ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

毎朝、修行しています。

今週のお題「自己紹介」

 

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「これっ、いつまで寝ておるのだ! 我に食事を与えよ!」

 

私はいつも、朝早く起こされている。

しかたない。

私は修行中の身なのですから。

 

私はもう、師匠のもとで5年も修行させていただいている。

 

日の出とともに、鳥のさえずりが聞こえる。

すると師匠はパチリと目覚め

弟子である私にも、早く起きろと催促される。

 

不出来な弟子であるわたしは、

まだグズグズと布団のなかで、もたついている。

そんなとき、師匠は容赦ない。

わたしの頭をベシベシたたき、布団からはみ出した足首にガブリと噛みついてくる。

 

わたしが起きるまで、それはずっと続く。

修行中の身なのだから、わたしもサッサと起きればいいのに。

 

師匠の攻撃を、なんとか かわしながら

あと少しだけ……と、惰眠をむさぼる。

 

攻撃は激しさをまし、ついにわたしは起床する。師匠は

「ようやく起きたか。やれやれ。毎日これでは、先が思いやられるな」

と、呆れ顔だ。

 

寝ぼけまなこで階段をおりる。

しかし、気を抜いてはいけない。

 

師匠がトラップを仕掛けていることもあるのだ。

階段をおりたところ。

洗面所の前。

カーペットの上。

 

トラップはどこに仕掛けられているかは、わからない。

春先には週に一度くらいの割合で仕掛けられていて、全く油断できない。

 

昨日は、トラップに引っかかってしまった。

日曜日で、気を抜いてしまっていた。

 

「こんなに目立たないところに、毛玉を吐くのはやめてくれない……?」

足の裏がグッシャリと気持ち悪い。

 

師匠は、まったく素知らぬ顔で、

ベロベロと毛づくろいしている。

 

師匠の名前は、カリン。

今年6歳になる、オス(去勢済み)のネコ様だ。

ドラゴンボールにでてくる、

かりん様という白いネコのキャラクターが

名前の由来だ。

 

超神水も、超聖水も、ましてや仙豆なんてくれやしない。

 

ネコとの暮らしは、日々修行のようなもの。 

 

怒っても、むだ。

急かしても、むだ。

人間のペースを守るのは、師匠のもとでは、とても難しい。

 

だけど。

わたしは師匠のもとで一生、修行をしようと

こころに決めている。

 

なにごとも

修行中の身ですが、どうぞよろしくお願いします。

 

 

私たちは、狩猟民族である。

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「今年は4月29日がベストだって!」

夫がやたらとウキウキした様子でカレンダーに大きくマルをつけている。

 

うん、そうだねと、私はあまり気乗りしない様子で、適当にあいづちをうつ。

ああ。

またこの季節がやってきたのか……。

 

今年もまた、潮干狩りのシーズンがやってきた。

4月から5月くらいまでのアサリは、身がぷっくりと膨らんで、食べごろになる。いわゆる旬の食材、といわれるものだ。

私が住んでいる神奈川県の海沿いの町では、4月になると、あちこちで潮干狩りが行われている。ちょうど、ゴールデンウイークとも重なるため、家族連れのレジャーとしても人気があり、毎年多くの人たちでにぎわっている。

 

残念ながら、私はあまりアウトドアのイベントが得意じゃない。

キャンプも、バーベキューも。

そして潮干狩りも。

 

嫌い、というわけではないし、誘ってくれたなら、もちろん参加する。

けれど、自分から積極的に「行こう!」とは思えない、根っからのインドア体質なのだ。

日に焼けるのは、嫌だなあと思ったり、トイレにはトイレットペーパーはあるかなあと心配になる。急に寒くなったら嫌だから、上着を持って行ったほうがいいのかなと悩み、イベント前日の天気予報で、降水確率が少しでも高そうなら、雨が降るかもしれない……中止かな? などと、考えてしまう。先回りして心配しすぎて、心の底から楽しめないのだ。

潮干狩りの場合には、さらに「転んでしまって、パンツが濡れたら、どうしよう」という情けない心配まで、おまけでついてくるのだ。

腰を落としてしゃがんだ状態で、バランスを上手く取れる自信がない。

しりもちをつく可能性は、かなり高い。

 

しかし、アウトドア派の夫は私が気にしているような心配は全くないという。

転んでパンツが濡れたとしても、一向に気にしない。むしろ、アサリを獲るのに夢中になりすぎて、濡れているのに気がつかないことすらある。

毎年、潮干狩りシーズンになるとソワソワしながら、潮の満ち引きが書いてあるカレンダーを入念にチェックする。

「さてさて、今年のチャンスは何回あるかな?」と心の底から嬉しそうに。

 

 

私は、結婚したばかりのころに一度だけ、夫と一緒に潮干狩りにいったことがある。けれど、支度に時間がかかり、出かける時間が遅れてしまった。ゴールデンウイークのまっただ中ということもあって、道路も渋滞していた。海岸に到着したときには、すでに大勢の人でにぎわっていた。砂の中にいるアサリの数よりも、おそらくそこで潮干狩りをしている人間の数のほうが多いに違いないと思えるほどだった。あまりの人の多さに夫も私も、やる気を失ってしまった。売店のホットドックを買って、海を眺めながら食べたという記憶しかない。

 

それ以来、夫の潮干狩りにかける情熱はますますヒートアップしていった。

海辺まで行ったのに潮干狩りが出来ないなんて、あまりにも悔しかったようだ。

みんなが潮干狩りをはじめる前の、3月上旬、早ければ2月下旬に潮干狩りに一緒に行かないか? と誘ってくるようになった。

いくら誘われたとしても、私はそんな時期絶対に行きたくない。

室内にいても寒いのに、海辺に行くなんて寒いに決まってるじゃないか。

アサリなんて、スーパーで売ってるんだし、買えばいいんじゃないの? そう反論すると、怒り出した。

「何言ってるんだ! 砂の中からアサリを見つける楽しみが、弘子には分かんないのか? 宝探しなんだぞ? アサリは、砂の中に眠っているお宝だぞ?」

 

申し訳ないけれど、夫が潮干狩りにかける情熱は、私には全く伝わらない。元テニスプレイヤーの松岡修造さんばりに、潮干狩りに対する情熱を熱く語り、私にぶつけてくるけれど、私はぜんぜん理解できなかった。アサリを砂の中から見つけることが、まるで宝探しのようだ、というのは分かる。けれど、3月上旬という、場合によっては雪が降ることもある時期に、なぜズボンをたくし上げて海に入れというのか? 風邪をひいたらどうするつもり? こんなに寒いんだから、温かい室内でココアでも飲みながら本を読んでいたい。インドアな私は散々文句を言った。次第に夫は私と一緒に行くことを諦めた。寒い寒いと言いながらも、夫はひとりで潮干狩りに行った。「やっぱりまだ、行ってる人が少ないからたくさん獲れたよ」といって、とても満足そうだった。

 

ある年に、夫は会社の後輩と潮干狩りツアーに行くと言い出した。

夫の潮干狩りに付き合ってくれるなんて優しい後輩だなあと、思っていたけれど、どうやら後輩に誘われたらしい。なんでも、後輩の地元にある秘密のスポットを知っているらしい。

ちょっと掘るだけでも大アサリ、小アサリがザックザクなのだという。

 

「密猟にならないの?」

私は心配になったけれど、漁師さんに教えてもらった場所で、漁業権にも問題ないのだそうだ。

 

静岡県にある秘密の潮干狩りスポットへは、車で片道2時間近くかかるという。出発前に、夫は忘れ物がないように荷物のチェックを何度もしていた。なんども荷物を出したり入れたりしている様子は、遠足に向かう前の小学生のようだった。

 

「たくさん持って帰ってくると思うから、アサリ料理のレシピを調べといてくれる?」そういって、夫はどれくらいの量なら持って帰って来ていいかを確認してきた。つくだ煮にして、冷凍すれば日持ちするよね、などと言って、夫はいろいろな調理法や保存についても調べていた。

 

潮がひいている、ベストな時間に到着するように、彼らは深夜に出かけていった。

秘密のスポットだというくらいだから、たくさん持って帰ってくるのだろうか……? 食べきれないと困るし、いくら保存できるようにしても冷凍庫がアサリばっかりになるのはちょっと困るなあ、と考えていた。

 

しかし。

「取らぬ狸の皮算用」だった。

ことわざって、うまく出来ているんだなあと、心の底からそう思った。

取ってもいない狸の皮や肉でいくら儲かるかを考えて、実際には狸をつかまえてもいないという、ことわざの通りになってしまった。

 

 

秘密のスポットに住んでいたアサリは、どこか別の場所に引っ越してしまったのか、ほとんどいなかったらしい。

たくさん持って帰って来たらどうしよう? と心配していたけれど、持って帰って来たアサリは、たったの3粒だった。

 

狩れぬアサリの殻算用、と心の中でことわざを思いついた。

語呂も合っているし、うまくできたと思ったけれど、あまりにもしょんぼりしている夫には披露できなかった。

 

その3粒のアサリはお味噌汁にしてあげて、美味しくいただいた。

夫は本当に残念そうだったけれど、懲りることもなく、すぐにまた別の場所での潮干狩りの計画を練っていた。

 

 

夫がなぜこんなに潮干狩りに夢中になっているのか分からない。

砂の中にいるアサリを見つけたときの興奮は、たまらないのだと言う。

確かにアサリを、夫の言うように「お宝」だと思えれば、興奮するかもしれないなと思う。

けれど、やはり根っからのインドア体質の私には、夫と一緒に狩りにいくのは少々気が重いなあと感じている。

 

しかし、インドア体質の私にも「宝探し」とも思える出来事を見つけてしまった。

それは「古書店めぐり」だ。

先日、西洋のアンティークがあつまるイベントに興味があって、神保町まで出かけた。

神保町へ行くのは生まれて初めてだった。JRの御茶ノ水駅を降りたところからちょっとした旅行気分だ。

JR御茶ノ水の駅前は、大学病院が立ち並んでいて、ギターなどの楽器を取り扱っているお店がたくさんあった。

 

イベント会場のある靖国通りがどちらか、自信がなかったので、交番で道を聞いてから歩いていった。楽器を売っているお店が並んでいたかと思えば、明治大学日本大学の校舎がある。次第にカレー屋さんが増えてきた。キョロキョロと周りを見ながら歩いていくと、靖国通りに行き当たった。

 

信号を渡った先には、様々な古書店が立ち並んでいた。

お店の前に飾られている、古めかしい本に思わず吸い寄せられる。

少し日に焼けて、茶色くなっているけれど、きれいな装丁の本が山積みになっている。この町にある古書店を、かたっぱしから訪れて、じっくりと本を探したい! そんな思いで、胸が熱くなった。

何でもっと早く、この町に来なかったんだろう? こんなにもたくさんの宝の山が、町のいたるところにあるのに!

アンティーク品のイベントもとても興味のあるものだったけれど、私は古書の町そのものに魅了されてしまった。

お店によって、取り扱っている本の種類はさまざまだ。古い本のにおいに囲まれるだけで、私は満ち足りた気持ちになった。

山のようにある本の中から、私だけのお宝を探したい! そう思ったけれど、あまりにも舞い上がってしまって、ゆっくりと本を選ぶことが出来なかった。

かならず、リベンジしてやるぞ! そう思いながら、神保町を後にした。

 

私にとって、古書店のなかから本を探すことと、夫にとっての潮干狩りは同じことなのだろうと思う。

自分にとって、「お宝」と呼べるものは何だろう? アサリか、本か。方向性は異なるけれど、同じことなんだと気がついた。

 

 

思えば、本との出会いは、狩りのようなものだ。

自分のすきな作家で選んだり、知らない人が書いているけれど何となく面白そうと思ったり。

話題になっているから手に取るし、本の装丁が気に入って購入するもののある。

自分自身の本へ対する狩猟本能を働かせて、売り場にあるたくさんの本の中から、自宅に持って帰る本を選ぶのだ。

 

本を選ぶときの、ワクワクしている気持ちは、誰にもとめられない。

アサリが身体への栄養になるならば、本はココロへの栄養になる。

栄養失調にならないためにも。

私たちは日々、狩りをやめられない。

 

私のからだは、たまごサンドでつくられている。

今週のお題「自己紹介」

 

自己紹介、と聞いて一番すぐに思い出すことがある。

それは、村上春樹さんの「雑文集」という本に書かれていること。

 

かなり前に読んだことと、私がぼんくらなため、解釈をまちがっているかもしれない。

「違う! 村上さんはそんなこと言ってない!」

とお怒りをいただいてしまうかもしれないけれど、

「自己について語るときに、カキフライ(すきなもの)を考える」という内容だった。(ように思う)

 

この文章を読んで以来、自己紹介をきちんとする場面になったら、

私は何について語ればいいのか、ぼんやりと考えていた。

 

カキフライは、わたしも大好きだ。

おとといも、夕飯にスーパーで値引きされていた

カキフライ弁当を買って

さらに、お総菜コーナーでも値引きされていたカキフライを買って食べた。

 

尊敬する村上春樹さんと同じ食べ物が好きだなんて、

本当にうれしいなあ、と冷たくなってはいるけれど

冷たくなっていても、やはりおいしいカキフライをもぐもぐと食べた。

 

万が一、何かの機会に、(いや、きっとありえないのだけれど)

村上春樹さんと食事をする機会があったとしたら

迷わずカキフライを食べに行きたいと思う。

 

自己について語るとき、本当はわたしも「カキフライ」を通して

表現したいと思ったのだけれど、

村上さんがもう、紹介されているしなあ……と考えて

ふと、私は「たまごサンド」かな? と思い当たった。

 

たまごサンド。

仕事の日の昼食は、たまごサンドを食べている。

もう、この一年ぐらい、ずっとだ。

これにはいくつか理由があるのだけれど、

単純に「好きだから」というのが一番おおきな理由だと思う。

 

仕事の日にたべる、たまごサンドは

職場近くのローソンで購入する。

220円。

耳を切られた食パン(おそらく8枚切りだろう)に、ゆでたまごペーストがたっぷりと挟まっている。

 食パンは、ほのかに甘い。

ゆでたまごのペーストは、マヨネーズっぽさが多く感じるけれど

なめらかな口当たりで、ぺろりと食べられる。

 

自宅での昼食も、たまごサンド率が高い。

土曜日と日曜日もたまごサンド。

 

ほとんど毎日、たまごサンドを食べている。

だけど、全然あきないのだ。

いつ食べても「ああ、美味しい」と思って食べる。

 

自宅では、手作りのたまごサンドだ。 

 

まず、はじめに。

ゆでたまごを作る。

しっかりと、固ゆでに。

根からのずぼら者のため

時間なんかは、はからない。

だいたいできたかなー? という程度まで茹でて

つめたい水につけておく。

 

食パンは6枚切りのものを一枚。

トースターがないので、魚焼きグリルでパンの表面をさっと焼く。

両面に軽く、焦げ目がつく程度に。

魚焼きグリルで焼くと、一瞬で真っ黒こげになることもあるため、

ここは、十分に注意して。

食パンが焼けたら、取り出して、薄くスライスする。

食パンのみみは、そのまま。

切り落としたりはしない。

どうせ、あとでたべるのだから。

スライスした食パンの表面に、練りからしを薄く塗る。

バターやマーガリンは塗らない。

これは、多分好みなのだと思う。

バターやマーガリンが、あまり好きではないのと、胃がもたれてしまうから、塗らないだけだ。

 

 

冷たい水からたまごを出して、

ていねいに、殻をむく。

ずぼらな人間だけれど、ここはていねいに。

殻のかけらが少しでも入っていると、食べたときに、とってもがっかりする。

まるで、当たりだと思って握りしめていたクジ引きが、ハズレだったときみたいに。

 

ゆでたまごを適当につぶして

マヨネーズで和える。

 

たまごペーストを、たっぷりと食パンの片面に塗りつけて

ほんのすこしだけ、粗挽きこしょうを振る。

 

そっと食パンを重ねる。

たまごサンドは、できあがりだ。

 

食べやすいように、カットする。

思い切って包丁を入れる。

一瞬でもためらうと、

食パンはグチャグチャになってしまうので

ためらっては、いけない。

絶対に。

 

息を止めて

一息に、サクッと。

 

半分に切ったら、

しろいお皿にのせて、できあがり。

さてと、いただきます。

 

根っからのずぼら者で

胃がもたれやすいくせに

ちょっとだけ刺激をもとめて

妙なところ神経をとがらせている。

 

そんな私ではございますが

どうぞよろしく

お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

失意の底にいた私を、浅田真央選手の演技が救ってくれた。

2017年4月10日。

 

浅田真央さんが、フィギュアスケートの選手を引退を発表された。

ブログで引退への心境をつづるなかで

「これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています」

 

このように、書き記されていた。

 

この言葉を読んで、ほんとうに涙が止まらなかった。

 決断は決して後ろ向きなものではなくて、
これからの人生を歩むための一歩なんだと、思う。

 

ほんとうに、お疲れさまでした。

あの日、助けてくださってありがとうございました。

そう、こころから、お礼を言いたい。

 

 

私は、過去に、浅田真央選手のフィギュアスケートの演技に、大きく勇気づけられたことがある。

 

 

***

 

2010年1月のこと。

 

私は、結婚したばかりで、夫と神奈川県にある

小さなアパートで暮らしていた。

 

結婚してすぐには子供はつくらなくていいね、と言っていたけれど

なんとなく生理も来ないし

あれ? もしかして? 

という予感があった。

 

だけど、女の人ならわかると思うけれど

生理なんて、ちょっとしたことでリズムも変わってしまうし

そのときも、なにかとイライラしたことが多かった。

 

「ああ、きっとストレスで遅れてるんだろう」

 

そう思って

薬局で売っているカンタンな検査もせずにいた。

 

お正月のにぎやかさが落ち着いて実家の大阪に帰省をしたときに

母親に

「生理がおくれてて、もしかしたら妊娠してるかも?」

と、なんとなく伝えておいた。

母も、「ふーん。まあでも、かなり遅れてくることもあるしな」

と、期待しすぎない様子で、私にそういった。

 

本当は、嬉しかったと思う。

もしかしたら初孫が生まれるかもしれない。

そう思ったに違いない。

けれど、私が過去にホルモンバランスを崩す病気をしているし、

あまり「期待しています!」と宣言してしまうと

重荷になるだろう、と気遣ってくれたのだと思う。

 

「神奈川にもどったら、検査してみるわ」

 

それだけ言って、その話は終わりにしておいた。

 

数日後、神奈川の小さなアパートに戻って

薬局で売っている妊娠検査薬を購入した。

数種類販売されていて、

2個入りだとか、「分かりやすい!」だとか、記されていた。

こんなに種類があるなんて、と

戸惑ってしまったけれど、一つだけ入っている、一番無難そうに見えるパッケージのものを手に取った。

 

 

妊娠検査薬を購入するに時になると

もう、「私のお腹の中には、生命が宿っている」ということに

なんとなく、気が付いていた。

なぜかと聞かれてもわからない。

いわゆる、つわり、と呼ばれる症状は、まだなかったけれど。

ただ何となく、日に日に強くなる存在感が、下腹部にあったのだ。

なんとなくその存在感に、支配されてきているような、

空恐ろしい感覚も、少しだけ感じていた。

 

夫が夜の遅い時間に帰宅して

二人でいるときに検査をした。

 

妊娠検査薬に尿をかけて

どうなれば陰性で、どうなれば陽性なのか。

 

間違えてしまうと

爆発してしまうゲームのように

何度も何度も、確認しながら、トイレに向かった。

 

検査の結果は、陽性だった。

私と夫は、戸惑いはあったけれど

これから親になるのだという、

決意と、じんわりとした暖かな喜びにつつまれていた。

 

翌日、私はいそいそと婦人科に向かった。

寒さの厳しい、一月下旬だったけれど、

少しづつ梅の花のつぼみが膨らみ始めていることや、

八百屋の店先で売られている焼き芋の甘い香りにうっとりしながら

軽い足取りで、でも決して転ばないように歩いて行った。

 

その病院は、いつも婦人科検診をうけている

顔なじみの先生だった。

 

受付で、妊娠検査薬で陽性だったことを告げた。

受付のお姉さんに言われるままに、

体重をはかったり、尿を採取したりした。

「あぁ。これから、妊婦生活が始まるんだなあ……」

と、てきぱきとエコー検査を進めていく

看護師さんと先生の動きについていけず

嬉しい気持ちと、不安な気持ちがグルグルと渦巻いていた。

 

「おめでとうございます。妊娠していますね」

先生から、こう告げられて、ようやくホッとした。

けれど、その直後。

 

「ですが、エコー診断の結果が少し気になりますね……。

胎児の成長が、遅い、最悪の場合には、止まってしまっている可能性もあります」

「え?」

私は、すぐに理解できなかった。

いや、頭では理解してはいたけれど、

こころが理解したくなかったのだと思う。

 

「止まってるっていうのは……? えっと……どういうことですか」

私は、取り乱さないように、必死に冷静に装った。

先生は、伝えても大丈夫だと認識したらしい。

「はい。今の月齢ですと、もう少し大きくなっているのが通常なんです。

いまの、倍くらい、ですね。成長が遅れている、ということもありえますから一概には言えませんが、これ以上、胎児が成長しない可能性があることも、理解してください」

「……流産、ということですか?」

確信めいた単語を、先生は濁していたため、思い切って私が告げる。

「可能性として、ありえる。そういった段階です。

まだ決定しているわけではありませんので、また、……そうですね、一週間後の火曜日に様子を見せにきていただけますか?」

 

先生は、カレンダーを見ながら、私にそう伝えた。

「はい。わかりました」

これから成長する可能性もあるし、その反対もある。

出産予定日や、どこで出産を希望するか。

里帰り出産なら、早めに手配をしないといけないなど、

いくつかの注意事項をうけた。

 

翌週の検査の予約をし、病院を後にした。

 

病院からの帰り道。

朝来た時の気分とは正反対で、ふらついて

グラグラと、いつ転んでしまってもおかしくない足取りだった。

 

夕飯、作る気力が沸かないな……。

そう思って、私はデパ地下のお総菜コーナーで買い物をして帰ろうと思った。

 

たくさんの食べ物がつやつやと、並んでいて

いつもなら、嬉しい気持ちが勝って「あれもこれも」と買いたくなってしまうのだけれど、その日はどれも、食べたいとは感じられなかった。

色とりどりの野菜や、きれいに盛り付けられているお総菜も、

ただ、砂場の山のように灰色のかたまりに見えた。

 

 

……そうだ。

お母さんに電話しよう。

実家の母に、今日婦人科に検査に行くことをメールで伝えていたんだった。

心配してくれているだろうな。

……ぬかよろこびさせてしまったな。

 

そう思いながら、騒がしいデパ地下の隅で、こっそり実家に電話をかけた。

 

「もしもし? おかあさん? ひろこやけど」

少しのコール音の後に、母が出てくれた。

母の声を聴くと、安心してしまって、急に涙が込み上げてきた。

 

「ひろちゃん、どうしたん?」

「今日な、検査いってんけど……。お腹の子は、もう大きくならへんかもしれん、って言われてな……」

それ以上、私は言葉を発することができなくなった。

涙が、次から次へと溢れてきて止まらなかった。

 

電話口の母は、

「何泣いてんの! あんたがしっかりせんと、どないするんや? 大きくなるかもしれへんねんから。泣いてたらあかんやろ」

そういって、私を叱るでもなく、励ますでもなく、ただ一人の女として、母親として私に「どちらにしても、覚悟をしなさい」と、伝えてきた。

 

「……うん。そうやね」

デパ地下の隅で泣き崩れている私に、親切そうなおばあさんが心配げな表情で、

こちらの様子を伺っていたけれど、少しして去っていった。

 

泣きながら母とはなして、ようやく少しだけ落ち着いた。

 

母という存在を、私は、とても大きく感じた。

同時に、私自身は、おなかの中にいる小さな生き物に対して

母親には、なれないのかもしれない、と思うと

また涙がこぼれてしまいそうだった。

 

よろよろになりながらも帰宅した。

夜遅くに帰ってきた夫にも、今日の検査結果を報告した。

 

母に話した時のように、涙がこぼれてしかたない、

というようなことはなかった。

夫には事実をきちんと伝えなければと、

必要以上に冷静さを保ちながら話をした。

 

たぶん、夫に心配をかけたくなかったんだと思う。

それに、たぶんまだ、心の内をすべてさらけ出すのが怖かったのかもしれない。

家族になって、まだ一年もたたない人なのだと思うと、

信頼はしているけれど、どこかまだ、「自分のことは自分でやらなきゃ」と

考えていたところもあったのだ。

 

二人の将来を決定づける大切な出来事であるにもかかわらず

私は、やはり夫の気持ちに負担になりすぎてはいけないと、気を使っていたのだろう。

 

検査の結果を聞いた夫は、私の想像したとおり、

かなり心配していた。

「まだわかんないんでしょ? 楽観的に考えたいね……」

とはいうものの、表情は明らかに、これから起きるであろう最悪の事態を想定していた。

 

「とにかく、あまり身体に負担のかからないように。

来週の検査まで、静かに一週間過ごそう」

そう、二人で決めた。

 

粛々とした日々を過ごしていた。

当時、私は仕事をしていなかったので、できる限り外出もせずにいた。

なるべく考えないようにしたかったけれど、どうしても暗いイメージばかりが頭の中をよぎってしまう。

 

振り払うようにして、テレビをつけると、まもなく開幕するという

バンクーバーオリンピックの特集が組まれていた。

ぼんやりとテレビを見ながら、華やかなフィギュアスケートの世界を見つめていた。

女子は、日本の浅田真央選手と、韓国のキムヨナ選手が一騎打ちになるであろうことで

世間は大賑わいだった。

 

氷の上で表情豊かに踊り、滑る彼女たちはまるで、オルゴールのうえで回り続ける、お人形のようだった。

 

浅田真央選手のインタビューや、これまでの演技などを見ていると

無心になれた。

トリプルアクセルという諸刃の剣になりかねない彼女のジャンプを、

テレビ越しに、ただただ、眺めていた。

ただただ、彼女のスケートがキレイだと思いながら。

 そうして、私は少しずつ、心の準備をしていたのだと思う。

 

 

一週間後の検査を待たずして、私は流産した。

 

日曜日の昼過ぎに、猛烈に下腹部が痛くなった。

むしり取られ、絞り出されるような強烈な痛みが襲ってきた。

「出産の痛みは、これの何倍も痛いんだろうなあ……」

と、痛いながらも、なぜか客観的な自分がいた。

悲しい、というよりは

ああ、やっぱり、この子は早く出て行ってしまったな、という気持ちが強かった。

夫に救急病院へ電話してもらって、

当直のお医者様と痛みのさなかで話をした。

 

今出ている血液は、そのうちにおさまること。

強烈な痛みも、そのうちにおさまること。

救急車を呼んでもいいけれど、今の状態なら

自家用車で病院まで来てほしいということ。

 

夫に車の準備をしてもらって、

私は救急病院へ向かった。

車に乗るときは、もうさっきまでの搾り取られるような

猛烈な痛みはまったくなかった。

猛烈な嵐に襲われていたのに、あっという間に過ぎ去って

何もなかったかのように、晴れ間が広がっているみたいだった。

 

嵐は痛みも、悲しみも、胎児すらも。

なにもかも連れ去っていって

あとには、ただポツンと、私のこころだけが、取り残されていた。

 

 

救急病院で一通りの処置を受け、妊娠初期の流産は、10人にひとりはある事だと説明された。

入院することもなく、帰宅して良いと言われた。

 

 

 

帰り道では言葉少なげに夫と二人で、

ただ音楽を聴きながら自動車を走らせてもらった。

なにか、食べられるなら、食べた方がいいんじゃない? と

夫は気を遣って、お弁当屋さんで、私が好きそうなものを見繕って

買ってくれた。

 

私は悲しかったけれど、泣くこともなかった。

無理やりお腹がすいたふりをして、

「疲れたし、おなかすいたわ。プリンも買って帰ろうか」

と、必要以上に元気なそぶりを見せて、少しでも夫を安心させようと振舞っていた。

夫も、私が演技をして明るく振舞っていることを分かっていたけれど

騙されてくれていた。

 

家に帰ったら、何事もなかったかのように

サザエさんが放送されていて、当たり前の日曜日が、過ぎ去ろうとしていた。

私達は、静かに、味のしないお弁当を食べた。

 

 

次の日は、朝起きると雪が積もっていた。

寒くて、こんなにも寒い世界には出てきたくはなかったんだろうなと、

なんとなく考えていた。

 

安静にしているように言われていたので

また、テレビをつけた。

テレビでは、また浅田真央選手を応援する番組が放送されていた。

スケートリンクにいるときの浅田選手は、とても厳しい表情だったけれど、

神々しくもあった。

 

まるで、お雛様のようだった。

 

柔らかい表情で、私を許してくれたり

厳しい表情をみせて、私を叱咤してくれていた。

 テレビ越しではあるけれど。

浅田選手の挑戦から、私は目を離せなかった。

 

体調が良くなると、私はすこし実家に戻ることになった。

昼間に、一人で過ごす時間が長すぎるのを、夫が心配したのだ。

夫は、明らかに私が無理をしていることを感じとっていた。

私は私で、夫の仕事が忙しいのに心配させては行けないと、気を遣っていた。

 

2月中旬に、大阪の実家に戻った。

ちょうどオリンピックもはじまっていた。

 

父も、姉も必要以上に心配することなく、普通に接してくれた。

母は、「疲れたやろ」と言って、ぎゅっと私を一度だけ抱きしめてくれた。

 

姉はオリンピックが好きなので、様々な競技を録画しては「ひろちゃん、一緒に見よう」と誘ってくれた。

ショーン ホワイトのハーフパイプを見ては興奮したり、カーリングを見ては「あれ、一回やってみたいなー」と、のんきに話していた。

そうした、何でもなく流れている時間が、私にはありがたかった。とても。

 

オリンピックも後半になり、フィギュアスケートが始まった。

男子は高橋大輔選手の素晴らしいパフォーマンスに心が痺れた。

 

女子は、やはりキムヨナ選手と浅田真央選手のどちらかが、という張り詰めた雰囲気だった。

 

浅田選手の、フリー演技。

ラフマニノフの「鐘」という曲に合わせて

氷の上を滑らかに踊る。

 

しかし。

神様は残酷だった。

浅田選手は、銀メダルだった。

 

 

どれほど努力しても、1番欲しいと思っていたものが手に入らないなんて。

浅田選手の頑張りは、テレビを通じてしか知らないけれど。

ちょっとした運命の流れが明暗を分けてしまうのだと感じた。

 

浅田選手の悲しみと、私の悲しみとのベクトルは全く違う方向だ。

国民的に愛されているスポーツ選手の気持ちなんて、私にわかるはずもない。

けれど、なぜか、ふいに「今回の事は、仕方なかったんだ」と思えた。

 

浅田選手も、またここから自分の目標に向けて歩むんだと思うと、「私も、また頑張らなきゃ」と、素直にそう思えた。

 

一緒にテレビを見ていた姉に

「私もまた、がんばるわ」と伝えると、姉は静かに頷いてくれた。

 

***

 

人生のひとつの通過点が、たくさんあるだろう。

点と点が繋がりあって、線が道をつくることにもなる。

わたしの人生のひとつの通過点には、確かに浅田真央選手のバンクーバーオリンピックの演技があった。

 

あの日、あの演技を見なければ

私はまだ点を通過できずにいたかも知れない。

 

浅田真央さんにありがとうと伝えたい。

これから歩まれる道に、たくさんの笑顔がありますように。

 

 *長くなりました。お読みいただきまして、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お花見は、窓から。

「明日さ、雨じゃなかったら、お花見行こうかー?」

 

そんな会話を交わしていた4月8日、土曜日の夜。

私が住んでいる地域の、明日の天気予報は「くもり」となっていた。

 

うーん、まあ、小雨程度なら車で行けばいいしねえ……。

じゃあ、早起きして、いつも売り切れてるパン屋に行って、

ぐるっと、あちこち回ろうか?

どこかで買ったパンを食べれば、お花見気分になるんじゃない?

 

そんな話を、夫としていたのに。

 

日曜日。

朝、起きて、窓を開けなくてもわかる。

 

雨降ってるよー。

なんだか、毎年、なんだかんだ言ってお花見行けないよねえ……。

 

夫と結婚して8年目だけれど、

仕事だったり、法事だったりとタイミングが合わなくて、

お花見にいっしょに行けたことは一度もない。

 

ドライブがてら、お花見いってもいいけどねえ。

低気圧のせいで、頭も痛いし、体もだるい。

 

仕方ない。

今日の予定は、ナシにして、家でゴロゴロしていようじゃないか。

 

そういって、私は二度寝を決め込み、

夫は3DSモンスターハンターダブルクロスに没頭する。

 

せっかく桜咲いてるのに、もったいないかなあ?

なんとなく、気になって夫に話しかけてみるけれど

ゲームに夢中で、んー、と生返事。

まあ、この人は「花より団子」がモットーの人だから仕方ないか。

そもそも、いつも売り切れのパン屋に行きたかっただけかもしれないし……。

 

ちょっとがっかりしながら

ダラダラ過ごしてしまう日曜日。

 

せっかく、外は桜が満開なのになあ……

 

あ!

 

そういえば? 

ひとつ気になることがあって

窓の外を覗いてみる。

 

やっぱり!

 

裏のおばあちゃんの家には、小さな鉢植えの八重桜があって

ちょうど、ほころび始めていた。

 

ソメイヨシノよりも、開花の時期が少し違うのよって

去年おばあちゃんが言ってたのを思い出してよかった!

 

大きな公園に行かなくたって、

桜並木の下を通らなくっても、

 

こうして、ぽちりと咲き掛けている

桜を眺めるだけでも

本当は、じゅうぶんなんだよね。

 

ゲームをやりすぎて目が痛いと言っている夫を呼んで

二人で窓の外を眺める。

 

「桜じゃない花でもいいから、お花見行けたら行きたいねー」

そう私が言うと、夫はすぐに

「じゃあ、おいしいパン屋を探しておくから!」

そういって

おばあちゃんちの桜を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

海派か、山派か聞かれても。

お題「海派? 山派?」

 

お題スロットを回してみると「海派か山派か」をたずねるという、何ともフシギなものが出てきた。

 

投げられた球には、何でも向かっていくと決めたので打ち返せずに見送り三振覚悟で書いてみる。

 

山派? って、こうしてブログのなかの漢字で見ると山登りの山、だけれど、会話の中で振られるだけだと

 

やまは。

 

登る山だけじゃない。

カタカナの

ヤマハ

も、あり、じゃないだろうか……?

 

しかも! ヤマハには、私がパッとおもいつくだけでも

大きく分けて、3つの流派がある。

 

ピアノのヤマハ

バイクのヤマハ

発動機のヤマハ

 

メーカーの名前ではあるけれど。

大手の企業で3つも出てくるなんて。

 

やまは?

とだけ聞いても、思いもよらない答えが返ってくるかもしれない。

 

音楽教室に通ってたよー! とか

ラグビー、強いよね! とか。

いや、オレはホンダ派だよ、とか。

 

 

 

たいして、海派。

うみは、ウミハ……。

ピンとこない。

……あれ? ウミハ、劣勢?

 

Google先生で調べてみても、

何にも出てこない。

 

かわいそうな、うみは。

やまは と勝負させちゃって、ゴメン。

 

私は断然、海派です。

浮かれて5月に泳ぎに行って、

ブルブル震えたこともあったけれども。

 

今年は海に、泳ぎに行きたいなぁ。

 

 

 

 

自分の本当のキモチに、この本を読んで気がついたこと。

あぁ。

そうだったんだ。

 

この本を読み終えたとき。

涙がこぼれて仕方なかった。

 

涙がこぼれた、といっても

「どうせ、お涙ちょうだいもの。感動の押し売りでしょう?」

というものじゃない。

 

ただ、みんな、自分のキモチを小さな箱の中に

大事に大事に閉じ込めて

我慢しながら暮らしているんだ。

 

私がこの本に出会ったきっかけは、Twitterだった。

もう、かなり前のことだと思う。

ホォローしていた誰かから、リツイートされて回ってきた紹介を読んだ。

 

Twitterでは、私はとくにつぶやいたりもしていない。好きな有名人やライターさんをフォローしていて、その人達のつぶやきを、ただなんとなく見ているだけ。「私だけの、おもしろい情報を見逃したくない」という気持ちだけでみていた。

 

その本の紹介も、好きな有名人の人がリツイートしていて、「ふーん。おすすめなんだ。ちょっと見てみようかな?」というつもりで、のぞいて見た。

 

……うかつだった。

電車の到着を待つ、スキマ時間に見てしまったのは大失敗だった。

 

たったひとつのエピソードだけで、私のこころはわしづかみにされてしまった。

目頭がカァッと熱くなる。

鼻の奥が、ツンとしてくる。

 

なんどか瞬きをしたら、ぽたりぽたりと涙がこぼれてきた。

鼻水まで、ツッーっと垂れてくる。

 

やばい。

電車に乗れないぞ。

涙が、あとからあとから込み上げてくる。

急いでカバンの奥の方に入って、くしゃくしゃになっているハンドタオルを出して涙をぬぐう。

 

ホームで電車を待つ人達が、不思議そうに私の様子を伺っていた。

 

あの人、彼氏にふられたのかな?

よっぽど、悲しい連絡がきたんだろうか?

 

かわいそうに。

 

そんな目線が私に投げかけられているのを感じる。

 

……やばいよ、やばいよ。

 

まるで、お笑い芸人の出川哲郎のように、

こころの中で「やばいよ、やばいよ。涙がとまらないよ」と繰り返していた。

公衆の面前で、思わず号泣してしまい、いちばん私自身がうろたえていた。

 

そのときに読んだエピソードは、たぶん何でもない一コマで。

 

老夫婦と一緒に住まう、ワガママな猫のエピソードだった。

 

ただ、それだけの話なのに。

私のこころは、ギュッとわしづかみにされてしまったのだ。

 

わたしは、Twitterでそのストーリーを配信されている。

Twitterでは、他のエピソードもたくさん紹介されていた。

どれも、うかつに読むのはキケンだった。

 

仕事がうまくいかない話。

いじめられっ子の話。

病気とたたかうひとの話。

ワガママな猫の話。

 

どれも、短いストーリーなのに

心にジンワリと染み込んでくる。

 

コトコトと煮ふくめた高野豆腐のように

ふんわりと暖かくて、どこか懐かしくて。

 

噛みしめると、染み込んでいたダシが

じゅわんと口いっぱいに広がる。

作ってくれたひとの優しさを感じることができる。

 

そうか。

この本は、そうなんだ。

 

みんな、ひとの優しさに触れたいんだ。

優しくされたいんだ。

それを、気づかせてくれているんだ。

 

厳しい現実に生きる人たちが、

こころの中で涙を流している。

 

だけど、その涙は

悔しくても

辛くても

悲しくても

死にたくなったとしても

 

誰かの優しさに、少しでも触れることができたなら

許されたような気持ちになるんだ。

 

生きものは、いてくれるだけで

他の生きものの力になるんだ。

 

 

笑いたいときには、笑えばいい。

泣きたいときには、泣けばいい。

 

そんな、当たり前の気持ちすら箱の中に、ぎゅうぎゅうに押し込めて生きてたんだ。

 

泣くのは、弱いからじゃない。

それは、生きていくための、

当たり前の気持ちなんだ。

 

この一冊の本が、それを教えてくれたことに気がついた。

今宵もどこかで、涙の匂いが。

朝が、みんなに訪れますように。

 

 

「夜廻り猫」1〜2巻

著者: 深谷かほる