ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

今日から世界はまぶしく見える

数日前のある朝。どこからともなく、ペキッ、と音がした。

「ええ?」

と思いながら、手元を見ると今まさにつけようとしていたメガネが壊れていた。左耳にかけるところ(ウデ、ツルなどと呼ばれている部分)が折れている。

 

あまりにも突然のことで、びっくりしながらも「ああ、もうこのメガネとはさようなら、なのかな……」とさみしくなった。

 

私がメガネをかけ始めたのは、高校3年生のころ。黒板の文字が薄ぼやけて見えなくなってきた。父親がメガネをかけていたこともあって、「将来私はメガネをかけるんだろうな」となぜか考えていた。そのため、メガネに対する抵抗感もなくて「やっぱりな」ぐらいの感じでメガネをかけ始めた。

大学生になると、コンタクトレンズを装着するようになった。けれど、私はずぼらな性格に併せて体質的なこともあり、よくコンタクトレンズによるトラブルがおきた。

コンタクトレンズのカーブが眼球のかたちに合わなくて、傷がついてしまったりだとか、 コンタクトレンズの洗浄剤が目に合わなくてアレルギーを起こしたりだとか……。

 

15年近くコンタクトレンズをつけていたけれど、年に一回はコンタクトレンズが問題となり眼科に行くということに対してストレスを感じるようになっていた。

そうして私は、コンタクトレンズの生活をやめて、これからはメガネをかけた生活を送るぞと決めたのだった。

 

メガネはメガネで不便なところもある。花粉症でマスクをつけると、もれなく曇ってきたり。ついレンズを触ってしまって、指紋がべったりとついたままになってしまったり。ほとんどスポーツなんかもしないけれど、気まぐれにランニングをするときにも、確実に邪魔だと思う。実際には「メガネが邪魔そうだな」と思うと、ランニングすらしなくなっているのだけれど。

 

そんな不便なところがあったとしても、かれこれ四年近くメガネは私の顔の一部になっていた。

メガネをかけた顔イコール私の顔、とは言いすぎかもしれないけれど、感覚としてはそうだった。黒ぶちで、四角い形のメガネ。

そのメガネの細い部分が、ペキッと折れてしまったのだ。

 

朝の支度途中のことで、「もう、忙しいときに!」と、とっさに思ってしまった。けれど、その直後に「ああ、もうこのメガネとは、さようなら、なのかな……」という寂しい気持ちがフワフワと私の心に漂い始めて、底の方に静かに沈んでいった。

この何年か、確実に、私の顔の一部だったのに。

物には寿命があるのだから、仕方ないと思うけれど。折れたツルと、レンズの部分を一緒にメガネケースにそっとしまった。

 

私は新しくメガネをひとつ購入した。

黒ぶちの四角い形のメガネ。

前にかけていたものと、かなり似ている。

だけど、違う。

全然、違うのだ。

レンズはピカピカで、世界はまぶしく見える。

それに、まだ私の顔に馴染んではいない。

 

新しくまぶしい世界を見るために。

新しいメガネをかけて歩んでいくために。

また毎日をこつこつと、過ごしていくしかないのだと思う。

 

沼にはまった、そう、あれは中学生一年生のとき。

今週のお題「私の沼」

 

私が沼にはまった、と確実に言えるのは20年近く前のことだ。

 

中学一年生のとき。

クラスの男子が持っていた下敷きにえがかれているマンガのキャラクターに一目惚れしてしまった。

そのキャラクターは、幽☆遊☆白書の飛影。

幽☆遊☆白書のことを知らない人がいるかもしれないので簡単に説明すると、週刊少年ジャンプに連載されていた単行本だと全19巻からなるストーリー。冨樫義博さん作。(最近の作品はHUNTER×HUNTER。休載中)

みんな知ってる体で書くけれど、主人公の浦飯幽助なんかよりも妖怪の飛影のクールな見た目に、「うわー! かっこいい!」と本当に好きになってしまった。

その男子が持っていたのは、週刊少年ジャンプの付録のような下敷きで、頼みこんで五百円で売ってもらった。

 

その下敷きを見るまで、幽☆遊☆白書のことは全然知らなかったので、そこから一気にハマっていった。すでに単行本として出ているものは購入。週刊少年ジャンプは、近所のコンビニで立ち読みして、飛影がたくさん出ている時は購入。アニメも放映されていたので、アニメは録画。さらには一時停止して「写ルンです」で撮影。当時はデジタルカメラはなくて、現像に出してみては一喜一憂していた。

さらには、アニメイトなる、アニメグッズのお店に行っては飛影のグッズを購入。2次元の相手に、なぜそこまでハマるのか、本人も理解出来ないけれど、好きだった。あれは完全に恋をしていた。

 

かなり頭がイかれていたと思うエピソードがある。ストーリーの中で、飛影の片腕が使えなくなるのだ。本当に心苦しくて、アニメでその回を放映された時には泣いてしまった。しかも「飛影が右腕を使えないなんて、かわいそうすぎる。私の右腕を捧げたい」と思った。そして右利きなのに、私も右手を封印して、左利きになると宣言したのだ。

あまりにもバカげていて、家族全員ア然としていた。今の私もア然とする。若気の至りって怖い。っていうか、若気の至りですらない。ただただ怖い。

だけど、そこそこ左利きをマスターしたところで飛影は「邪王炎殺黒龍波」を体得し右手も治った。そして、私のイかれた左利き生活も終わりを告げた。

 

しかし、徐々に「飛影に恋をしても何も報われない」ということに気付き始めた。何をしたって、飛影は目の前には現れない。

少しずつ、単なる幽☆遊☆白書の読者になっていき、飛影への焦がれる想いは薄れていった。中学2年生の夏には、もう「終わりを迎えた恋」のように、しんみりとした気持ちになっていた。そうして私は幽☆遊☆白書沼(主に飛影)から抜け出すことができたのだった。

 

今となれば、なぜあれほどに飛影に無茶になっていたのか、わからない。

けれど、私の心の中には今でも「片思いの相手」として登録されていることは確かなのだった。

みかんケーキを作った思い出

今週のお題「おやつ」

 

私が子供のころ、私の母はよくケーキを焼いてくれた。

お誕生日には、かならずケーキを焼いてくれていた。姉と私でイチゴやらミカンの缶詰やらをゴテゴテと乗せる手伝いをした。もちろん、手伝いと言いながら生クリームをペロリと舐めたり、「全部乗らへんから、食べとくわー」といってつまみ食いもした。

 

母は、いつも手際がよかった。

「ひろちゃん、小麦粉な、カシャカシャってふるいにかけてくれる?」とか、「このクリームな、しぼり袋に入れていってな? ゆっくりでいいから。こぼさんといてな?」とそばで手伝う私に、的確な指示を出していた。

 

お誕生日のケーキ以外にも、母が必ず作ってくれるケーキがあった。それは「みかんケーキ」だった。みかんケーキとは、おそらく母のオリジナルレシピだったように思う。

スポンジ生地のなかにみかんの果汁を加えて混ぜる。だけど、それだけじゃない。生地の焼きあげたあとに、外側からもみかんの果汁をしみ込ませるのだ。

できたてをすぐに食べると、みかん果汁をしみ込ませた生地がベシャベシャしている。ベシャベシャはしているけれど、それはそれで美味しいのだ。

「ちょっと味見してみよか?」食いしんぼうな我が家の女たちは、ベシャベシャしているみかんケーキを少しずつ切りわけては「おいしいなあ」と言いあった。

みかんケーキが本当に完成するのは、焼き上げて、みかん果汁を外側からしみ込また翌日だ。

翌日にはケーキ全体にシットリとなじんで、ベシャベシャした感じもなくなるのだ。

競い合うようにして、私たち姉妹は食べたものだ。

 

我が家は毎年、みかんを大量にもらうこともあって、このみかんケーキは冬になると必ず作ってもらうケーキとして定番化していた。

母があまりにも簡単そうに作るため、小学6年生の姉とと小学3年生の私は「うちらにも作れるんちゃう?」と考えてしまった。

いま思えば浅はかだけれど、姉も私も「自分たちの手でケーキが焼けるんじゃないか?」という素晴らしいアイデアを思いついてしまったたも、作らない、という選択肢はなかったのだ。

 

「次に作るみかんケーキはふたりで作ってみたいねん」とふたりで母にお願いした。

母はわりと大らかな性格で「いいでー。でもオーブンは火傷したらあかんから、取り出す時だけお母さんやるわ。結構重たいから」

といって、実際にオーブンに入れる天板を持たせてくれた。

「取り出すときは、お母さんやるけど。オーブンに入れるときはふたりで入れてな。ゆっくりやったら大丈夫やろ」といってくれた。

 

母が書いたレシピを見ながら、姉とふたりでケーキを作り始めた。せっかちな私は、レシピをよく読まず進めようとしてしまい、何度か姉とケンカしそうになる。そんなときに母は「せっかく美味しいおやつ作ってるんやから、ケンカしたらあかん! ケンカしてる人が作ったケーキをお母さんは食べたくないわあ」と私たちのケンカを諌めた。

 

何とか生地を、丸いケーキ型に流しこんで、あとは焼くだけだった。

ふたりで、そおっとケーキ型をオーブンに入れて扉を閉める。

焼きあがるまで40分。

あとは待つばかりだった。

何度も焼いている途中のオーブンを覗き込んでは、ドキドキしていた。

けれど、覗くたびに不安になった。「お母さんが作ってくれてるときよりも、膨らんでへんな? なんでやろ?」

不思議だった。

もっとムクムクと、膨らんでくるはずやねんけどな? 姉も同じ心配をしているようだった。

「なあ、ひろちゃん。ケーキ、ぺちゃんこやなあ? なんでやろ?」

「なあ? なんでやろか。おかーさーん、ケーキ、膨らまへんー!」

母は、どうも心当たりがあるようだったけれど、笑うだけで、その場では答えてくれなかった。

 

チーン。

ケーキが焼きあがった音がした。

「ほんなら、開けるでー」

そう言って、オーブンの扉を開けた。

もわぁん、と甘い香りが漂ってくる。

うん。いつものにおいやわ。

おいしそうな匂いやし、大丈夫かな?

 

しかし、取り出したケーキは、やはりあまりふくらんでいなかった。ケーキ、と呼ぶにはすこし申し訳ないシロモノだった。

「......もしかして、失敗したん?」

たまらず姉が母に訊ねる。

「まあ、せやねー。ちょっと、混ぜすぎたんやねぇ」

母は、そう言って、ケーキ型からケーキをお皿の上に取り出した。

「最後に小麦粉を入れて混ぜるときに、さっくり混ぜなあかんねん。ぐるぐる、ぐるぐる混ぜてたやろ? あれは、ホンマはやったらあかんねん」

母のセリフに姉と私はぼう然とした。

「え、そしたら失敗なん?」

「なんで、作ってるときに言ってくれへんの?」私たちは口々に母に問いかけた。

「レシピには、さっくり混ぜるって書いたはずやからなあ。ちゃんと読まなあかん。混ぜ方ひとつで、お菓子はぜーんぜん出来上がりは変わってまうからな! 次作るときに勉強になったな!」母は私たちにそう言ってはげましてくれた。

「そしたら、このケーキ、失敗なん?」

ちゃんと泣きそうになりながら、私はたずねた。姉も、悔しそうな表情だった。

「みかんケーキは、あとひとつ、やることあることがあります。さて、なんやろ?」母は私たちに、まるでクイズでも出すように質問した。

「......みかんの果汁をしみ込ませる?」

私たち姉妹は声をそろえながら、母に答えた。

「そうやねん。実はな、お母さんも初めてケーキ焼いたとき、おんなじやってん。ぐるぐる、混ぜてな。膨らまへんケーキ焼いてん。でな、膨らまへんケーキは硬いねん!」

母は、笑いながら、過去に母自身が失敗した経験を話してくれた。

「そこでな、半分やけくそで、外から水分をしみ込ませたら柔らかくなるかなー? って思いついて、できたケーキが、みかんケーキやねんで!」

私はびっくりした。

いつも、上手に焼いてくれる母ですら、失敗したことがあるなんて。しかも、みかんケーキは、失敗から生まれたものだなんて!

「まあ、いつもよりは歯ごたえあるけどな。まっくろこげになったわけちゃうんやし」そう言いながら、母は私たちにみかんの果汁をケーキにかけるように促した。

私たちは、ていねいに、ゆっくりとみかんの果汁をケーキにかけた。

美味しくなりますように、とこころの中で祈りながら。

「明日までおいといたら、中まで染み込むから美味しくなるで」母は私たち姉妹にそう言ってくれた。

 

翌日。

おやつの時間に、みかんケーキを食べることになった。代表して、姉がケーキをカットする。

そろりそろりと、ケーキを切りわけて、母と姉と私の皿に盛ってくれた。

「いただきます!」

おそるおそる、フォークで一口サイズにしたケーキを口に運ぶ。

「......やっぱり、ちょっとは硬いな」

姉がそう言う。

「でも、味は美味しいで!」

完璧主義の姉が「失敗したのは、ひろこのせいや」と言い出すんじゃないかと思って、あわてて私はフォローした。

「初めてにしたら、上手にできてるやん。お母さんは、もうちょっと硬かったわ。なんでも最初っからうまいことできひんよ」

母は、ニコニコしながらみかんケーキを頬張っていた。

姉はまだすこし不満そうな様子だったけれど、食べていくうちに、だんだんと笑顔になってきた。

「また、ふたりで作ってな」母は私たち姉妹に笑顔で話しかけた。

 

はじめからなんでも、うまくできひん。

お母さんだって、はじめは失敗したって言うんやし。

私たち姉妹は、またリベンジしよう! と誓いあったのだった。

 

 

 

 

ブログを続けることは、お風呂上りに髪を乾かすようなものだと思う。

お題「私はなぜブログを続けているのか」

ブログなんて、いまさら時代遅れじゃない?

いまどき、SNSで発信できるんだし、ダラダラ長い文章なんて、書く必要あるの?

 

3月の終わりからブログをはじめて、もうすぐ2か月になる。

ブログを始めた理由は、いたって簡単で「書くことを習慣づけたいから」

 

書くことが習慣になったのは、まだまだ日が浅く、2016年の10月から。

仕事で文章、適当に書いて! と頼まれることもあり「いや、適当はダメだよね」と思い始めていた。

少し、大きな仕事がはじまることになり「学生インターン」に文章指導してあげる、なんていう企画も、そのなかにあった。

文章指導! 学んだこともないのに、指導! むしろしてほしいわ……と思っていたけれど。さすがに高校時の「現代国語」が、文章制作における最終学歴である私が指導だなんてできるはずもない。やばいよ、やばいよ、と思いながら、「さくっと学んでみよっかなー」と気軽に文章を書くための4か月ゼミ、みたいなものに参加した。

 

そこからだ。

私の「文章を書くこと」に対する意識がガラリと変わってしまったのは。

はじめのうちは、課題をこなすだけでもやっとだった。週に一度、文章を書いて提出する。「絶対」ではないか、出さなくてもいい。

けれど、一応自腹を切って学んでいることだし、よっぽどのことがないかぎり、何とか書いて提出していた。

 

はじめは、「さくっと学んでみようなー」で初めて見たことだけれど、だんだん書かないと気が済まなくなってきたのだ。

今週は、めんどう提出しなくてもいいか、と何度も考えたけれど、どうしても「あ、あれなら書けるかも!」と思いつくと、いてもたってもいられない。いや、箸にも棒にもかからない、「何のために書いてんの?」って突っ込まれるような内容だとしても。やっぱりやらなきゃいけない、書かなきゃいけない気持ちになるのだ。

思えば、やっぱりやらなきゃと思わせられることって色々と日常にはあちらこちらに転がっている。

歯を磨いたり、食器を洗ったりもそうだろ。

面倒だよな、と思いながらも毎日やっていることのひとつに、お風呂上がりにドライヤーで髪を乾かすこともある。

ドライヤーは髪を痛めるから、タオルでていねいに乾かさなきゃいけないだとか、いや、ドライヤーは使った方が良いけれど、髪から離して使ってよ、とか。謎めいたルールを聞いたことすらある。長い髪をばっさりと切ったあとには「シャンプー、楽でしょう?」とか「髪、すぐに乾くでしょう?」なんて会話も交わされるくらいだ。

そもそもドライヤーを使わないだとか、それ、ドライヤー使う必要ある? というようなサザエさんに出てくる波平さんの髪型だとか。

ドライヤーを使うかどうかなんて、自由なのだ。使いたければ使えばいいし。面倒で「もう、今日は髪も濡れたままだけど、寝ちゃお」って寝てもいいんだし。

だけれど、翌朝に「あー、昨日乾かして寝れば良かったなあ」って後悔するような悲惨な寝ぐせがついていたり。濡れた頭が冷えてしまって、少しばかり風邪をひいてしまっていたり。

やらなければ、翌朝後悔するだろうなぁと目に見えているのならば、後悔しないように行動するしかないのだ。

なぜ、ブログを続けているか。

文章がうまく書けるようになりたいからだ。書いて、書いて、たくさん書くしかうまくなるには道はない。うまく書けるようになるために、4ヶ月のゼミに入ってみた。もちろんそのゼミではこれまで知らなかったノウハウを教えてもらえた。だけど本当に上手になりたいなら習うより、慣れろってこともあるのかもしれない。

毎日、髪を乾かすように。習慣としてドライヤーを使うように。私はブログを書き続けたいと思っている。

 

 

カーネーションと老夫婦

 友人と久しぶりに会うために、街を歩いていると向かいから老夫婦が歩いてくる。80代くらいに見えるふたりは、付かず離れずの距離を保ちながら歩いている。

 

 ふたりとも、少しだけおめかしをしているようで、おじいさんは帽子をかぶり、麻のジャケットを羽織っている。おばあさんも、レース地のカーディガンに、小さな真珠のネックレスと、胸もとにもブローチをつけている。ふわりとしたスカートをはいてしっかりとした足どりで、どこかに向かっているようだった。

 

すれ違った時に、おじいさんが手にしているものに目が止まった。

赤い、カーネーション

造花ではないようで、少しだけ花びらがしんなりし始めている。けれど、ついさっきまでは水に浸かっていたらしく、葉先はみずみずしさを保っていた。

 

誰のためのカーネーションなんだろう?

おそらく、すでに亡くなられているであろう、おじいさんご自身の母に向けたものか。それとも、となりを歩いている、おばあさんに向けた話しがなのか。

 

ラッピングもされず、むき出しのまま、一本だけのカーネーション

おそらくは、となりを歩く、妻に向けた花なのだろう。

慣れない花を手に持っているおじいさんは、少しだけ居心地がわるそうな、はずかしそうな表情だ。

長年、ともに暮らしてきた夫婦には、2人にしかわからないルールがたくさんあるに違いない。

歩幅を合わせながらも、少しだけ距離を置いて歩いている老夫婦には、これまでにどんなストーリーがあったのだろう?

だけれども、こうして少しおめかしをしながら、おそらく食事に向かうであろうふたりから、暖かく優しい気持ちをプレゼントされたようだった。

たった一瞬、すれ違っただけなのに。

今日は、母の日。

遠くに住む母は、カーネーションよりもバラの花が好きだという。

一度にたくさんお花をもらっても、一斉に枯れてしまうからさみしいと母はいう。それならば少しだけ時期を外して。きれいに咲いた花で優しい気持ちになれるように。母にはバラの花を贈ろうと思う。

もう2度と、あなたに髪を切ってもらわないよ。

今週のお題「髪型」

 

どうしても、ぴたりと決まらない。

頭の中が、ひとつの事柄でぎゅうぎゅうだ。

 

ああ、神様!

今すぐに髪を切りに行きたいです!

 

そんなふうに思うことって、女性のかたは特に多いのではないか?

なーんか、モッサリしてるんだよなぁ……

なーんか、寝ぐせついちゃうんだよね……

なーんか、今すぐに髪を、切りたいな……

 

この想いに駆られると、居ても立っても居られなくなるのは、私だけではないでしょう。

なんだか髪型が決まらないときは、もちろんのことだけれど。年末になると「今年中に髪をなんとかしなきゃ!」という気持ちが降り積もってくる。

しかし、私はこの「年末に髪をなんとかしたい」気持ちのせいで美容院選びを失敗してしまったことがある。

年の瀬もせまったころに、どうにもガマンできず、時々お願いしている美容院に電話をした。だけど、やっぱりみんな、同じことを考えているようで、もう予約でいっぱいだという。

 

うーん。でも、切りたいんだよー!

今年中に、このモッサリはやめて、スッキリとした気持ちで新年を迎えたいんだよー!

前髪も、ちらちらと目にかかって、うっとおしいんだよー!

そう思いながら、地域のタウン誌をペラペラめくる。

 

あ、そういえば。

駅前に新しい美容院がオープンしてたんだっけ。タウン誌に「オープン割引きクーポン」とやらが載っていて、年末まで有効だと書いてある。

ちょうど家からも近いし、ダメ元で電話してみよう!

 

電話をかけると、元気の良い女性スタッフがでてくれた。

「あのー、予約したいんですけど。もう年内は無理ですか?」おそるおそる、尋ねてみる。すると「あ、ちょっと確認いたしますね。(ペラペラ予約表をめくる音)お待たせしました! 店長で良ければあいていますよ」

おお! ラッキー!

店長、ありがとう!

私は予約をお願いして、いそいそと出かける準備をした。

 

この時に、気がつけば良かった。

忙しくて、新規の予約を受け付けられないような時期に「店長で良ければ」あいている、と言われた意味を……。

 

カランコロン。

「いらっしゃいませー」

あ、電話にでてくれた女の人かな?

「すみません。今朝電話して、13時の予約をお願いしたんですけれど……」

「はーい、お待ちしていました。あ、店長……。ちょっと出てしまってるので、すみませんが、少し掛けてお待ちくださいね」

ん? もう13時なのに、店長いないの? また、年末だし、あちこち挨拶したりとか、あるのかもね。そう思いながら、お店の中をキョロキョロ見渡す。雰囲気は悪くない。対応してくれた女性スタッフは、先に来ているお客様のヘアカラーのチェックなど、テキパキと動き続けている。お店のつくりも、ウッドベースの床に、名前は分からないけれど大きな観葉植物が気持ちよさそうに、あちらこちらに置かれている。空気も澱んだ感じはないし、この美容院はよさそうだな、と思っていたら。

 

「あー、お待たせお待たせ!」

ガランガランっとがさつに扉を開けた音がした。なんだか、その人が扉を開けてお店に入ってきたとたんに濁った空気も入ってきたように感じられた。

「ごめんねー、お待たせしちゃって! さ。こちらにどうぞ!」

私にむけて話しかけてくる。まさか、店長か?

 

店長の出現によって、お店の雰囲気は少し悪くなったように感じたばかりだったので、私の中で、少しばかり緊張感がただよう。

 

大きな鏡の前の席に移動して「今日は、どうされますかー?」とにこやかな笑顔を私に向ける店長。

一目見て「サーファーかな?」と思わせる。肌はしっかりと日焼けしていて、ロン毛とは言わないけれど、やや長めのヘアスタイル。前髪も長くてうっとおしくないのか、心配だ。歳のころは40台半ばだろうか。ひと昔かふた昔も前の木村拓哉に憧れているのかなと思わせる佇まいだ。黒いロンTの上にアロハシャツを着ていて、見た目で判断してはいけないと思いつつ「チャラ男」だと認定してしまう私がいる。

 

「あ、ちょっと揃えるくらいで。あとクーポンのトリートメントサービスも予約したときにお願いしたいんですが」

「はいはいはい。このあたり、ちょっとモサモサしてるしね! じゃ、はじめますね」

人の話をきいているんだか、いないんだか。

店長は、さっとハサミを持って、私の髪を切り始める。

「すてきなお店ですね。ちょっとこの町にはオシャレすぎるくらいです」

私は、なんとなく、お店を褒めるようなことを話した。店長に話しかけられると、なんとなく根掘り葉掘り聞かれそうに感じたからだ。

「オシャレすぎるかなあ? いや、僕ね、ここに来る前は表参道の店に居たんだけどね……」

ここから、店長の怒涛の自慢トークがはじまった。トップスタイリストとして活躍したり、芸能人の専属になったり、独立するのも引き止められて、2号店の店長として続けてほしいって言われたり……。どこまでが本当かはわからないけれど、うさんくささは、満点だった。サービス業のことはあまりわからないけれど、美容師さんは腕が良いことはもちろん大事だろうけれど、お客様の話を聞き出したり、共通の話題を見つけたりして「この人は、信頼できる」と思わせる必要があるんじゃなかろうか? よりによって、こんなに自慢話ばかりしていては、ダメなんじゃ……。店長よ、この町は話を聞いてほしいおばあちゃんばっかりだから、自分の話ばかりしてちゃ、お客様こないよ! そう言ってやりたい。

 

「前髪も揃える程度でいいよね!」店長は、私の意見を聞かず、前髪を揃えようとする。

「あの、前髪は短いのが好きなので、眉毛くらいまで切ってください」

「え? そんなのバランス悪いから! 前髪は長めに残しとかなきゃ!」

それが嫌だから来てるんじゃないか! 前髪短くしてくれよ!

バランスのことは、気にしなくて良いので。切っていただけませんか?」なんとか食い下がる私。しかし、店長は切ってくれなかった。

「僕が良いっていうスタイルが一番良いから! ね? ほら! この長さがちょうど良いから!」

そう言って、1ミリくらいしか、前髪は切ってくれない。

何がなんでも切ってくれないのか。そう。ならもう、何も言わないよ……。

 

「じゃ、シャンプーとトリートメントしていきますから」そう言って席の移動を促し店長。

私はシャンプー台にグッタリと横たわる。顔の上にペラリとしたフェイスペーパーが無造作に置かれる。私はこのシャンプーの時、顔に載せられるタオルやフェイスペーパーが大嫌いだった。なぜなら、まるで死体の顔にのせる布みたいじゃないか。そう考えてしまいと、どうしても載せてほしくないものに思えた。

「すみません、この布載せられるの好きじゃないので、外してもらいたいんですけど」

そう訴えてみたけれど、店長には伝わらなかったようだ。「一応載せとかないと、顔に水がかかったら嫌でしょ?」

うん。もう、いい。店長とは話しがあまり、通じないみたいだから。

店長のシャンプーは、結構強くて痛く感じたし、シャワーのお湯の温度も高めです熱かった。

「ちょっと痛いです」「ちょっと熱いです」そう訴えても店長には伝わらない。なにごともなかったかのように、トリートメントを私の髪に塗りたくり「少し、時間おきますね。えーと10分くらい」そう言って店長はその場を離れていった。

10分くらい、と言われても時計も見れないし。

一応寝そべっているような姿勢だからウトウトしながら待つとしよう。それにしてもトリートメントってシャンプー台で寝かせた状態で待たせるものだっけ? 一回イスに座ったりしない?

そんなことを考えていたら、店長はガランガランっと音を立ててお店から出て行ってしまった。

えっ? 10分のあいだに、お店の外に出ちゃうの? ちょっとちょっと! おーい!

なんなんだろう? この美容院、っていうか店長。なんだか、ちょっと私には理解しきれない。トリートメントを待っているあいだに何本か電話がかかってきて女性スタッフが対応していた。電話先のお客様に「店長なら空いている」と伝えるたびに断られているようで「また、来年よろしくお願いします。良いお年をおむかえください!」と言って電話を切っていた。

そうこうして、店長は戻ってきた。10分近く経過したらしい。

「お待たせしましたー。じゃあ流していきますねー」

そう言って店長は私の髪をシャワーで流し始める。

……タバコ臭い! 10分の待ち時間で、店長、あなたタバコ吸ってきたんですか? その指で客の髪を触る? いやー、ありえない。いくらなんでもダメだろう。タバコを吸う人がダメというわけじゃないけれど、このタイミングでタバコを吸ってきちゃあダメだろう!……顔にもシャワーのお湯、かかってるし! イライラするがあとちょっとガマンして早く家に帰りたい。そう思っていた。

ドライヤーで髪を乾かしてもらい、女性スタッフの方からの「申し訳ありません」というまなざしを感じながら、私はもうあまりしゃべることもなかった。一刻も早く帰りたかった。

店長は、仕上げたヘアスタイルに満足しているようで「やっぱり、前髪のバランス、いいね! ね?」と私の同意を求めてくる。曖昧に「はあ、まあ、そうですかね……」とうなずいて、その場を終わらせようとする私。私がうなずいたことで満足した店長は満面の笑みを浮かべていた。

 

髪を切りたい、という当初の目的は果たせたのだから良しとしなければ。たとえタバコ臭い指先で髪を整えられたとしても。前髪もあまり切ってもらえなかったとしても。

会計をしている最中に、また電話が鳴る。店長でもいい、というお客のようだ。
かわいそうに。

 

もう2度と、私は店長、あなたに髪を切ってもらいたくない。 

なんだかとっても疲れてしまった。「良しお年を」と言われて美容院を後にした。

家に帰ったら、前髪を短くして新年を迎えよう。そう思いながらトボトボと歩いた。

 

歯ブラシみたいなココロについて

朝起きてすぐと、眠る前の1日2回。

歯をみがく。

 

もう四捨五入したら40歳なのに、どうかと思うけれど、私は歯をみがくのがヘタくそだ。

 

歯みがきがヘタだなんて、意識したこともなかった。小学生の時に、「歯の衛生月間」のようなものがあった。みがき残しがあるかどうかを調べるために、何やら口の中が真っ赤になる錠剤みたいなものをいれて、みがく、というのがあった。鏡を見ないでみがいて、歯が赤くなければ、きちんとみがけている。赤い箇所があれば、その部分はみがけていない。みがき残しがあるから、ムシ歯になりやすい、ということだった。

私はいつも、上の前歯をみがき残していた。どうも、すこしへこんでいるために、うまくみがけないようだった。意識して、前歯を一本ずつ、歯ブラシを縦に使ってみがきなさいと何度も指導された。

また、歯ブラシも、こまめに新しくしなさいと言われた。どうやら、力強くゴシゴシみがいているらしかった。歯ブラシが毛羽立って、ブラシの先端がアッチコッチ向いてしまう。そんなブラシでは、前歯はうまくみがけないし、前歯以外に歯もうまくみがいていないのだという。

 

ふーん。そっか。

小学生の私は、あんまり気にもとめずにいた。真っ赤な前歯は、ちょっとショックだっだけれど、「口の中が血だらけやー」と言いながら、ふざけていた。

 

歯みがきなんて、毎日する、もはや習慣のようなものだ。

だけど、無意識のうちに手を動かしていると、いつものクセがでて、みがき残しがある。歯垢や歯石になってしまったり、ムシ歯になってしまうのだ。

細部まで意識して、手を動かさなきゃいけない。たかが歯みがきでも、そうなのだ。私は。

 

歯みがき以外では、どうだろう? いつものことだと、無意識に行動して、あとから後悔してないかな? ふと、そう考えてみる。

 

朝から、けばけばした歯ブラシみたいな気持ちで、夫にきつく当たってしまった。ケバだった、いらいらした気持ちを深呼吸してリセットしよう。新しい歯ブラシに取り替えるように。

 

さて、ていねいに前歯を磨くように、今日もがんばろう。

クセだらけの思考はやめて、柔軟で、細やかな仕事ができるように。今日も1日、がんばりたい。