、誰が言ったかなんて、どうでもよかった。
その言葉自体が私の胸にささくれを生み出すようなものだったからだ。
心がわさわさ 、だなんて。
していないときを、探す方が難しい。
今だって、そうだった。
友人、といっても、もうここ何年もあっていなかった彼女とは生活スタイルも考え方も何もかもが変わっている。それは仕方ないことだし、当たり前なのだろう。
一方では「結婚したい!」と騒ぎながらも、独身を謳歌している。けれども、新しい秋物の洋服に身をつつみ、指先にはキレイに整えられたネイルが輝いている。
一方では「旦那の帰りが遅いのよ」と言いながら、結婚生活の愚痴をこぼしている。結婚という生活のステージは変わったけれど、爪の先はささくれている。洋服だって、何年か前に買ったもの。少し色あせてきているけれど、それには気が付かないふりをして大事に着ている。
どちらがいい、というものでもない。
けれど、結婚したって、生活レベルを下げたくない、という友人を見ていると、なんだか心はわさわさしっぱなしだ。
手がささくれているなら、ハンドクリームを塗ればいいんじゃない? いい香りのするクリーム知ってるよ、と何気なく教えてくれたけれど、ゆったりとした気分で香りを楽しんでいる心の余裕もない。
彼女からしてみれば、私はずいぶん変わってしまったのだろうか?
それとも、結婚していて、うらやましいと思っているのだろうか?
話をしているだけでは、本心は分からなかった。
けれど、せめて 教えてくれたハンドクリームではなくてもいいから。
心に生まれたささくれを、自分でピッとひっぱって
血がにじんでしまうようなことだけは、やめておこう。