ひろこの睡眠学習帖

寝言のようなことばかり言っています。

うがい手洗い、忘れずに。

寒い、寒い、寒い。

一歩も家から出たくない。

……できることならば。

 

だけど、そういう訳にもいかないので渋々ながらも仕事に向かう。

職場までは電車に揺られて1時間近くかかるのだけど、車内を見渡すとマスクをつけている人がかなりたくさんいる。五人にひとり、くらいの割合だろうか。その人たちはひどく咳込んでいるわけではないので予防のためにつけているのだろう。

 

私はマスクをつけていないけれど、必ず行なっていることがある。

 

うがいと手洗いだ。

 

子供のころからの習慣で、家に帰ったらすぐにうがいと手洗いを行なってきた。うがい手洗いをしないと気持ち悪いほどだ。

 

それでも風邪をひいたり、喉が痛くなるときも、もちろんある。どうしたって防げないことはあるのだ。

 

そんなときは「お茶うがい」をする。出がらしでもいいので緑茶でうがいをする。効果効能については、正直なところよく分からない。子供のころに母が教えてくれたことなので、疑うこともなくガラガラとうがいをしている。

 

鼻が詰まったり、喉がちょっと痛いだけでイライラするし集中力はガクンと落ちてしまう。体調を崩してしまうことは、何をするにしても一番効率が悪いのだと、最近になってようやく思い知らされた。もう少し早く気がつけば良かったのだけれど、仕方ない。

 

自分の身体に起きていることに、一番無頓着なのは本人だと思う。自身の体力を過信し過ぎるのは、もうやめた方が良い。「大丈夫、大丈夫。まだしんどくないから」とギリギリまで我慢しても、結局辛いのは自分なのだ。暖かい格好をして、暖かい食べ物を食べて、お風呂に入って、ぐっすりと眠ることこそが一番の体調管理になるのだと思う。

 

 

 

亀のような歩みだとしても、確実に一歩ずつ。

あれよあれよ、という間に2017年は過ぎ去ってしまった。「何があったかな?」と振り返ってみるけれど、なんだかあまり、思い出せない。

 

なんだかよくわからないままに、一年が過ぎてしまっている。もちろん、その場、その場では必死にやっているのだけれど。

 

今年こそ! とさまざまな目標を立ててみようと思ったのだけれど、ふと、考えてみた。

ババーン! と大きな目標を立てるよりも、例えば1月はこれ、2月はこれ。などと、細かく小さな目標をたくさん立てた方が良いのではないか、と。大きな目標をあきらめるわけじゃない。大きな目標を達成するために、小さな目標を順番に並べるのだ。

 

仮に、ダイエットを例にしてみると、とても分かりやすいと思う。

「目指せ! マイナス5キロ」

これが大目標だとしましょう。この大目標を達成するためには「まずは、1キロ痩せる」こと。これが大事なのだ。この1キロがなければ、何も始まらない。断食でもすれば、一気に5キロ痩せるかもしれない。でも、たぶんすぐにプラス5キロ戻ってしまうだろう。あまり極端なことをしても、食生活の改善がされるわけでもないし、痩せたとしても一時的なものになってしまう。これは、私自身の経験談でもある。

1か月で、1キロ痩せれば5ヶ月で5キロ。今から始めれば、夏までにはクリアする。長い目で見れば何も問題ないのだ。

 

大きな目標を高らかに宣言することも、自分に喝を入れるためにも必要なことだろう。だけど、その高みばかりを見つめていては、首が痛くなるばかりで、あまり前には進めないと思う。

 

私自身の2018年の抱負としては

文学賞に、こまめに応募する」これに尽きる。だけど、今の自分のレベルも把握しているため、大きな賞を目指すにはまだまだ早い。今のところ物語としてかける文字数も二万字未満だ。そうなれば、webで募集している小さな賞など、いろいろと試しながら歩んでいくのが一番だろう。さらに受賞できれば、とチラリと欲望が顔をのぞかせたりもする。でも、そこはわからない。とにかく一歩ずつ、確実に歩んでいくしかないのだ。

 

歩みの鈍い亀だとしても、前に、前にと進んでいきたい。時には怖くなって、手足や首をギュッと甲羅の中に押し込めて、動けなくなってしまうかもしれない。けれど、たとえそうだとしても。また忘れた頃にそぉっと手足を伸ばして、恐る恐る、一歩、また一歩と進んでいこう。

ひねくれ者の、ひらめく力。

「私は多分、あの人と友達になれないな」

このドラマを見たときの、主人公に対しての率直な感想だ。

 

医療ドラマといわれるジャンルはたくさんある。最近では「わたし、失敗しないので」というセリフで有名な米倉涼子さん主演の「ドクターX」が人気だろうか。産婦人科での命のやり取りをていねい描いた、綾野剛さん主演の「コウノドリ」も話題になった。

海外ドラマでも、すばらしい作品がたくさんあって「ER」という、アメリカの救命救急センターを舞台にしたドラマが飛び抜けてすばらしい。命を救うこと。救えない命への葛藤。医師といえども人間で、登場する医師の悩みや、恋などもリアルに描かれている。

 

しかし、登場する医師が天才的であればあるほど、「ちょっと、この人、どうかしてる」率が高いように思う。今回おススメするのは「できればこの先生には関わりたくないな……」といろいろな意味で思わせられるドクターが主人公だ。

DR.HOUSE」というアメリカで2004年に制作され、シーズン8まで続いたドラマだ。

 

ハウスという医師は、診断医としてずば抜けている。他の病院では分からなかった病名を探り出し治療へと導いていく。そのひらめきは本当に天才的なのだ。病気とは、まったく関係のない、ふとした会話や部下が犯したミスをいびっているときなんかに、「……まてよ?」といった具合にアイデアが降りてくる。「ハウス先生に診てもらえば分かると思って」と、祈るような想いで病院にくる患者もいるほどなのだ。

 

しかし、このハウスという医師は一筋縄ではいかないほどの、ひねくれ者なのだ。診断医として雇われいるのに、仕事をサボろうとする。ハウスのサポートをしている医師たちのプライベートを詮索しては冷やかしたり、罵倒したりする。唯一(と言っても過言ではない)友人のことはダマし、嘘をついては利用する。患者を罵倒し、恐怖におびえさせることもある。「人は嘘をつく」というセリフも頻繁に口にしていて、患者の言葉を信用しない。そのため、患者の家に不法侵入のようなことをして、病気の原因を探るようなことも、しょっちゅう行っている。

 

黒に近いグレーともいえる、かなり犯罪スレスレな行為をおこないながらも、だれにも診断できなかった病名を探り当て、治療を導き出す。そのひらめきの道筋をたどるためなら手段を選ばない。ハウスは「自分自身の好奇心を満たすためにやってるんだ」と、ひねくれた笑顔を浮かべながら捨て台詞を吐く。けれど、その言葉すべてが本心ではなく、患者の命を救いたい、という根源的な想いも持っているのだ。そこがハウスの憎めないところであり、このドラマの魅力でもある。

登場人物はみな、「ハウスの言うこと、信じられない!」と、なんども怒ったり、失望したりするのだけれど、女性は少なからずハウスに惹かれていくし、男性もみな、どこかハウスを慕ってしまう。

このドラマをみるたびに、ハウスの破天荒ぶりがひどくて、「ちょっと、今回ハウスひどすぎない?」と思う。けれど「ハウスみたいに好き勝手言っていても、なにかしら能力に秀でたものがあれば、信頼されるものなのかな」とも思う。ただ単に、ひねくれ者ではない魅力があるからこそ、視聴者すらも惹きつけられるのだろうなと思う。

 

一話完結のストーリーなので、「このお話だけ見よう」という区切りもつけやすい。おもしろくなってしまって、ついつい次のお話も見たい! と思わずにはいられなくなるのだけれど。

 

 

 

 

 

優しいだけでは傷ついてしまうのだとしても、優しさに救われたいと願わずにはいられない。

優しくて、あたたかい映像なのに。

その場面とともに語られる言葉には胸を打たれて、いつのまにか目の縁ギリギリまで涙がたっぷりと溜まってしまう。

まばたきでもしようものなら、ハタハタと溢れ落ちることは間違いない。

 

2017年10月からNHKで「三月のライオン」のアニメ2期の放送が始まった。

 

「三月のライオン」は、羽海野チカさんが原作を描かれている漫画。現在もヤングアニマルにて連載中だ。実写映画化も2017年に行われ、主人公の桐山零を演じた神木隆之介さんは、漫画の世界から飛び出してきたかのように感じたほどだった。

実写化された映画も、すばらしかっだのだけれど、原作の絵が大好きで大好きでたまらない私には、その絵が実際に動き回り、声を発しているアニメが好きなのだ。

 

2期目ということもあり、物語も少しずつすすんでいる。主人公の桐山零に焦点を合わせ、中学生でプロの棋士として活動をはじめた主人公の成長を将棋の世界を絡めながら描いた1期の頃よりも、話の内容がグッと身近、と言わざるを得ないテーマになった。

そのテーマは「いじめ」だった。

零がお世話になっている大切な家族、川本家の次女ひなた(ひなちゃん)が、学校でいじめにあう。

 

中学や高校時代に、自分自身の身に降りかかったことがある人も、遠巻きに、関わらないようにしていた人もいるだろう。

私自身は、中学生のときに決して言わなくてもいいひとことを言ってしまったことで、クラスから孤立した経験がある。けれど、それは自業自得だと思っているし、クラスで孤立してしまった経験=いじめではなかった、とも私自身は考えている。

 

三月のライオンで描かれているタイプのいじめは「よくあること」なのだろうか?

靴が片方、なくなっていたり。黒板いっぱいに悪口がかかれていたり。

陰でコソコソと(でも、クラスいっぱいに聞こえるほどの大きな声で)悪口を言ったり。

よくあることでしょ? とは言いたくないし、私自身は経験してもいない。他のクラスでも陰湿ないじめはない学校だったと思っている。

 

たかがアニメ。されどアニメ。

アニメといえども、おもしろおかしなことだけがおきる世界じゃないのだ。

社会の縮図ともいえるような、中学校生活のヒエラルキーを、まざまざと見せつけてくる。毎回、見るたびに胸が痛むし、ひなちゃんを思うだけで涙がこぼれてしまうこともある。

だけど、クラスで孤立して、暗く凍り付いてしまった心に、ほんの少しでも暖かな陽だまりのような優しさが、彼女に笑顔を取り戻させてくれるのだ。

零くんの、精いっぱいの優しさや、ひなちゃんの家族である、おじいちゃんの絶対的なひなちゃんへの信頼感。あかりおねいちゃんが作ってくれる、温かくこころのこもった食事。モモちゃんのただただ無邪気な笑顔。誰かに傷つけられた心の痛みは、誰かに優しくされ、誰かに認めてもらうことでしか癒されないのかもしれない。

 

この先のストーリーはコミックを読んでいるので知っている。けれど、テレビの画面で暗闇の中に光を求め、さまよいながらも、歩いていくひなちゃんへ、ガンバレ! と声をかけたくなってしまう。

オープニングテーマ曲であるYUKIさんの「フラッグをたてろ」の歌詞が、ほんとうにぴったりで、そんな理不尽なことに負けるんじゃない! と背中をさすってあげたくなる。僕は僕の世界の王様で、水の上だって、走れるのだから。

だからこそ、くだらない遊びに巻き込まれて、負けちゃいけないんだと、

そっと、背中を手を添えてあげたくなる。 

今年買って良かった本「蜜蜂と遠雷」

今週のお題今年買ってよかったもの

 

この本、もっと早くに読めばよかったな……。

これが、読み終えたときの感想だった。

 

私が読んでいる本にはかなり偏りがあるし、

正直なところ、一週間に一冊ほどしか本を読まない、というレベルである。

ただ、シリーズもので、めちゃくちゃハマると、わき目も振らずにグイグイ読むこともある。勧められて読み始めた森博嗣さんの「Vシリーズ」は、今年の10月に、一気に10冊を読みふけった。

 

今年は、村上春樹さんの「騎士団長殺し」、宮部みゆきさんの「この世の春」、吉本ばななさんの「吹上奇譚」とが発売された。

好きな作家は誰ですか? と質問されたときにこの三名の名前を挙げる私にとってはかない実り多き一年だった。夜寝る間も惜しんで、この三冊(騎士団長殺しも、この世の春も二冊あるので、正確には五冊となるのだろうか?)を読んだ。

しかし、今回紹介する本は2016年に発売されているので、2017年の新刊、ではない。

けれど、今年の話題作であったことには間違いないと思う。

 

恩田陸さんが書かれた、「蜜蜂と遠雷」である。

 2017年1月には直木賞を受賞し、4月には本屋大賞を受賞。

「文句なしの最高傑作」というコピーがついているけれど、本当にその通りだろう。

 

私がこの本を購入したのは、2017年のお正月だった。1月の連休にでも読むか、と軽い気持ちで購入した。そのため「今年買ってよかったもの」として紹介したいと思う。本の帯には「直木賞候補作!」と書かれていた。

「すっごく面白い」「絶対読んでほしい」と、私の周りにいた人たちは、発売してすぐに教えてくれたけれど、私は「うーん、どうしようかなあ」と読むことすら悩んでいた。文庫本になったら買えばいいかな? とも考えていた。

恥ずかしながら告白するけれど、私はこれまでに恩田陸さんの書かれた小説を一度も読んだことがなかった。

六番目の小夜子」や「夜のピクニック」など、本のタイトルは知っているけれど、なぜか「読んでみよう」という気にはならなかった。

私の読書傾向は、同じ本ばかりを繰り返し繰り返し……。本当にひたすら繰り返し読むことが多い。けれど、いろいろな作家さんの作品を読んで「こういった書き方もできるのか」とか、「こういう目線、すばらしいな」など新たな作家さんの文体を知りたいと思い、購入したのだった。

しかし、1月に購入しておきながら、全然読めずにいた。

なんとなく「積読」の部類に入ってしまっていたこの本だったけれど、ようやく11月になり手に取ることができた。

 

ピアノコンクールを舞台とした人間の生き様について。

ひとことだけで表すなら、これだろう。

けれど、こんなひとことで言い表すことなんて、到底できないほど、濃密な体験だった。

私は、この小説の中で奏でられている音楽については、ほぼすべて知らない。

どんな曲か、タイトルだけを聞いても分からないのだ。

 

だけど、読んでいる文字だけでも音が聞こえてきそうだ。

演奏が始まったとたんに、鳥肌が立つような感覚すら生まれたほどだった。

 

ちょっと大げさなように思うかもしれない。

けれど、これは私がこの「蜜蜂と遠雷」を読んで体験した、まぎれもない事実だ。

そして、私以外の多くの人が同じような感覚をうけたからこそ、

直木賞や、本屋大賞を受賞した作品なのではないかと思うのだ。

 

年末年始、なんか一冊本でも読むか、と思っていて

まだ、この「蜜蜂と遠雷」を読んでいない方には、

ぜひとも、手に取ってほしい。

1944円でピアノリサイタルに出かけた気分になり、

清々しい気持ちになれるだろう。

 

 

 

 

 

 

6年前の、今日のこと。

あれからもう6年も経つのかー、とコーヒーを入れながらボンヤリと考える。

 

6年前の12月8日に、私が今働いているカフェがオープンした。

 

もともと、デザイン事務所を営んでいた社長が、ずっと「やりたいこと」として思い描いていたのがカフェの営業だったそうだ。

私はカフェがオープンする、およそ半年くらい前に、小さなデザイン事務所の短期バイトとして、人づてに紹介されて、働いていた。

はじめは一ヶ月くらい、事務的な仕事を手伝ってほしい、という事だったのだけれど、なんとなく忙しい雰囲気に巻き込まれてしまった。

一ヶ月、と言われていたのが、いつのまにか週3くらいのバイト契約に変わっていった。

私の仕事は相変わらず、事務的にコツコツと進めていくタイプのものだった。けれど、いつのまにか社長は「人も増えたし、カフェをやろう!」という気持ちがむくむくと沸き起こっていたらしい。

物件探しやら何やらと、あれよあれよという間に、「カフェをやります!」ということになっていた。

 

いま、こうして思い出して書いていると「そんなバカげた話あるか!」と思う。けれど、本当に、あれ? 本気でやるつもり? と、どこか他人事として考えていたのに、いつの間にか「カフェでも働いてくれるよね?」という話になっていた。

 

物件を借りて、家賃が発生しているのだから、もうお店として始めたい! と、社長は言い出した。まだ、出すメニューも決まっていないにもかかわらず、だ。デザイン事務所のスタッフ(と、いってもデザイナーさんひとりだけ)と、私と、もうひとりいたアルバイトの人とで必死に止めたりもした。けれど、社長の意思は固かった。「フード類は決まってなくても、出すドリンクは決まっているから」と言って聞かず、オープンの日を決めてしまっていた。

 

そうして、フード類の試行錯誤やら、完全なる失敗作やら、色々なことを重ねながらも、ついにオープンの日が来てしまった。

 

小さな街の中にあるため、お客様が殺到するようなこともなかった。

ものすごく寒い日で、駅前とか、人通りの多い交差点のそばでチラシを配ったりしたけれど、それほどたくさんのお客様はいらっしゃらなくて、すこししょんぼりしたことを覚えている。

 

6年、という年月はあっという間だけれど、それでも色々なことがあった。カフェのオープンに向けて一緒に走り回ったデザイナーさんは何年か前に転職してしまった。一緒に事務のバイトをしていた人は今ではネイリストとして活躍していて、自分のお店をオープンしている。私はといえば、デザイン事務所のアルバイトから社員に昇格したものの、デザイン関連の仕事より、カフェの店員としてお店に立っている時間の方が確実にながい。

 

なんとなく巻き込まれて始めた仕事だった。けれど、カフェがオープンした日のことを知っているのは、今では社長と私しかいない。来店してくださるお客様ですら、引っ越しだったり、職場が変わったり、定年退職をされたりしていて、オープン当時から変わらずにずっと来てくださっているかたは、ほとんどいない。

だけど、毎日店に立って、「いらっしゃいませ」と言えるのは、ありがたいことだと思う。社長も私も、6年分年をとって、飲食店は肉体労働で、本当に大変だと身にしみて感じている。実際に、あと何年も続けていけるか、分からない。だけど、そうだとしても、お店に立っている間は、「ありがとうございました」と、笑顔でお客様をお見送りしたいと思っている。

 

お金で買えない価値になるかどうかは、わたし次第だ。

今週のお題「今年買ってよかったもの」

 

今年買ってよかったもの。

それは、ずばり「体験」である。

 

買ったもの、というのはなにも「物体」だけには限らないだろう。

 

わたしが買った体験は「天狼院書店」という、一風変わった本屋さんが主催している「ライティングゼミ」というものだった。

仕事でちょっとした文章を書くことがあるため、改めて、文章力を高めるための技術を身につけてみようと思ったことがきっかけだった。

 

厳密にいうならば、わたしがこの「ライティングゼミ」に足を踏み入れたのは2016年10月のことなので、「今年、はじめて買いました!」とは言えない。けれど、学ぶうちに「もっともっとゼミで学びたい」と思うようになり、継続受講を行なうことを希望したのだった。そうして、わたしは今年の11月末まで学ばせてもらっていた。

 

文章を書く技術を教えてくれる、と言っても実際に役立つポイントは限られている。もちろんゼミで学ぶ中で「なるほど!」と、目からウロコがボロボロとこぼれ落ちるような内容もある。けれど、本当に重要なことはとてもシンプルで、難しく考えすぎると、かえってうまくいかないものだと学んだ。

 

「文章力を高めるためには、たくさん書くことが大事です。どんどん書いてください」と言われたことを真に受けて、このはてなブログも始めてみたのだった。

けれど、この「うまく書けるようになるには、沢山書く」というのはもっともなことだ。野球選手がはじめからホームランをバンバン打てるわけがない。フィギュアスケートの選手だって、はじめから四回転ジャンプが飛べるわけじゃない。何度も何度も、吐き気がして、ウンザリするほど何度も練習しなきゃできるわけがないのだ。

文章だって、おんなじだ。

そりゃあ、「今日は、サンドイッチを作りました。ハムとレタスをはさみました。美味しかったです」程度の文章ならば、なにも教えてもらわなくても誰だって書けるはずだ。

けれど、ちょっと気の利いた、「ついつい読んじゃうんだよねー、このお話!」と思ってもらえるような文章を書けるようになるためには、やっぱりたくさん書いてみて、自分自身だけのコツみたいなものを掴むしかないのだと思う。

 

文章の講座で教えてもらったことは、この先、わたしが文章を書いていく上でとても役に立つものだった。しかし、この「体験」が、お金には変えられない価値があるものになるか。さらに付加価値をつけることまでできるかどうかは、わたし自身がめげずにコツコツと続いていくしかないのだ。

 

今年一年かけて、よい「体験」を購入したと思う。この先は身についた「体験」を自分の中に取りこんでいきたい。