ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

ほんとうの一人暮らしを始めてみて、分かったこと。

六畳一間のアパートで一人暮らしを始めたのは、18歳のときだった。

実家から離れた大学に通うことになり、受験のときに駅前で配られていたチラシの中から見つけた新築二階建てのアパート。家賃との兼ね合いもあり、その一階部分に住むことになった。

 

一人暮らしを始めたばかりのころは、やっぱりさびしくて、ホームシックにもなった。

けれども、大学生活は始まってしまえば思った通り、いやそれ以上に楽しかった。

心の中でくるくると渦巻いていた寂しさなんか、ぴゅうっと大きな風が吹いたとたんにどこかへ飛んでいってしまった。

 

新しくできた、やっぱり一人暮らしのお友達の家に泊まりに行ったり。にぎやかなサークルに所属していつも誰かと一緒にいたり。新しくはじめたコンビニのバイトは夜十時までの勤務だったので、家に帰るころには鍋で煮込まれた白菜のようにクッタリとなっていた。アパートにたどり着いたら疲れ果てていて、ただ眠るだけだった。一人暮らしをはじめて、半年ほど過ぎたころには年上の彼氏ができ、ほとんど「ひとり」を感じる時間が少なくなっていった。

大学生活では友人や彼氏に助けられていた。仕送りを使い切ってしまって今月の数日はピンチだ、なんていう友人と家にある食材を持ち寄って、適当だけど楽しく料理をしたりだとか、友人が順番にインフルエンザに罹ったときには、ポカリだとかレトルトのおかゆなんかをたくさん買い込んで、ビニール袋いっぱいに詰め込んで、玄関先の扉にぶら下げたりもしていた。

「一人暮らし同盟」ともいえる友人が、たくさん近隣に住んでいたこともありがたかった。

 

大学を卒業し、就職する時期にあると、それぞれが今まで住んでいた家を離れることになる。大学の寮に住んでいた友達もいたし、そもそも地元に戻る、という友達もいた。

それぞれが、それぞれの道を進んでいくことになり、また一抹の寂しさを覚えた。けれどもう学生じゃなくて、社会人になるんだという、気持ちが引き締まるような思いが寂しさ以上におおきくて、なんだかプレッシャーのようでもあった。

 

社会人として働き始めると、それまで実家の両親からもらっていた仕送りではなく、自分の裁量で一人暮らしで借りているアパートの家賃を払うことになった。残業などをしなければ手取り17万円ほどの給料。贅沢はできない細々とした暮らしぶりが始まった。けれど、「親からの経済的自立」という、これまでにない一社会人としての責任感みたいなものが生まれたと思う。

 

働き始めて程なくして、大学時代からずっと付き合っていた彼氏と別れることになった。大学生のころは、年上だし大人だと感じていた彼氏のことが、急に子供じみた人だと冷めてしまった。単に、私の視野が広がったのか、学生のノリが変わらなさすぎる彼氏に飽きてしまったのか、もしくはその両方が原因だろう。

 

そうして私ははじめて、本当の意味での「一人暮らし」をはじめることになった。

 

月曜日から金曜日までは朝から晩まで職場にいるけれど、週末のお休みには何をして過ごせばいいのか分からなくなるときがあった。

平日にこなせずに、ためにためた洗濯物を片付けたり。日曜日にたくさん料理を作って、小分けにしておいたり。ひたすら家事をしていたけれど、ただそれだけだった。大学時代の友人に会うにしても、二、三ヶ月に一度くらい。職場での飲み会にしても、それほど開催されているわけではなかった。ただ単に誘われていなかっただけかもしれないのだけれど。

 

ぽっちりと、せまいアパートでひとり。

みているわけでもなく、ただただテレビのチャンネルをザッピングしてみたり。持て余した時間ばかりが、ぎゅうぎゅうと部屋の中で膨らんでいった。寂しいかと言われれば寂しかったのだけれど、ひとりなんだから、と無理やりにでも考えていた。

 

ある冬の日、私は風邪をこじらせてしまい、高熱を出した。

近所に頼れる知人は、誰ひとりいない。トイレに行くにも這うようにしか動けないほどダルく、自分の身体とは思えないほどにぐんにゃりと重かった。ちょっと動いただけでもしんどくて、水分補給のポカリを買いに行く体力なんて残されていない。ただただ水道水をマグカップに入れて、飲むしかなかった。

ひとりでぐにゃぐにゃとベッドで横たわっているのもしんどくて、枕元に置いていたテレビをつけた。つけた瞬間に、ハーゲンダッツアイスクリーム期間限定「アップルパイ」のCMが流れはじめた。

私はそのCMを食い入るように見つめたのち、アップルパイのアイスクリームが無性に食べたくなっていた。

アップルパイのアイス。ハーゲンダッツアイスクリーム、期間限定のアップルパイ風味! きっと、歩いて五分の場合にあるコンビニエンスストアに行けば売っているに違いない。ああ、食べたい……! 頭の中でぐるぐると、マントラのように「ハーゲンダッツ、アップルパイ」という言葉が回り続けていた。

熱が下がっていればコンビニへ買いに行こう。そう心に決めて体温計を脇に挟んでみたけれど、あいかわらず38度以上の数字を示している。病院で処方された解熱剤も思うようには効いてくれない。

身体を持ち上げることすら辛かったけれど、ハーゲンダッツアイスクリームCMの魔力に取り憑かれてしまった私は、少しの間悩んだものの、コンビニへアイスクリームを買いに行く決意をしたのだった。どちらにせよ、簡単に食べられるものも買ってこないと、冷蔵庫の中も空っぽになっていた。

 

そこからどうやってコンビニまで行ったのかは記憶がない。ただ、コンビニでカゴを持つことすらふらふらで、店員さんに心配されたことだけが記憶に残っている。レジでお金を払った記憶もない。けれど、あとで財布を確認したらぐしゃぐしゃに、握りつぶしたレシートが入っていたので、支払いはすませたようだった。

 

家に戻って、ちから尽き果てた私は、ベッドに倒れこんでしまった。そして、そのまま眠ってしまった。力を振り絞ってまで買いに行ったアイスクリームを冷凍庫に入れないままで。

 

二時間近く経過してから、私はようやく目を覚ました。着ていた服は汗ぐっしょりで、べたべたと身体にまとわりついて気持ち悪かった。床にはコンビニのビニール袋が所在なさげに転がっていた。

食べたい食べたいと切望していたハーゲンダッツアイスクリームのアップルパイ味は、すでに原型をとどめていなかった。無造作にビニール袋を置いてしまっていたせいで、アイスのカップは斜めになり、紙のふたの隙間から、もはや液体に変わってしまったアイスクリームがドロドロとこぼれて、ビニール袋の中で広がっていた。

 

そのビニール袋の中で広がる惨状をみて、私は無性に悲しくなった。なぜだか、急に涙が止まらなくなってしまった。ひとりだと、風邪をひいて熱が出ても、アイスは自分で買いに行かなきゃいけないし、アイスを食べることすら、思うようにいかないのだと思うと涙が出てきて止まらなくなってしまった。

実家にいれば「アイスは身体が冷えるんちゃう?」と言われながらも買ってきてくれただろう。大学時代ならば一人暮らし同盟の友人に頼めば「えー、ハーゲンダッツなんか高いから買いたくないー」なんて言われながらも、買ってきてくれたに違いない。

けれど、こうして、本当にひとりで暮らしていると誰にも頼むことができない。辛かろうがなんだろうが、ひとりでやらなきゃいけないんだという事実を突然目の前に叩きつけられてしまった。なんだか、とても悲しくて辛かった。熱に浮かされて感情的になっていたこともあるのだけれど、なんだかとても悲しくて、涙が止まらなかった。

 

少しだけ気持ちが落ち着いてから、実家の姉にメールを送った。

「熱が出てつらい。アイスも食べられへん」と、書いたらすぐに返事がきた。

「アイスは身体が冷えそうやし、プリンにしたら?」

携帯電話のディスプレイに光る短い文字が、なんだかとても暖かく感じられたのだった。

 

町内のアイドルだった、ゆず君のこと。

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「うわぁ、可愛らしいねぇ」

ゆず君を散歩に連れていくと、かなりの確率で声をかけてもらっていた。

 

ゆず君とは私の実家で暮らしていたオスのチワワの名前だ。目の上の、人間だとちょうど眉毛のあたりの毛色が薄茶色になっていて「麻呂みたいやねぇ」と可愛がってくれる人もいた。

 

お向かいに住んでいる、90歳近いおばあちゃんも、会うたびに「イケメンっていうやつやね!」と言いながら目を細めてくれた。

 

ご近所で大人気だったゆず君は、我が家でも当然のように愛されていた。

「室内でイヌ飼うの、なんか嫌やなあ」と、はじめのうちは少し嫌な顔をしていた父ですら、キューンて甘えた声を出しておやつを欲しがったり、わざわざ父のヒザの上に乗ってくつろいだりする姿にメロメロになっていった。

 

母も、姉も、当然私も、ゆず君のことが大切で可愛くてしかたなかった。

 

近所の小学生は「ゆず君と遊ばせて〜」とインターフォンを押して訴えてきたけれど、当のゆず君は小学生(というか、小さな子どもたち全般)が苦手らしく、散歩途中に出会ってもギャーギャーと吠えて近寄るな! と言わんばかりだった。あるひとりの女の子は、当時流行っていた任天堂DSの犬を育てるゲームの中で、チワワを飼ってゆず と名付けたことも報告してくれたほどだった。

 

そんなゆず君も、少しずつ年をとっていった。8歳になったころ、ゆず君は心臓が肥大化していると動物病院で診断された。

私はそのころ、結婚をして実家から離れて暮らしていたので、電話で病気について知らされたときショックだった。けれどきちんとお薬を飲んで、定期的に病院で検査を受ければ、すぐに命にかかわるようなこともないだろうとも言われた。同じような症状で18歳くらいまで長生きしたチワワもいるし、深刻に考え過ぎなくてもよいと。

 

実際に帰省をしたときには、ゆず湯はあいかわらずワガママな素振りを見せていたし、取り立てて病気のような雰囲気は無かった。朝晩にお薬を飲んでいて、太っちゃいけないからと食事の管理が厳しくなっていたくらいだった。

いつも通り愛くるしくて、小さく丸まってはイビキをかきながら眠っていた。我先に! と散歩ではグイグイ、リードを引っ張って歩いていた。

病気だと告げられてから2年が過ぎて、病状がひどくなることもなかった。「お薬を飲んだり、通院は大変やけど安定してるから大丈夫やんな」と家族の誰しもが思っていた。

 

 

その知らせは突然だった。

姉からのLINE。

「昨夜、ゆず君が亡くなりました」との、ひとことだけが送られてきた。

 

あまりにも突然で、咄嗟に理解できなかった。LINEで送られてきた一文を、受け入れられずにいた。私は実家に電話をして「何があったの?」と聞いた。姉は泣きじゃくっていて、電話で話せる状態じゃなかった。母が言葉を詰まらせながら、夜中に発作のような感じになって、あっという間に死んでしまったと告げた。

 

居ても立っても居られず、私は実家に帰った。土曜日で仕事がお休みだったし、とにかく信じられなかった。夫の実家で法事の予定があったのだけれど、それどころじゃなかった。夫も、義理の母も「実家に帰りなさい」と言ってくれた。

 

実家に帰ると、ゆず君はバスタオルの上で横たわっていた。眠っているようにも見えた。けれど、起き上がって「おかえり!」と尻尾を振ってはくれなかった。

 

私たち家族は散々泣いた。ご飯を食べながらも泣いた。何をしていても、ゆず君の思い出があり過ぎたのだ。

 

動物霊園に連絡して、火葬してもらった。ゆず君は、煙になって、骨だけが残った。

 

ゆず君のお気に入りだったぬいぐるみも、ふわふわのハウスも、もう必要ない。

ただいま、と玄関を開けると、大げさに飛び出してきて、おかえりおかえり! 歓迎してもくれない。朝食のリンゴを「ぼくにもちょうだい」とおねだりすることもない。柔らかな舌でぺろぺろと舐めてくれることも、もうないのだ。

 

ゆず君が死んでしまって今年で2年になる。今でも夢でもいいから、会いたいと思うけれど、触れることは許さない、永遠のアイドルになってしまった。

うがい手洗い、忘れずに。

寒い、寒い、寒い。

一歩も家から出たくない。

……できることならば。

 

だけど、そういう訳にもいかないので渋々ながらも仕事に向かう。

職場までは電車に揺られて1時間近くかかるのだけど、車内を見渡すとマスクをつけている人がかなりたくさんいる。五人にひとり、くらいの割合だろうか。その人たちはひどく咳込んでいるわけではないので予防のためにつけているのだろう。

 

私はマスクをつけていないけれど、必ず行なっていることがある。

 

うがいと手洗いだ。

 

子供のころからの習慣で、家に帰ったらすぐにうがいと手洗いを行なってきた。うがい手洗いをしないと気持ち悪いほどだ。

 

それでも風邪をひいたり、喉が痛くなるときも、もちろんある。どうしたって防げないことはあるのだ。

 

そんなときは「お茶うがい」をする。出がらしでもいいので緑茶でうがいをする。効果効能については、正直なところよく分からない。子供のころに母が教えてくれたことなので、疑うこともなくガラガラとうがいをしている。

 

鼻が詰まったり、喉がちょっと痛いだけでイライラするし集中力はガクンと落ちてしまう。体調を崩してしまうことは、何をするにしても一番効率が悪いのだと、最近になってようやく思い知らされた。もう少し早く気がつけば良かったのだけれど、仕方ない。

 

自分の身体に起きていることに、一番無頓着なのは本人だと思う。自身の体力を過信し過ぎるのは、もうやめた方が良い。「大丈夫、大丈夫。まだしんどくないから」とギリギリまで我慢しても、結局辛いのは自分なのだ。暖かい格好をして、暖かい食べ物を食べて、お風呂に入って、ぐっすりと眠ることこそが一番の体調管理になるのだと思う。

 

 

 

亀のような歩みだとしても、確実に一歩ずつ。

あれよあれよ、という間に2017年は過ぎ去ってしまった。「何があったかな?」と振り返ってみるけれど、なんだかあまり、思い出せない。

 

なんだかよくわからないままに、一年が過ぎてしまっている。もちろん、その場、その場では必死にやっているのだけれど。

 

今年こそ! とさまざまな目標を立ててみようと思ったのだけれど、ふと、考えてみた。

ババーン! と大きな目標を立てるよりも、例えば1月はこれ、2月はこれ。などと、細かく小さな目標をたくさん立てた方が良いのではないか、と。大きな目標をあきらめるわけじゃない。大きな目標を達成するために、小さな目標を順番に並べるのだ。

 

仮に、ダイエットを例にしてみると、とても分かりやすいと思う。

「目指せ! マイナス5キロ」

これが大目標だとしましょう。この大目標を達成するためには「まずは、1キロ痩せる」こと。これが大事なのだ。この1キロがなければ、何も始まらない。断食でもすれば、一気に5キロ痩せるかもしれない。でも、たぶんすぐにプラス5キロ戻ってしまうだろう。あまり極端なことをしても、食生活の改善がされるわけでもないし、痩せたとしても一時的なものになってしまう。これは、私自身の経験談でもある。

1か月で、1キロ痩せれば5ヶ月で5キロ。今から始めれば、夏までにはクリアする。長い目で見れば何も問題ないのだ。

 

大きな目標を高らかに宣言することも、自分に喝を入れるためにも必要なことだろう。だけど、その高みばかりを見つめていては、首が痛くなるばかりで、あまり前には進めないと思う。

 

私自身の2018年の抱負としては

文学賞に、こまめに応募する」これに尽きる。だけど、今の自分のレベルも把握しているため、大きな賞を目指すにはまだまだ早い。今のところ物語としてかける文字数も二万字未満だ。そうなれば、webで募集している小さな賞など、いろいろと試しながら歩んでいくのが一番だろう。さらに受賞できれば、とチラリと欲望が顔をのぞかせたりもする。でも、そこはわからない。とにかく一歩ずつ、確実に歩んでいくしかないのだ。

 

歩みの鈍い亀だとしても、前に、前にと進んでいきたい。時には怖くなって、手足や首をギュッと甲羅の中に押し込めて、動けなくなってしまうかもしれない。けれど、たとえそうだとしても。また忘れた頃にそぉっと手足を伸ばして、恐る恐る、一歩、また一歩と進んでいこう。

ひねくれ者の、ひらめく力。

「私は多分、あの人と友達になれないな」

このドラマを見たときの、主人公に対しての率直な感想だ。

 

医療ドラマといわれるジャンルはたくさんある。最近では「わたし、失敗しないので」というセリフで有名な米倉涼子さん主演の「ドクターX」が人気だろうか。産婦人科での命のやり取りをていねい描いた、綾野剛さん主演の「コウノドリ」も話題になった。

海外ドラマでも、すばらしい作品がたくさんあって「ER」という、アメリカの救命救急センターを舞台にしたドラマが飛び抜けてすばらしい。命を救うこと。救えない命への葛藤。医師といえども人間で、登場する医師の悩みや、恋などもリアルに描かれている。

 

しかし、登場する医師が天才的であればあるほど、「ちょっと、この人、どうかしてる」率が高いように思う。今回おススメするのは「できればこの先生には関わりたくないな……」といろいろな意味で思わせられるドクターが主人公だ。

DR.HOUSE」というアメリカで2004年に制作され、シーズン8まで続いたドラマだ。

 

ハウスという医師は、診断医としてずば抜けている。他の病院では分からなかった病名を探り出し治療へと導いていく。そのひらめきは本当に天才的なのだ。病気とは、まったく関係のない、ふとした会話や部下が犯したミスをいびっているときなんかに、「……まてよ?」といった具合にアイデアが降りてくる。「ハウス先生に診てもらえば分かると思って」と、祈るような想いで病院にくる患者もいるほどなのだ。

 

しかし、このハウスという医師は一筋縄ではいかないほどの、ひねくれ者なのだ。診断医として雇われいるのに、仕事をサボろうとする。ハウスのサポートをしている医師たちのプライベートを詮索しては冷やかしたり、罵倒したりする。唯一(と言っても過言ではない)友人のことはダマし、嘘をついては利用する。患者を罵倒し、恐怖におびえさせることもある。「人は嘘をつく」というセリフも頻繁に口にしていて、患者の言葉を信用しない。そのため、患者の家に不法侵入のようなことをして、病気の原因を探るようなことも、しょっちゅう行っている。

 

黒に近いグレーともいえる、かなり犯罪スレスレな行為をおこないながらも、だれにも診断できなかった病名を探り当て、治療を導き出す。そのひらめきの道筋をたどるためなら手段を選ばない。ハウスは「自分自身の好奇心を満たすためにやってるんだ」と、ひねくれた笑顔を浮かべながら捨て台詞を吐く。けれど、その言葉すべてが本心ではなく、患者の命を救いたい、という根源的な想いも持っているのだ。そこがハウスの憎めないところであり、このドラマの魅力でもある。

登場人物はみな、「ハウスの言うこと、信じられない!」と、なんども怒ったり、失望したりするのだけれど、女性は少なからずハウスに惹かれていくし、男性もみな、どこかハウスを慕ってしまう。

このドラマをみるたびに、ハウスの破天荒ぶりがひどくて、「ちょっと、今回ハウスひどすぎない?」と思う。けれど「ハウスみたいに好き勝手言っていても、なにかしら能力に秀でたものがあれば、信頼されるものなのかな」とも思う。ただ単に、ひねくれ者ではない魅力があるからこそ、視聴者すらも惹きつけられるのだろうなと思う。

 

一話完結のストーリーなので、「このお話だけ見よう」という区切りもつけやすい。おもしろくなってしまって、ついつい次のお話も見たい! と思わずにはいられなくなるのだけれど。

 

 

 

 

 

優しいだけでは傷ついてしまうのだとしても、優しさに救われたいと願わずにはいられない。

優しくて、あたたかい映像なのに。

その場面とともに語られる言葉には胸を打たれて、いつのまにか目の縁ギリギリまで涙がたっぷりと溜まってしまう。

まばたきでもしようものなら、ハタハタと溢れ落ちることは間違いない。

 

2017年10月からNHKで「三月のライオン」のアニメ2期の放送が始まった。

 

「三月のライオン」は、羽海野チカさんが原作を描かれている漫画。現在もヤングアニマルにて連載中だ。実写映画化も2017年に行われ、主人公の桐山零を演じた神木隆之介さんは、漫画の世界から飛び出してきたかのように感じたほどだった。

実写化された映画も、すばらしかっだのだけれど、原作の絵が大好きで大好きでたまらない私には、その絵が実際に動き回り、声を発しているアニメが好きなのだ。

 

2期目ということもあり、物語も少しずつすすんでいる。主人公の桐山零に焦点を合わせ、中学生でプロの棋士として活動をはじめた主人公の成長を将棋の世界を絡めながら描いた1期の頃よりも、話の内容がグッと身近、と言わざるを得ないテーマになった。

そのテーマは「いじめ」だった。

零がお世話になっている大切な家族、川本家の次女ひなた(ひなちゃん)が、学校でいじめにあう。

 

中学や高校時代に、自分自身の身に降りかかったことがある人も、遠巻きに、関わらないようにしていた人もいるだろう。

私自身は、中学生のときに決して言わなくてもいいひとことを言ってしまったことで、クラスから孤立した経験がある。けれど、それは自業自得だと思っているし、クラスで孤立してしまった経験=いじめではなかった、とも私自身は考えている。

 

三月のライオンで描かれているタイプのいじめは「よくあること」なのだろうか?

靴が片方、なくなっていたり。黒板いっぱいに悪口がかかれていたり。

陰でコソコソと(でも、クラスいっぱいに聞こえるほどの大きな声で)悪口を言ったり。

よくあることでしょ? とは言いたくないし、私自身は経験してもいない。他のクラスでも陰湿ないじめはない学校だったと思っている。

 

たかがアニメ。されどアニメ。

アニメといえども、おもしろおかしなことだけがおきる世界じゃないのだ。

社会の縮図ともいえるような、中学校生活のヒエラルキーを、まざまざと見せつけてくる。毎回、見るたびに胸が痛むし、ひなちゃんを思うだけで涙がこぼれてしまうこともある。

だけど、クラスで孤立して、暗く凍り付いてしまった心に、ほんの少しでも暖かな陽だまりのような優しさが、彼女に笑顔を取り戻させてくれるのだ。

零くんの、精いっぱいの優しさや、ひなちゃんの家族である、おじいちゃんの絶対的なひなちゃんへの信頼感。あかりおねいちゃんが作ってくれる、温かくこころのこもった食事。モモちゃんのただただ無邪気な笑顔。誰かに傷つけられた心の痛みは、誰かに優しくされ、誰かに認めてもらうことでしか癒されないのかもしれない。

 

この先のストーリーはコミックを読んでいるので知っている。けれど、テレビの画面で暗闇の中に光を求め、さまよいながらも、歩いていくひなちゃんへ、ガンバレ! と声をかけたくなってしまう。

オープニングテーマ曲であるYUKIさんの「フラッグをたてろ」の歌詞が、ほんとうにぴったりで、そんな理不尽なことに負けるんじゃない! と背中をさすってあげたくなる。僕は僕の世界の王様で、水の上だって、走れるのだから。

だからこそ、くだらない遊びに巻き込まれて、負けちゃいけないんだと、

そっと、背中を手を添えてあげたくなる。 

今年買って良かった本「蜜蜂と遠雷」

今週のお題今年買ってよかったもの

 

この本、もっと早くに読めばよかったな……。

これが、読み終えたときの感想だった。

 

私が読んでいる本にはかなり偏りがあるし、

正直なところ、一週間に一冊ほどしか本を読まない、というレベルである。

ただ、シリーズもので、めちゃくちゃハマると、わき目も振らずにグイグイ読むこともある。勧められて読み始めた森博嗣さんの「Vシリーズ」は、今年の10月に、一気に10冊を読みふけった。

 

今年は、村上春樹さんの「騎士団長殺し」、宮部みゆきさんの「この世の春」、吉本ばななさんの「吹上奇譚」とが発売された。

好きな作家は誰ですか? と質問されたときにこの三名の名前を挙げる私にとってはかない実り多き一年だった。夜寝る間も惜しんで、この三冊(騎士団長殺しも、この世の春も二冊あるので、正確には五冊となるのだろうか?)を読んだ。

しかし、今回紹介する本は2016年に発売されているので、2017年の新刊、ではない。

けれど、今年の話題作であったことには間違いないと思う。

 

恩田陸さんが書かれた、「蜜蜂と遠雷」である。

 2017年1月には直木賞を受賞し、4月には本屋大賞を受賞。

「文句なしの最高傑作」というコピーがついているけれど、本当にその通りだろう。

 

私がこの本を購入したのは、2017年のお正月だった。1月の連休にでも読むか、と軽い気持ちで購入した。そのため「今年買ってよかったもの」として紹介したいと思う。本の帯には「直木賞候補作!」と書かれていた。

「すっごく面白い」「絶対読んでほしい」と、私の周りにいた人たちは、発売してすぐに教えてくれたけれど、私は「うーん、どうしようかなあ」と読むことすら悩んでいた。文庫本になったら買えばいいかな? とも考えていた。

恥ずかしながら告白するけれど、私はこれまでに恩田陸さんの書かれた小説を一度も読んだことがなかった。

六番目の小夜子」や「夜のピクニック」など、本のタイトルは知っているけれど、なぜか「読んでみよう」という気にはならなかった。

私の読書傾向は、同じ本ばかりを繰り返し繰り返し……。本当にひたすら繰り返し読むことが多い。けれど、いろいろな作家さんの作品を読んで「こういった書き方もできるのか」とか、「こういう目線、すばらしいな」など新たな作家さんの文体を知りたいと思い、購入したのだった。

しかし、1月に購入しておきながら、全然読めずにいた。

なんとなく「積読」の部類に入ってしまっていたこの本だったけれど、ようやく11月になり手に取ることができた。

 

ピアノコンクールを舞台とした人間の生き様について。

ひとことだけで表すなら、これだろう。

けれど、こんなひとことで言い表すことなんて、到底できないほど、濃密な体験だった。

私は、この小説の中で奏でられている音楽については、ほぼすべて知らない。

どんな曲か、タイトルだけを聞いても分からないのだ。

 

だけど、読んでいる文字だけでも音が聞こえてきそうだ。

演奏が始まったとたんに、鳥肌が立つような感覚すら生まれたほどだった。

 

ちょっと大げさなように思うかもしれない。

けれど、これは私がこの「蜜蜂と遠雷」を読んで体験した、まぎれもない事実だ。

そして、私以外の多くの人が同じような感覚をうけたからこそ、

直木賞や、本屋大賞を受賞した作品なのではないかと思うのだ。

 

年末年始、なんか一冊本でも読むか、と思っていて

まだ、この「蜜蜂と遠雷」を読んでいない方には、

ぜひとも、手に取ってほしい。

1944円でピアノリサイタルに出かけた気分になり、

清々しい気持ちになれるだろう。