ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

長い下り坂の向こうには、何があったのかな?

今週のお題「私の『夏うた』」

 

高校三年生の夏。

みんな、受験、受験、受験と受験の話題で持ちきりだった。

けれど、受験一色、というわけでもなく、私たちは夏休み明けにある文化祭の準備を思う存分楽しんでいた。勉強以外にやらなきゃいけないことの口実、として、みんな塾に行く前の時間などに集まったりしていた。

私たちの高校は、三年生は「演劇」に決まっていた。立て看板と、垂れ幕もつくり来場者にそれぞれ、良かったものを投票してもらうことになっていた。

理系と準理系として、センター試験を受ける子達や、看護系、薬学系を目指している合同クラスに私はいた。高校自体は共学だけど、そのクラスは三分の二が男子でむさ苦しく、暑苦しかった。そしてなぜか、彼らのあいだで「太陽に吠えろ」が流行っていて、演劇の題材も「太陽に吠えろ」の、ある回をモチーフとしてやろう! という意見に飲み込まれ、みなしぶしぶオーケーした。女子は「劇に出なくていいし、ラクだよね」なんて言いながら看板係や、垂れ幕係に分かれて他にも大道具や小道具、衣装などの準備の係を担当した。

 

垂れ幕や看板は、できる限り夏休みのあいだに進めよう! ということになり、日にちをみんなで決めて集まった。

みんなな心の中には「受験」への不安な気持ちが漬物石のように、ズッシリとした質量を持って確実に存在していた。けれど、なるべくその不安な気持ちを見つめないようにして、ばか騒ぎしていた。

私は垂れ幕係だったけれど、なぜか看板の制作を手伝っていた。私たちがつくる看板は石原裕次郎さんが演じていた「ボス」の似顔絵をちぎり絵で描くものだった。二メートル近くの高さがある看板には、折り紙では追いつかず、模造紙に絵の具でムラなく色を塗って、乾かしてからちぎって、コツコツ板に貼っていった。

私はコツコツやる作業を全く苦に感じなかったけれど、やはり何か音楽があるとはかどりそうだね! と話し合っていた。

そうして、小さなラジオを持って来てくれた子がいた。今ならiPodでも、iPhoneでも音楽は簡単に聞けるけど、当時はMDウォークマンか、CDウォークマンだった。ウォークマンだとスピーカーにつなげなきゃ、みんなで聴けない。スピーカーなんて洒落たものはないから、ラジオを持ってきてくれたのだった。

FM802をかけると、ゆずの「夏色」が繰り返し流れていた。ちょうど6月にリリースしたばかりで、パワーチューンとして何度も何度も流されていた。

私は、ゆずのことは知らなかったけれど、好きな男の子が「ゆずって良いよなー」って言っているのを聞いて、ラジオから流れる曲を必死になって覚えようとしていた。

何度もかかるため、私は自然と覚えてしまったし、一緒に作業をしていたみんなも曲を覚えてしまった。「夏色」が流れ出すとみんなで歌いだすほどだった。

好きな男の子と一緒に歌っていたときに「君を自転車の後ろに乗せて」のところで、彼の自転車の後ろに乗れたらいいなぁ、なんてぼんやり考えたりもした。

けれど、彼は、こっそりと付き合っている子がいたらしい。みんなには内緒で。誰かが偶然、街で見かけたのだ。

ふたりで一台の自転車に乗っているところを。

噂は大っぴらに広まって、私の耳にも入ってきた。あのかわいい子と付き合ってるんだ。そう、お似合いだよね。自分に言い聞かせるように、みんなでコソコソ話していた。

 

あっというまに夏は終わって、バタバタと文化祭も始まった。私たちのクラスが演じた「太陽に吠えろ」は先生や、来賓の親たちには受けていたけれど、一位にはならなかった。

みんなで歌いながら作った、ちぎり絵の看板は評価されて、アンケートで看板部門では第1位になった。

 文化祭が終わってしまうと、みな受験に向き合わなきゃいけなくなる。お祭り気分はもう終わらなきゃいけない。みんなまだお祭りの中にいたい気持ちから、文化祭の後夜祭で「夏色」を歌っていた。

少し離れたところで、彼が彼女と手をつないでいるのが、ちらりと、見えた。

 

 

テストのヤマを当てるには、ロバート秋山になればいい

今週のお題「テスト」

 

私が大学生だったのが、もう15年以上も前のことかと思うと愕然とする。

 

ちょうど7月には前期終了のテストがあって、結構大変だったなあと思い返してみる。私はあんまり、というか全然要領が良くない。出席をとらない授業なんて、受けなくていいってことでしょ? という周りの友達が羨ましかった。授業に出なくても、理解できるなんてすごいなあと思っていた。

朝一番の授業には、何度か遅刻してしまったけれど、だいたいの授業にキチンと出席していた。

大学教授っていう人たちは、みんな結構「クセ」がすごい。千鳥のノブのネタか? と思うほどに。話し方のクセがすごい。髪型のクセがすごい。怒りだすポイントのクセがすごい人もいた。

 

私は授業中、講義内容はノートを取っていたけれど、教授を観察する、というのも欠かさなかった。クセがありすぎて苦手な教授もいたけれど、講義を聞いているぶんには何も問題なかった。

 

「ここが大事だからね!」と言ってくれる教授もいたけれど、大事といわれても丸暗記すればいいのか、何かアレンジして出題してくるのかは、わからない。

過去問が出回ったりもしたけれど、教授達はだいたい揃って気まぐれで、それもあまりあてにはできなかった。

 

テスト期間が近づくにつれ、私のノートを借りたいという友人もいた。授業を受けずにノートだけを見て理解できるなんてすごいなあと、ボンヤリしている私は思っていたけれど、友人達も「どこが出そう?」なんて聞いてきくる。そんなことなら、ちゃんと授業に出てればいいのにと、チクリと嫌みを言いながらノートを貸してあげた。

 

しかし、ノートをきちんと取っていても「何が出題されるか」は分からない。もちろん、何から何まで理解していれば問題ないのだけれど。

ある時、私はノートを見返しながら、「クセのすごい教授達」に成りきってみた。時には口グセとかつぶやきながら、講義内容を思い返す。

私が、この教授なら……。

そう思いながらノートを見返し続けていくと「私ならここを、こんなふうに出題する!」というポイントがキラリとひらめくのだ。

……何それ? と思われるかもしれないけれど、事実なのである。

教授に、なりきって考えてみるのだ。

 

この授業を通して、1番言いたかったポイントは何? 何を理解しているか、教授は何を気にしてる? 私が教授ならば、今回の授業でどこのポイントをテストに出したい?

 

ちょっとイジワルな教授なら、多分こんな感じかな? あの教授は多分ここを出題するだろう。

なりきってみると、案外答えが見えてくるのだ。

私がこの方法でテストに挑み続け、一度も出席していなかった友人達に「多分、ここと、ここを、こんな風に出題すると思う」とアドバイスした。結果的に、私も友人達も、かなりの好成績だった。

 

なりきり勉強法は、受験には全く通用しない。

けれど、「この場面では、何を求められているか? 相手が求めている回答はどれか?」を考える習慣は、これまでの人生でかなり役に立っている。相手の顔色を伺っているのではなくて、相手の思考を先回りして考える、ということだ。

この立場の人なら、この職業の人なら、どんなことを言うだろうか? それを考えてみると良いと思う。

ある人になりきる、というのはロバート秋山さんのクリエイターズファイルがまさにそれだ。

なりきることで「この人、こんなこと言いそう!」だと思わせ、実在しているかのような人物像を作り上げている。

いろいろな人を観察しているからこそできる芸だと思う。

 

その点、教授になりきるのは簡単だ。目の前にいるのだから、観察すれば良い。授業を通して観察すれば、自ずと答えは見えてくるのだ。

 

大学前期の試験には間に合わないかもしれないけれど、ぜひ一度、お試しあれ。

 

魔法が使えても、やりたくないこと。

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

 

魔法が使えたら、というお題ですが、魔法にもいろいろあるな、とふと思います。

 

全知全能的な魔法使いっていうのも、もちろんいますが。

例えば変身できるだけの魔法。呪文を唱えて「〇〇になぁれ〜」みたいなやつですね。サリーちゃんとか、秘密のアッコちゃんとか、ミンキーモモとか、クリーミーマミとか。......年代を物語ってますが。

単純に、誰かに変身したいかなあ? と考えてみてもあんまり思い浮かびません。魔法が使えたとしても、わたしはあんまり変身はしたくないのかもしれません。多分、男の人の方がイロイロ妄想するかもしれないですよね。

アンジャッシュの渡部さんに変身して、佐々木希さんとモニョモニョしたいとか、DAIGOさんに変身して、北川景子さんとムニュムニュしたいとか。まあ、イロイロあるでしょうね。

 

次に、空を飛べるやつ。

ホウキに乗ったり乗らなかったり。

ハリーポッターとか、サリーちゃんとか。

わたし、これは絶対にやりたくないんです。

なぜか? 簡単ですよ。

高所恐怖症だから、です。

何を好んで高いところに行くんですか? 絶対嫌です。しかも! ホウキのスピードが出るのもこわい。手を離してしまって即落下しますね。絶対に。

若返り、とか永遠の命とかもあんまり興味がありません。

一緒に暮らしているネコの寿命を伸ばせる(病気とかも治せる)なら使ってもいいかな? とは思いますが。わたし自身だけならば、いらんなぁと思います。永遠に生きるのは、多分しんどいと思うんですよね。嫌な時代もあるでしょうし。やっぱり限りがあるからこそ、「やったるでー!」とガムシャラになるんじゃないかなあと思うんです。

 

ここまで3つあげてみましたが。やっぱりどれもそんなにやりたくないなあと思います。

でも、ふと今思ったのは20年前とかを考えてみると、今は魔法を使ってるみたいにも感じます。スマホとか。ルンバとか。

自動ドアとかも、昔の人からしてみると

「なんや! 勝手に扉が開いたぞ? 魔法か!」って思うんですよね。きっと。

そう考えると、私たちはすでに魔法(のような道具、もしくは手品)使いなんだなぁと思います。

 

 

今週のお題「晴れたらやりたいこと」

今週のお題「晴れたらやりたいこと」

 

多分、かなりたくさんの方が書いてらっしゃるだろうし、考えていらっしゃると思いますが。

 

やっぱり、洗濯、これですよね……。

 

いえ、でもね。

今年はまだ「うわー、もう雨ばっかりやん!」っていうほど、梅雨空でもないですし。今のところ洗濯カゴの中はキレイなものです。

それでもちょっと、困ったことがあります。

 

土日に雨が、降るんですよねぇ……。

 

私は一応、月曜日から金曜日までフルタイムの仕事についています。

毎日の使用済みのタオルやら、衣類や下着なんかは、毎朝、洗濯します。

夫もいますので、洗濯物はふたりぶん。

たいした量じゃありませんので、とくに苦じゃないんです。

ただ、平日には「大物」を選択はできません。

ここでいう「大物」とは、シーツやら、タオルケットやら、猫が毛玉を吐き出してよごれてしまった敷物なんか、です。

 

私が住んでいる町はやたらと風が強くて、目を離した隙に、洗濯物が飛んでいってしまうこともあります。そのため、時々、様子を見にいかないと我が家のシーツがお隣のお庭に進入している、なんてこともあるのです。

 

普段欲しているような小物では、そんなことは、ほぼ、起きません。けれど「一枚布」で作られている物は、風邪を大きく受け止めて、ものすごく力を持ってしまうんですね。

あまりおわかりいただけないかも知れませんが、「忍者ハットリくん」が風呂敷で空を飛んで移動していましたが、まさにあんな感じ。布一枚あれば、空も飛べるはず、みたいな。

しっかりと洗濯バサミで止めていても物干し竿ごと、飛んじゃうぞ? みたいな。

 

……とにかく、油断がなりません。

土曜日か、日曜日に晴れてくれないと、洗濯できないないのです。

どうか、土日のどちらかが、晴れてくれますように!

 

 

 

家飲みのお供にどうぞ! 簡単おつまみのご紹介

今週のお題「家飲み」

 

プシュッ。

アルミ缶のプルタブを開ける瞬間。この瞬間のために今日一日を頑張ったんだー!

グラスに注がれる、黄金色の液体がシュワシュワと音を立てて弾けている。ああ、それで早く喉を潤わせて!

 

……っていうのが、去年の夏までは週末の楽しみでした。

しかし、残念なことに、なんやかんやありまして、「アルコールの摂取は控えて下さい」と身体からの通達を受けてしまい、あんまり飲めなくなってしまいました。やれやれ。私の夏の楽しみよー! 戻ってきてくれー!! とは思うのだけれど、仕方なし。

最近ではアルコールフリーのカクテルやらビールテイスト飲料も、結構おいしいなあと思えるようになりました。

 

さて、「家飲み」ということですが、私が一時期ハマっていた、おつまみをご紹介したいと思います。簡単ですが、見た目はあまりよろしくないかも知れません。そこは盛り付けるあなたの工夫次第! 何とかなるでしょう。

 

ご紹介したいおつまみは「豆腐サラダ」です。

 

えっ? 普通すぎ? ……そうかも知れませんが、後にはひけません。

では、レシピを。

【材料】

・豆腐 二丁 サラダ用とドレッシング用。3個パックの充填豆腐を使用する際には1.5パックずつ使ってもいいかも知れません。

かつお節  適量

かつおだしの素(顆粒。サラサラのパウダー状のものがオススメです) 適量

・マヨネーズ 適量

・めんつゆ又はしょうゆ こちらはお好きなものをどうぞ。濃口薄口どちらでも。

・薬味はお好みで。ネギやミョウガ、青じそ、すりごまも美味しいですね。

 

材料は以上です。薬味はあったらおいしいけれど、切ったりするのも面倒であればなくてもよし!豆腐とかつお節、マヨネーズとお醤油ちょっとがあればOKです。

作り方も至ってシンプル。

 

1. 豆腐(ドレッシング用)をつぶす。

スプーンやフォークなどでグチャグチャにつぶしてください。なめらかなペースト状にする必要はまったくないです。だいたい固形じゃなくなったなー、ぐらいで大丈夫です。

2.  つぶした豆腐の中にマヨネーズ、かつお節、かつおだしの素を入れて混ぜる。

2に分ける必要もないですよね。つぶしながら混ぜちゃってOKです。

小分けになっているかつお節パックは一袋まるまる入れちゃいます。だしの素は味の決め手になります。大さじ1ぐらい入れても大丈夫かと。使用するメーカーによって味が違いますから、そのへんはお好みで。私が好きなのは「ヤマキ」の小分けになっているだしの素。それをひとパックまるまる入れてました。だしの素をちょっとだけにするときはお醤油またはめんつゆで味を整えてください。

マヨネーズも惜しまずたっぷり使って下さい。

3、サラダ本体の豆腐に、ドレッシングの豆腐をかけて完成です!

お好みで、薬味など散らしてください。

 

見た目がアレかも、とはじめに書いたのは、「グチャグチャにつぶした豆腐(やや茶色)がかかった豆腐」だからです……。想像すると、ちょっと微妙でしょう?いえ、あまり想像していただかない方が良いかも知れませんね。

でも、簡単だし、お腹にもたまるし、ちょっとしょっぱいのでおつまみにぴったり! 

盛り付けに自信のある方は、おもてなしなんかでも使えますよ!

レタスやみず菜、グリーンリーフなどをちゃちゃっとあしらって、ミニトマトやフルーツトマト、パプリカなどでイロドリ良く見せれば、ぐっちゃりとした見栄えは断然カバーできます!

ひと手間かけられるのなら、ドレッシング用の豆腐は水切りすると、味が濃くなります。

マヨネーズたっぷり結構ジャンクなようですが、もとはお豆腐ですから。

結構手軽でいいですよ。ぜひ、お試しあれ!

 

ああ眠い ひどい睡魔に 襲われる

今週のお題「ブログ川柳」

 

ふぁぁぁ。

ねむい。

ねむすぎる。

 

最近、通勤電車の中で座った瞬間に眠ってしまうことが多い。

立っていても、つり革に半分ぶら下がった状態で、いつの間にか記憶がなくなっていることすらある。我ながらちょっと恥ずかしい。

ブログの記事を書くのは、なるべく通勤時間中に行うことにしているため、

記事の更新も滞りがちになってしまう。

 

仕事中にも、突然の睡魔に襲われる。

睡魔との戦いは、かなり厳しい。負けそうになるけれど、負けるわけにもいかない。

負けてしまうと、遠い場所に旅立ってしまって、戻ってこられなくなるに違いない。

眠気ざましの目薬をさしたり、コーヒーを飲んだりするけれど、睡魔という名の魔王には、なかなか勝てるものではない。

魔王を倒すためには、やはり、「勇者の剣」のようなもので、断ち切らないといけない。一進一退の攻防ののち、なんとか魔王を退ぞけることができた。だけど、それも一時的なことで、また新たな睡魔が私のまわりにぐるぐると飛び回るのだ。

 

睡魔を操るラスボス的なやつは、確実に存在している。それは、分かっている。分かっているのだけれど、ラスボスの力は絶対で、争うことすらできないのだ。ラスボスが私の前に姿を現わすと、ひれ伏すしかない。

 

睡魔を操るラスボス。

それは、我が家のネコだ。

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とても可愛い。しかし、厄介だ。

 

朝、日が昇る時間が早くなってきている。我が家のまわりにはちょっとした雑木林があって、鳥達がペチャクチャと騒がしく朝のおしゃべりを始める。

そうすると、彼は可愛い耳をピピッと動かして窓の外に釘付けになる。鳥達はどこにいるのかな? 彼の中に宿るハンターの気質が、鳥達を逃せないのだろう。

そして、ふと彼は我にかえる。

 

ぼくは、お腹が空いている。

 

ぼくにゴハンをくれる係の人間は……? まだ寝てるのか。ぼくはお腹が空いてしまったのに。

さて、彼女を起こそうか。

 

そうして、朝の四時頃から、バタバタ、ニャーニャーと騒がしく、私の眠っている布団のまわりをぐるぐるぐるぐる走り回る。

布団から足がはみ出していれば、容赦なく噛みついてくるし、布団の中に潜り込んでは、背中やらふくらはぎやらに噛みついてくる。布団の中に入り込めないときには、髪の毛を引っ張り、噛みちぎる。彼は決して、めげることはない。諦めたりしないのだ。

断固要求が通るまでは鳴き叫び、暴れ続けるのだ。一向に勢力を弱めることのない台風のように。

 

そうして、私は仕方なく朝の四時に目覚め、彼に少しのゴハンを与え、再び眠りにつこうとする。けれど、一度目覚めしまうと、なかなか寝付くこともできない。うとうとし始めた頃には起きなければならない時間がやってくる。

 

そうしてまた、睡魔と戦いながらの一日が始まりを迎えるのだった。

最後に一句。

ああ眠い   ひどい眠気だ   ああ寝たい

 

 

 

今日から世界はまぶしく見える

数日前のある朝。どこからともなく、ペキッ、と音がした。

「ええ?」

と思いながら、手元を見ると今まさにつけようとしていたメガネが壊れていた。左耳にかけるところ(ウデ、ツルなどと呼ばれている部分)が折れている。

 

あまりにも突然のことで、びっくりしながらも「ああ、もうこのメガネとはさようなら、なのかな……」とさみしくなった。

 

私がメガネをかけ始めたのは、高校3年生のころ。黒板の文字が薄ぼやけて見えなくなってきた。父親がメガネをかけていたこともあって、「将来私はメガネをかけるんだろうな」となぜか考えていた。そのため、メガネに対する抵抗感もなくて「やっぱりな」ぐらいの感じでメガネをかけ始めた。

大学生になると、コンタクトレンズを装着するようになった。けれど、私はずぼらな性格に併せて体質的なこともあり、よくコンタクトレンズによるトラブルがおきた。

コンタクトレンズのカーブが眼球のかたちに合わなくて、傷がついてしまったりだとか、 コンタクトレンズの洗浄剤が目に合わなくてアレルギーを起こしたりだとか……。

 

15年近くコンタクトレンズをつけていたけれど、年に一回はコンタクトレンズが問題となり眼科に行くということに対してストレスを感じるようになっていた。

そうして私は、コンタクトレンズの生活をやめて、これからはメガネをかけた生活を送るぞと決めたのだった。

 

メガネはメガネで不便なところもある。花粉症でマスクをつけると、もれなく曇ってきたり。ついレンズを触ってしまって、指紋がべったりとついたままになってしまったり。ほとんどスポーツなんかもしないけれど、気まぐれにランニングをするときにも、確実に邪魔だと思う。実際には「メガネが邪魔そうだな」と思うと、ランニングすらしなくなっているのだけれど。

 

そんな不便なところがあったとしても、かれこれ四年近くメガネは私の顔の一部になっていた。

メガネをかけた顔イコール私の顔、とは言いすぎかもしれないけれど、感覚としてはそうだった。黒ぶちで、四角い形のメガネ。

そのメガネの細い部分が、ペキッと折れてしまったのだ。

 

朝の支度途中のことで、「もう、忙しいときに!」と、とっさに思ってしまった。けれど、その直後に「ああ、もうこのメガネとは、さようなら、なのかな……」という寂しい気持ちがフワフワと私の心に漂い始めて、底の方に静かに沈んでいった。

この何年か、確実に、私の顔の一部だったのに。

物には寿命があるのだから、仕方ないと思うけれど。折れたツルと、レンズの部分を一緒にメガネケースにそっとしまった。

 

私は新しくメガネをひとつ購入した。

黒ぶちの四角い形のメガネ。

前にかけていたものと、かなり似ている。

だけど、違う。

全然、違うのだ。

レンズはピカピカで、世界はまぶしく見える。

それに、まだ私の顔に馴染んではいない。

 

新しくまぶしい世界を見るために。

新しいメガネをかけて歩んでいくために。

また毎日をこつこつと、過ごしていくしかないのだと思う。